9幕 違います…違うんです…俺はそうじゃないんです…。
やっぱ気のせいじゃないよなぁ、とサンドイッチに小さく齧り付く洞木を見ながら思う。
この間から薄々感じていたがボディータッチが増えた。それとなく手を握られたり、肩を叩かれたりと、洞木のそれは最早俺ですら勘違いを否定できちゃうほど意図的な接触だった。
純粋に嬉しいかと言えばまあ。否定するのも何だか童貞臭いと思うし正直に嬉しいと言っておく。相手は普段は隠しているとはいえ見目麗しい女の子で、ちょっと身体的接触をされるだけで心が揺れた。手が当たると俺の体温よりほんの少し温かみがあるのが分かってドギマギする。普段は表面上通り接しているのに、そういう時だけは女の子なんだなと実感してしまって、それを隠すのが割と辛い。
相手が純粋な異性なら俺ももっと表に出していたのだろうけど。イケメン相手に一々おっかなびっくりになる怪しい男という評価をされるのだけは勘弁だった。
購買の隣に作られたイートインスペースで順調にサンドイッチを食べる対面の洞木を見ながらじっと俺は待つ。昼飯として俺が買ったのはカップ麺。その中でも茹で時間5分という少々長めのものを選んだせいで手持ち無沙汰だった。隣では黙々と羽実が総菜パンを食している。
「二千翔……?」
ふと洞木と視線がぶつかる。思わず手を止めて観察していたけどバレてしまったらしい。
「あ、いやそのサンドイッチ美味しそうだなって。卵とトマトとレタスだっけ」
白状するにはあまりにも気恥ずかし過ぎるので、何か代わりになる話題は無いかと探して洞木の手にあるサンドイッチに目が行った。さっき購買で買ったばかりの洞木の昼飯だ。コンビニのものと違って中身が溢れんばかりにパンパンに詰まっていて手作り感を強く感じる一品である。
「ああ、うん。学校にある調理場で作ったものらしいけど普通に美味しいよこれ。何より量に愛があるよね」
「そこまで行くと食べにくそうだけど。その辺どうなんだ?」
「コツがあるんだよ。サンドイッチの具の形をちゃんと想像して食べればボロボロ落とすこともないさ」
「そういうもんなのか……?」
具の形を想像するとか半分スピリチュアルに足を突っ込んだこと言ってる気がするけど、しかし洞木は有言実行とばかりに綺麗にサンドイッチを食べている。嘘ではないんだろう。ただ無駄に難易度は高い気もする。
「羽実さんはそれ何?」
ずっと無心に食べている羽実に気を遣ってか洞木は話題を振った。話の流れは聞いていたみたいで、んっ、と口に入っていたものを嚥下すると持っていた食べかけのパンを持ち上げる。
「別にただのあんぱんよ」
「あ、それもここで作ってるやつだよね。どうだい?」
「どうだいって言われても……ま、まあ、美味しいわよ」
コメントを求められてちょっと困ったように言いつつも羽実の表情は柔らかいものだ。今更だけど色々作ってるんだなぁこの学校。俺もそういう自家製の奴にすればよかったかもしれない。
10分前の自分の判断を呪いつつスマホの時計を確認してカップ麺の蓋をベリべりと剥がす。目新しさは欠片も無い見慣れたドカ盛りカップ麺だ。スープからは安っぽい豚骨臭が漂ってくる。
「二千翔のは……うん。そんなのばっかじゃ健康に悪いよ?」
「そうだけどまあ、いつも食べてるからつい」
「そう言えば家にも沢山カップ麺あるよね。もう何も考えずに手に取ってるんじゃない?」
うっ……。
何も言い返せない……大学入ってから昼飯で悩んだことほぼないからなぁ。購買でも気付いたら俺の右手は赤い糸で結ばれたの如く運命力を持ってカップ麺を手に取っていた。別に好きなわけでもなにのに何でだろうなぁ……本当に何でだろう。
「でも待ってくれ。俺はカップ麺の弁護も出来るぞ。一に普通に料理を作るより楽で数分で食えるから時間的に効率が良い。二に安いから食費が浮く。三に栄養バランスも野菜ジュースを副菜として摂れば偏らない。ほら、大学生のマストアイテムに見えてこないか?」
「思えないよ」
「ばっかじゃないの」
メリットを詳らかにプレゼンしたのにダブルで否定された。もしかして俺のプレゼン力……低すぎ? ネットで鍛えられた論理力が通じないなんて。
まあでも、味気が無いのは事実なんだよな。なんせいつも食べているし、そろそろ舌が麻痺して来てるのだろう。カップ麺、最初は美味しかったから企業努力は認めるけど継続して食べるようには作られていないらしい。
麺を啜りながらサンドイッチを見ていると、洞木が手を止める。
「物欲しそうに見つめられても……一口欲しいのかい?」
「……いや、良い。流石にな」
「そうかい?」
洞木は少し首を傾げて、再び口の中にサンドイッチを入れた。
いや見てみって。羽実が凄い目で見てる。あの目は「いちゃついてんじゃねえよコラ」とかそういう目の色じゃなくて「男同士なのになにしてんの……こっわ」みたいな訝しげな目だ。
……もしかしてだが、疑われてるのか? でも俺はそんな洞木とお近づきになった記憶は……滅茶苦茶心当たりがあった。展覧会が開けるレベルで。だけどその場に羽実がいた記憶は無いから仮にそんなシーンがあったとしても知らないはず。
