3話 2018年1月
【2018年 1月】
共同生活を始めてから8か月。香子の献身的な支えもあってか瀬里はジャーナリストとして何とか生計を立てられるようになり、再犯の危険性も認められなかったことから、香子は瀬里の家から出てゆき、二人で過ごす時間は公には日中だけとなった。
つまり、瀬里は『独立』したということになる。
これまでの瀬里の香子との生活は充実したものだった。
朝は決まった時間に香子に起こされ、彼女の作った朝食を食べ、平日ならば瀬里が取材に行くのに香子が同行し、週末ならば香子が行きたがるボランティア活動に連れていかれる。夕食は彼女の友人を招いたり、セラピーで一緒になった別の組と共にしたりと様々だが、二人っきりとなれば何かにつけこんで二人同じベッドで夜を明かすこともあった。
それに引き換え、今は瀬里の仕事に香子が顔を出すことはあっても、休日にやる彼女のボランティアを共にすることは少なくなってしまった。
「香子さん、浮かばれませんね。何か悩み事でも?」
香子が一人の時、仲間からそう聞かれることが多くなった。
「悩み事というか、心配事ですね。仕事の関係上、心配するのが癖になっちゃって……」
「良かったら、話し相手になりましょうか? 喋るだけで気が楽になることもありますよ」
「気持ちだけで結構です、守秘義務もありますし」
決まって、そう香子は断り続けていた。
ボランティア活動をする上で、それに積極的に行っているのはフェムライたちで、香子のような完璧に趣味としてそれに勤しんでいる者は少数であったからだ。先程のような質問をするのも、フェムライがほとんどで、ある程度の彼らとの一線は彼女なりに画していたのだろう。
だが、瀬里と夜を重ねるごとに、彼女の中で少しずつ違和感が芽生えてきた。
瀬里との関係に不満があるわけではない。むしろ満足していて幸せすらも感じている。しかし、体に触れ、愛を確認してゆく度に、香子の胸の中に一抹の不安が戸を叩いてくるのだ。
それに焦って答えを求めるあまり、彼女はボランティアでよく合う一人のフェムライに疑問を打ち明けてしまった。
「これは、友達の話なんですけど……」
香子は、決まり文句に続けて語りだした。
一言。
また一言。
自分の胸の中にあるこの違和感を言葉に表していくと、自ずとそれが確固たる感情に結びついて、姿がはっきりしてくるのが分かった。
「そんな、でも……」
香子が得た答えは、『罪悪感』であった。
誰に、何に対してではなく、ただ彼女は同性を愛してしまったことに本能的に罪悪感を抱いてしまっていたのだ。
「答えが、分かったようですね」
動揺する彼女に、話を聞いていたフェムライは静かに言った。
フェムライは元々禅宗から派生した宗教、つまり倫理観はその大元の仏教に通ずる。なので、さもキリスト教やイスラム教らしく同性愛が罪という言説を持っているわけではなく、自らにある仏性、良心と対話し善行によって正当性を得ようとする。
したがって、フェムライたちからしてみれば、ボランティアというこの上ない善行をしている香子は何ら間違っていない、と言いたげだが、彼女は違った。
香子は、瀬里を愛している。壁にぶつかり、それに抗おうと必死に努力して、そのせいで人生のどん底に落ち、それでも這い上がろうとしている瀬里を、愛している。瀬里のためなら、彼女は命だって差し出すだろう。それなのに、その感情を自らが否定している。自分ではどうすることもできない、絶対的な本能が拒んでいる。
その事実に、香子はショックを受けた。
「違う、違うの……。私は、決してそんなんじゃ……」
香子の赤く染まった頬からは涙が伝い、深くうなだれた。
「一晩考えてください。貴女が、彼女をどう思っているのか、これからどう接していたいのかを。その心に対しての答えが見いだせなかったのなら、私たちがお手伝いいたします」
こうして、香子とフェムライの話は終わった。
フェムライに見送られて夜の街に出た彼女は、力なくその歩を進めてゆく。
週末に浮かれる人々の流れが、今の香子には染みるほど痛い。恋人のたくましい腕に寄り添ってブティックをまわるカップルや、校則を破って制服でデートする若い学生。その『普通』の幸せが直視できない。
私も幸せのはずのに、なんで?
声には出せなかった。
ただ立ち止まって、考えるのだ。
年が明けたばかりの、寒空の中に消えてゆく白い吐息を見送りながら、瀬里のことだけを考えていた。
Prrrrrr……
香子は、無性に瀬里の声が聞きたくなって電話をかけていた。
『瀬里の携帯です』
「あ、瀬里? 私だけど―――」
『残念だけど、今電話に出れないんだ。悪いね。伝言を残すならピーって音の後に言ってくれ……』
そっと、通話を切る。
出たのは瀬里ではなかった。録音した、冷たい声。瀬里ではない、偽物の音。
香子は、結論を得た。
一晩も考える必要はない、と。
そのまま踵を返して先ほどまで話していたフェムライのところまで駆け足で向かう。
「……、本当にやるんですね」
「はい。ですが、一度だけです。私は瀬里を愛しています。この感情に嘘はありません。それを、証明してやるんです。そのためには、何だってやってやりますよ」
香子は、強く言った。
瀬里の話を聞く限り、フェムライたちは何やら怪しい集団だと、思っていた。何の報酬もなく善行をなせるのは限られた人間だけで、フェムライのような集団でそれをやっているのは必ず裏があるからだ、と。
瀬里と出会う前から少なからず香子もそう思っていたので、それを疑うことはなかったが、ボランティアを通してフェムライたちと過ごしてゆくうちに、フェムを行うことで浮世とは離れた感性を手にした彼らに興味がわいてきたのも事実だ。
裏に何か隠していようと、善行は善行。
そんな彼らなら、今自分の抱いているこの『罪悪感』の正体や、瀬里への愛情の証明を、フェムで導き出せると思った。
フェムライについて行き、香子は棺桶にたどり着いた。
死者を埋めるためのものではない。百合の花が敷き詰められた、フェムライたちのアイデンティティたる棺桶である。
「百合の花言葉をご存知ですか?」
敷き詰められた百合を一つ取り上げて言った。
「『純潔』と『威厳』です。フェムの花にはこれといった決まりはないんですが、見栄えと花言葉の綺麗さもあってか、皆さん百合を好みます。初めての方なら特に」
フェムライは百合を戻すと、その手で香子の手を取って、
「さぁ、横になって……」
彼女を棺桶の中へ。
「怖がることはありません。体を花に任せて、心を無にするのです」
頭に半球状の機械をかぶせ、フェムライは棺桶のふたを閉めた。
「それでは数分後、またお会いしましょう」
機械から、ミストが流れてくる。
香子は瞳を閉じて、瞑想する。
深呼吸をすると、肢体の感覚は敏感になり思考が冴えわたってくる。
呼吸で花を擦る音。
機械の駆動音。
蓋からこぼれてくる光。
全てを余さず感じ取れる。
ふと、思い出したかのように瞳を開け、周りの百合の花を見る。
敏感になった視覚は、わずかな光でも百合の色を見分けることができた。
黄色い、百合の花。
この時、香子はその花言葉は知らなかった。
全ての百合の花言葉が、代表的な白い百合の『純潔』と『威厳』だと思っていたから。
黄色の百合の花言葉は、『陽気』と『天にも昇る心地』。
そして、『偽り』。
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