仮想をはなれて日常
「ふぅ…」
ひとつ短く息を吐いて、6時間つけっぱなしだったヘッドフォンを頭から外す。
椅子から腰をあげて伸びをすると、身体の数箇所からパキパキと関節が鳴った。
人間座りすぎると寿命が縮むと聞いたことがあるけど、つまり長時間座りっぱなしのライバーたちは文字通り命削って配信をしてると言えるのでは。
「配信は…ちゃんと切れてるな、よし」
PCのモニターが配信停止を示していることを再度確認してから、ゆっくりとカーテンを開くと、
「ゔっ…」
射し込んできた眩しい光が眼光を焼いた。朝6時でこの調子だと今日も猛暑日だろうか。
ここ数日ニュースは熱中症の被害報告ばかりだ。アナウンサーは番組終わりに必ずお決まりの注意喚起文を読まされている。
ポケットからスマホを取り出して今日の最高気温でも確認してみたくなるけど、スマホがない。
「どこやったっけ…」
机の上にスマホらしき姿を確認するが、あれは違う。
あれは所属している事務所から、デビューするときに渡される配信用のスマホだ。あれに普段やっているSNSアプリもソシャゲも入ってはいない。
「うーん…机の上、いつも挟まりやすいソファーの間、洗面所…」
いつもスマホを置き忘れやすいところを片っ端から探してみるが、今回は見当たらない。
「マジでどこやった…」
やれやれ、と顔を上げると洗面所の鏡で自分と目が合った。
徹夜した顔はどうもぼんやりとしていて、目は半開き。昨日風呂はちゃんと入ったとはいえ頭はボサボサ。メガネ姿も相まって引きこもりのニートみたいな風貌を醸し出している。
この姿じゃ宅急便に出るのも恥ずかしいくらいだ。
「…シャワー浴びるか」
自分のあまりにだらしない姿を目の当たりにし、そうせざるを得なかった。
やれやれ…モニターの中の自分の姿と比べるととてもじゃないが比べものにはならない。
自分の顔面偏差値については少なくとも不細工ではない…と自覚しているが、人間だらしなくなろうと思えば誰でもなれる。
どんなに眉目秀麗な俳優や女優さんも、日常を探せばだらしない所は絶対にあるし、プライベートに密着されてしまえば、「え…誰だこいつ」と言われるようなダラダラオフショットも撮れるはずだ。
だからテレビやモニターに映っている姿がどんなにイケメンや美女でも、その人が常にイケメン美女であると期待してはならない。
まぁ…俺の場合はモニターの前だと、ただのイラストなんだけど。
だからこそバーチャル。
どんなに綺麗なイラストの身体をもったバーチャルライバーも裏は生身の人間である。
しかしそれを感じさせてはならない。つまるところ我々バーチャルライバーとは、夢の国の鼠さんと一緒なのである。
もしその仮面の下を覗かれてしまったら、ファンの人たちはどう思うんだろうか。
「さすがにイラストよりイケメンな人間なんておらんしな…」
そんな卑屈をシャワーで洗い流そうと、シャワールームの扉を閉めた。
──────────
シャワールームからでて身体を拭き、コンタクトをはめる。ヨシ! そして鏡を見る。
そこにはさっきみた自分よりも遥かに印象が良くなった好青年がいた。ヨシ!
人間、シャワーとコンタクトだけでここまで見た目が変わるのだから不思議なものだ。女性も化粧と加工で別人になれるって言うしね…。
脱衣所の扉をひらくと、ピロリン♪という聞き慣れた音が無音の部屋に響く。机の下あたりからだ。
さっき机の上は確認したけど、さすがに下は見なかったな…。
椅子をどけて膝をついて覗き込むと、どうも机から落下したらしいもう一台のスマホが見つかった。
「こんなとこにあったか」
昨日配信中に落としたかな。ゲームに夢中で気づかなかったのかも。
ホームボタンを押すと待ち受け画面が表示される。充電のパーセントが1桁になっていたので充電器を差しこみながら、通知を確認した。
「ん、ヒカリから…? なんかあったっけ」
連絡の主は、同じ事務所に所属しているバーチャルライバー仲間。
通知をタップするとSNSアプリが立ち上がる。
ちなみにこの主とは別のSNSの連絡先も交換しており、バーチャルライバーとしてではないプライベートの連絡ならそっちでするという約束が成されている。
(なんかコラボの約束でもしてたっけ…)
普段なら1人で配信や動画を撮るVtuberだが、別の同業者と一緒にそれらを行うことをコラボと呼ぶ。
ひとり黙々とゲーム配信をしたり、雑談配信をすることが多い者もいる一方で、他の人に積極的に声をかけ、ほぼほぼコラボしかやらないVtuberもいる。
事務所に所属している者なら、同じ事務所の人とコラボもしやすく、コラボから事務所内の輪を広げていくことも多い。のだが、
『はい問題!!! 今日は何の日でしょうか!!!(外したら配信内で晒す( #`꒳´ ))』
……なんのこっちゃ。
「新しいエナドリの発売日、っと」
今日は若者に大人気のエナドリの新版の発売日。前作は赤色の巻パッケージだったけど、今回は何色かな〜???
これは紛れもない事実。だがこの相手がそんな返答を求めている訳もなく、秒で返信が返ってきた。
『燃やす』
やめてくれ。
VtuberやYourtuberなど、ネットの世界で生きる者たちは皆、「燃える」という言葉が天敵。
炎上と垢BANだけは…お見逃しを……。
しかしな…。
何か予定があればどんなに細かいことでも即座にカレンダーアプリに書き込むようにしているのだが、何度みても今日の予定は空白。
書き忘れ…ることなんてほぼない。
となるとなんかの記念日…とか?
『なんかの記念日だっけ』
そう返しておいた。
分からないことは聞く癖は大切。でも「分からないことは何でも聞いて!」って力強く言ってくる人ほど、聞くと「自分で考えろ!」って怒るの何でだろうね!