まあまだ疑い程度なら大丈夫だろう。これから晴らして行けば問題ない。
「でもこれ本当に美味しいよ。量も多いし遠慮することはないさ、ほら一口」
「本当に大丈夫だから! ほら、俺のカップ麺ってカロリー高いし塩分量も多いから食べ過ぎになっちゃうだろ!」
「……そっか」
残念そうに肩を下す洞木を傍に俺は恐る恐るチラチラと目を動かす。羽実はあくまで無表情を保ってパンを食べているがその目は更に細くなっている。……絶対にこれ勘違いされてるパターンのやつじゃん! おいゴラ洞木! 幾ら中身が美少女だからってやって良いこととやっちゃいけないことってもんがあるだろ! 回し飲みならまだしも回し食いは男同士でもやらねえから!
揶揄ってんのかと思って洞木を見れば、影のある表情は鳴りを潜めてまた笑みを浮かべていた。ここまで常に笑んでるとある種ポーカーフェイスにも思えるから不思議だ。
「アンタ、家でもそんなんばかり食べてんの?」
そんな風に洞木を見ていると、横から話しかけられる。
「えっ、ああ。昼は大体カップ麺だけど」
「因みに聞くけどスープは飲む派?」
「決まってんだろ。残すとか捨てるとか勿体ないと思う」
「早死にするわよ」
ものすっごいジト目で釘を刺された。確かにスープには凄まじい塩分量が含まれているとか聞く。だが俺も若さには自信があるのだ。まだ齢18の生まれたての青少年だぞこちとら。三徹上等、不規則な食生活上等! ……生まれたては言い過ぎかもしれない。
それに羽実は実家暮らしだ。つまり未だ毎日創作料理して、一日のタイムスケジュールを自由に過ごして、なんて一人暮らしに夢を見ててもおかしくない。ふぅ、しょうがない。ここは幼馴染兼一人暮らしの先立ちとして教えを説いてやるか。
「あのな、羽実。実家暮らし人間に一人暮らしの真実を教えてやろう。心して聞くが良い」
「うわ、なんか始まったし……」
「一人暮らしだとしなきゃならないことは多いんだぞ。自分しか住んでないからな。料理然り、洗濯然り、ゴミ捨て然り、掃除然り。家事の手間とかかかる時間とかを考えれば効率化というのは必然的に求められるんだ。よって手間も時間も節約できるカップ麺は割とベターな選択肢なんです!」
「すごい無視して続けるし……」
不本意そうに机に腕を置いた。これが真相だと言うのに何が不服なのか。
「じゃあアンタ、生活習慣病にかかっていいの?」
「……若いから平気平気。へっちゃらへっちゃら」
「それで良いなら私は何も言わないけど」
脅すだけ脅して羽実は食事に戻った。……もしかしていま心配されてたのか? それならもう少し真面目に返すべきだったかな。
「あ、栄養バランスっていうならそれこそあるよ。野菜サンドイッチ。食べかけだけど」
「だから何でそこまで勧めようとするんだ!」
「まあまあ、冗談半分だって」
野菜サンドイッチを突き出しながら執拗に言う洞木はとても冗談で言ってるようには見えなかった。ついでドン引くように洞木へと奇怪な視線を送る羽実が印象的だった。なあ洞木。マジでどうすんのこれから。
─── ─── ───
「アンタたちって、その、アレなの?」
授業前。
昼飯を終えて洞木と分かれた俺は羽実に引っ張られて教室にほど近いあまり使われない通路に連れて来られた。太陽を遮る天井に、昼間だから照明も付いておらず、後者の影が伸びて午後一時過ぎとは思えない薄暗さ。この先は大学院のある研究棟に繋がっており、ただ学部の教室が多くあるのこのエリアへ来る院生はほぼいないためこの通路を使うのは教授くらいだ。
「一応聞いておきたいんですけどアレって……何ですか?」
「アレはアレよ! その……男同士で好きあうみたいな……言わせんじゃないわよ! 次聞いたら殺すわ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。そんな羞恥に塗れた羽実に対して俺が取った行動と言えば天を仰ぐことだった。
……どうしてこうなったのだろう。俺はそんな素振りは見せてないつもりだし、俺にとっての恋愛対象は明確に決まっている。可愛い女の子だ。
「ちげえよ……俺はノーマルだ。アイラブガール、キャントラブボーイ。オーケー?」
「本当? 私もこの手の事情とか深入りしたくないけど……二千翔と洞木さんとは知らない仲じゃないから。そういうの知らずに地雷とか踏み抜いて爆発させたくないし……信頼して良いのよね?」
不安そうに瞳が揺れる。
羽実なりの処世術なのだろう。俺も男友達二人が突然ラブラブし始めたら平常心を保っていられる気がしない。100%戸惑うし距離を置く。その辺り羽実は俺より社交性があるのかもしれない。
「安心してくれ、俺は本当に違うから。ノー問題だから」
「恋愛感情を抱いてないって私の目を見て言えるんなら信じるわ」
「……。」
「おい馬鹿。クソ馬鹿。秒で言葉を翻すんじゃないわよ」
そう言われると目を逸らさずにはいられない。
いや……さ?
