古(いにしえ)の約定
「何故、ついて来た?」
その羅刹は、同じ小舟に乗っていた、もう1人の羅刹に、そう言った。
半裸でありながら、身に付けている装飾品は豪華だった。……少なくとも、人間の職人の大半には、どうやって、ここまで微細な細工をしたか見当も付かないであろうほど、精緻なものだった。
筋骨隆々たる体にも、文字通り悪鬼の如き恐しげな顔にも無数の傷跡が有った。しかし、それでもなお、その姿には、聖堂を護る闘将像のような、ある種の気高さが感じられた。
赤黒い肌。人の髪には有り得ぬ、金属光沢めいた輝きの銀髪。虹色としか言いようがない、彩やかで奇妙な色の両眼には、白目の部分がほどんどない為、人間からすると視線の向きが読みにくく、そのせいか、どこか無表情に見えた。
太い腕は二対四本。
連れを咎めてはいても、その口調は、不機嫌そうでは無い。愚かな子供が馬鹿な真似をしでかした時のような、やれやれとでも言いたげなモノではあったが。
「しかし、私は、これでも……」
もう1人は、人間に近い姿の男だった。
肌や髪の色も、体格も、弥芭提国の成人男性の平均に近い。
着ている服も弥芭提の武士階級のものだった。
「人間向けの大仰で滑稽な名乗りには、何の意味も無いぞ。我らが主にとっても、この辺りに居る我らが主の怨敵にとっても、そなたは、単なる取るに足らぬ半端者に過ぎん。死にたくなければ帰れ、と言いたい所だが……もう遅いようだな」
その時、海霧の中に十二の光が浮かんだ。
それは目だった。
巨大な4つの顔に、それぞれ有る3つづつの目。
やがて、霧の中に陰が浮かぶ。
3つの目を持つ、長い蓬髪を逆立たせた巨大な頭。それが3つ横に並び、更に、その3つの上に4つ目の頭が乗っていた。
「何をしに来た? 我が旧敵の眷属よ」
「阿修羅の皇の御一柱にあらせられる羅睺聖上とお見受けいたします。我が主より、聖上陛下に『間もなく、この身が住まう島国の結果を解く故、再戦の御用意をいたされたし』との御言葉を伝えよ、との命を受け、ここに罷り越しました」
「休戦の約定の終りと、再戦の約定の開始か……。大儀である。そなたの主にして我が旧敵には、結界が消えた時をもって、古の戦いを再開すると伝えよ……」
「畏まりました」
やがて、小舟は去っていった。
「兄弟よ……これで良いのか?」
4つの首の背後に、更に巨大な陰が現われた。
首のない、胴体だけの陰。上半身は無数の腕を持つ巨人。下半身は太い蛇の尾だった。
「兄弟?」
「他に何と呼べばよい?」
「……たしかにな……」
「で、どうなのだ? 再戦こそが我らが取るべき唯一無二の選択だと思うのか?」
「違うのか? ようやく終るのだぞ……。この世界の者達は、神々と呼ばれた我々より解放され……やっと、勇士も小心者も、賢者も愚者も、王も奴隷も、等しく、己が手で己が運命の手綱を握れるようになるのだ」
「無数の命を犠牲にしてな」
「天地開闢の時代に役目を終える筈だった我々が、こんな時代まで生き残ってしまったせいだ……。後の世の者達は……我らを神ではなく、悪と見做すであろうな……」
「後世の者達が我らを覚えているとすればだがな」