俺にも言い分はあると思うんだ。だってアイツ、あのなりだけど女の子だぞ? んでちゃんと女の子すれば容姿も滅茶苦茶良い。おっぱいは羽実の半分もないから是非牛乳募金してやって欲しいけど、美少女は美少女だ。
見た目はイケメン君とは言えそんな女の子に近寄られて鼻の下が伸びない男なんていないし、何なら俺はこれまで一度として彼女を作ったことがない。誰が言ったか信頼のおけるオタクとは俺のことである。この際の信頼とはお前家でネットばっかやって外出ねえから彼女なんかできねえだろ、というマイナスの意味での信頼である。是非とも裏切ってやりたい。
ともかくだ。
洞木は美少女なのは真で俺がその仕草にドキドキさせられているのも真であるが、洞木が男装していることを羽実に話す訳にもいかない。
だからこそ何というか、反射的にうんと頷くことが出来なかったのだった。
「あーっもう! これから私どういう顔してアンタたちと接していけば良いのよ……!?」
「えーと、俺は女の子が好きだぞ」
「洞木さんは?」
「……。」
「黙るな!」
洞木を女の子であるとばらす訳にはいかない。だがホモ扱いされるのも心外だ。どうすればマトモな男子大学生であるとアピールできるだろう……。
そうだ、俺がどれだけ女の子が好きだかその熱量をぶつければ信じてくれるかもしれない。
「じゃあ証拠を出そう」
「……は?」
「良く聞いてくれ羽実。羽実さん。俺は女の子のおっぱいが好きだ。特に黒部渓谷のように深くて豊かで、それでいてI字を描いた谷間が好きだ。物理法則に抗っていて、垂れずに綺麗に形を保つまるで鍾乳石のようなおっぱいが好きだ。双丘の頂きを記している薄桜の小さな蕾がぴんと立っているおっぱいが好きだ。どうだ羽実、俺はこれだけ語れるぞ。物質的な証拠ってんなら俺の家にそういう理想を希求したスクラップ帳ある。足りないというなら三限はサボってあと一時間はこの話を続けられ───」
「いいから、黙れ二千翔」
ピタっと俺の口は止まる。
羽実の瞳はこれまでにないほどの無だった。虚無。能面のように初期化されてしまったかの如く動かない表情筋に、人格が抜け落ちてしまったような眼差し。
その顔に宿っていた感情は一つ。
多分、軽蔑だ。
「ホント、死ねばいいのに」
「……すまん」
やり方を間違えてしまったのかもしれない。
そう俺が反省している間に羽実は背を向けた。
翌日になっても羽実は気分が治らないようで、俺のことを見ると離れた席に座った。
ラインでも謝ったのだが既読すら付かない。にべもない。
いや、俺が悪いんだけどさ。150%くらい。マジで性癖をぶつけ過ぎた。ホントに反省してます。女性に叩き込む性癖じゃなかったね、うん。幼馴染という立場に甘えていたかもしれない。
「っ!」
羽実のことを見ていると、一瞬俺のことを見た羽実がすぐに視線を前に向け直した。
……一応、俺のことを気にはしているみたいだ。けどなぁ。ここからどうやって接すればいいのか。一日明けてあれから一度もやり取りできていない。話しかけても拒むようにそっぽを向いて離れて行ってしまう。
どうするべきなんだかなぁ。
一人で講義を受けつつ、右手でペンを回しながら考える。
何回思案しても当たって砕ける以上の考えを浮かばない。折角幼馴染と仲良くなれたのにこんなのはあんまりだ。いや俺が悪いんだけどさ。うん。最悪土下座外交も辞さない。
にしても。
そこまで怒るなんて思わなかったな……。
アレ以外にも弁明する方法があったかもしれない。でもあの場で他に方法も思いつかなかったし……でもやっぱアレは悪手だったなぁと何度目か分からない後悔が心を覆う。
それに、曲がりなりにも羽実は巨乳だ。そんな彼女におっぱいの素晴らしさを説いてしまったのはもう何というか、アレだよな。セクシャルハラスメントだよな。あれ、そう思うと凄い最低な事をした気分だ。
授業終わりにもう一度話しかけてみる……でも無視されそうだし。じゃあ手を引いて軽く束縛する。……そんなことをすればもう二度と口を利いてくれない気がする。
突然名案が出てくることもなく、久しぶりに睡魔に襲われないまま授業を終えると机の上を片付ける。教室を出ようとして、つい羽実を探すと既にいない。終了してすぐに出て行ってしまったようだ。
アタックするにもこれじゃな……。
後ろ髪を引かれながら教室を出る。この授業、最近はずっと羽実と受けてたから一人で受けると違和感があるんだよな。
……もう一回ラインを送ってみる。
諦め半分、ヤケクソ半分。俺は一分くらい文面に悩むと力強く送信ボタンを押した。
─── 安栖羽実 ───
「やりすぎた……わよね?」
ポツリと、そんなことを呟いた。
夜。午前零時を回って、いつもなら寝る時間帯。
スマホを見ながら羽実は前髪をねじる。
……本当はここまでやるつもりじゃなかったんだけどな。
ちょっと後悔して、でも指は動かない。
安栖羽実は普通の女子大学生である。感性も一般的で、ちょっと人見知りがあるのを含めても平均値から大きく外れない女子大生である。
そんな羽実が保月のあの変態発言を聞いてどう思ったかと言えば……控え目に。くたばれセクハラクソ野郎。この一言に全てが詰まっていた。
だが保月二千翔はそれでも幼馴染である。
クソ野郎と思いつつもそれは別に絶縁を考えるほどじゃない。
別にここまでやるつもりじゃなかった……と言うと語弊がある。これくらいはやって当然、寧ろスカッとしたまである。
ただ羽実はここから仲直りをする方法を考えていなかったのだ。今朝だって反射的に保月のことを拒絶してしまって、その先のことはノープラン。とは言え保月に任せて自分は解決してもらうのを待って受け身姿勢を貫くと言う訳にも行かないだろう。
スマホの画面にはメッセージ一覧が表示されており、あと一つ操作すれば保月二千翔からのメッセージが見れる画面に移行する。でも見たら既読が付いてしまう。見たのに返信してないと思われるのは何となく気まずい。
だけども気になる。あのデリカシー皆無男がどんな言い訳を送信してきたのか。
(うー……これどうすればいいのよ……)
と、頭を抱えてからふと気づく。
そもそもの話、悪いのは完全にあっちだ。なのに何で被害者側である自分がこんなに悩まなくてはならないのだろう。そう考えると何かムカつく。
「あーもう。あー、あー! ……よし、落ち着いた」
全ての鬱憤を叫ぶことで解消させて、羽実はピタリと動きを止めた。近所迷惑なのだがこの際気にしないことにする。だって全部保月が悪いのだ。
スマホでメッセージを送信してあれこれと蟠りを解消させようとしても中途半端な結果になるだけだろう。顔が見えないと当然だが表情も読めない。言葉面だけでは感情の機微が捉えられず、認識の齟齬を生んで更に面倒な事態を引き起こす可能性だってある。羽実は言葉選びが得意な方では無いし、その辺りは慎重を期した方が失敗は無い。実際に会った方が良いだろう。
そう思った羽実は溜息を零しながらスマホを投げる。持ち主によって乱雑に放たれたスマホは緩く放物線を描いて、ぽふっ、とベッドに着陸。酷い扱いをされ不満を訴えるみたいにスマホは通知音を鳴らして画面を明滅させた。羽実は無視した。
そうと決まれば直接会いに行くのが手っ取り早い。大学だと騒がしいから他の場所が望ましい。
「そうね……。明日……はちょっと心の準備がアレだから来週かしら」
よしよし完璧ね、と頷くと羽実はベッドに寝転ぶ。後は場所だけ考えれば終わり。少し考えて、まあ保月の家に乗り込めば良いかと軽く結論を下した。
次話は16日17時です。




