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バタンッ
「ただいま、戻りました!」
シモン先生と入れ替わるように、アナが息を切らせて帰ってきた。
「あらあら、そんなに急いで帰ってこなくても大丈夫よ?」
「いえ、そんなわけには…。今回はすぐに帰られるというので、少しでも長くいたいと思いまして…」
「まぁ!ねぇ、ダンサー聞いた?少しでも長いいたいだなんて…私感動しちゃう!私もアナの側にずっといたいわ」
「…っ導師様」
「アナ…っ」
抱擁をかわす2人に冷たい視線を向け、ダンサーがいった。
「先程、先生がきて熱が出るからあとよろしく!ってアナに伝えとくようにって言伝だよ」
「あ、先生もういらしたんですね」
「お忙しいようですぐに帰ったわ」
アナはけが人の前までいくと、水の精霊魔法を使用する。
言霊ではなく歌詞のない歌を口ずさむ詠唱方法が精霊魔法の特徴である。精霊によりそのフレーズは異なる。力のある使い手になると、精霊への名付けを行いその名を呼ぶことで喚び出しが可能となる。名をつけられた精霊はその生命つきるまで、名付けた使い手を慕うといわれている。
アナがフレーズを詠いおわると、右下腿の水球から、小さな水の精霊が現れた。
「精霊への働きかけは相変わらず上手だわ」
「文句なしだな」
「次来た時には、もう少し力のある精霊を呼び出す練習をしましょうか」
「ダンサー様、導師様、ありがとうごさいます」
アナは水の精霊に向き合い、胸の前で手を組み念じる。力のある精霊の場合言葉により意図を伝えることができるが、力の弱い精霊には念を相手に送ることで意思疎通をはかる。魔法と比べて時間がかかるため、使いどころは限られるが、細やかな指示が入り調整もスムーズに行うことができる。
アナは水の精霊に対して熱が上がり始めたときに教えてもらいたい、そして熱が上がりきった後は少しずつ身体を冷やすようにと伝えた。水の精霊はアナに口づけをして、そのまま自分が司る水球の中に戻っていった。
「アナはシモン先生の手伝いをよくしているのか?」
ダンサーは何気なく聞いてみたところ、アナは大層慌てて答えた。
「あ、いえ、そんな毎回ではないんですが、お世話になっているので、孤児院の手伝いもしていますし…」
「…あぁ、ごめんごめん、咎めるつもりはないんだ。むしろ積極的にやってくれて構わないんだ」
「そうなのよ、私たちはディアナ様のお心のまま、すべてのものに精霊の祝福を、が教理なのよ。だからあなたのしていることは私たちとしても鼻が高いわ」
2人はアナが精霊教の教理をよく理解していると感じ、顔を見合わせながら頷いた。
「前からダンサーとは話していたんだけど、アナ、次の段階にすすんでみましょうか」
「次の段階ですか?」
「ええ、そうよ。今はまだ初級の精霊魔法をさらってもらっているけど、次は中級ヘすすんでみましょうか」
導師は自分の荷物から『精霊魔法 中級編』と銘うったハードカバーの本を渡した。
「次回までに読んでおいてね。試そうとはしないようにね」
「初級から中級にかけてはクリアしないといけない課題がある。それをクリアしないと中級には進めないからな」
導師に続き、ダンサーからアドバイスをうけアナは神妙に頷く。
「私は精霊魔法は使えないけど、中級の精霊魔法習得したら精霊の名付けができるかもしれないわね。頑張りなさい」
「わかりました」
「それでアナ、明日は午前中にはここを出発するからな」
「ごめんなさいね、昨日の今日だからもう少しいたいのだけど…」
「またすぐくるつもりだから、気負わずに何かあればすぐに連絡をしてくれ」
「お待ちしております」
アナは2人に頭を下げた。
その日の夕方
水の精霊から熱が上がってきたとのことで、けが人の元へいくと熱が上がっている途中のためか、荒い呼吸と激しい振るえ、大量の汗がでていた。
「う…っ」
アナは呻いたけが人の汗をふき、振るえに対しては掛物を追加しながら様子を見ていた。
「アナ、私たち先に休むわね。後で交代しにくるわ」
「はい、わかりました」
導師とダンサーはそのまま部屋をでた。それを見届けたアナは先程、導師より譲り受けた『精霊魔法 中級編』と書いてある本を取り出した。
作者は精霊魔法に関して著名な人物が連なっている。章によって作者がかわっている形で、第1章から第10章からなる内容になっている。
目次を確認しようとすると、すぐ側で身動ぐ気配を感じた。けが人の様子をみると、薄っすらと目が開いており身体を動かそうとしていた。しかし、痛みのためか身体はまったく動こうとはせず、目の焦点もあっていない状態だった。
「…ぐぅっ…ぅ……ここは…?」
「…っ目を覚ましたのですか!?」
「…あなたは…?」
「私はアナといいます。何か飲みますか?」
「…身体中が痛い…」
「崖崩れに巻き込まれてしまったようです。まだ回復していませんし、熱も高いです。もう少し寝ていた方がいいですよ」
会話はなんとかできるが、視線はあまりあっていない状態だった。アナはいつも診療所の手伝いでしているように、手を握り額に手をあててあやすようにいう。
「大丈夫です。助かりますよ。だからゆっくり寝ましょうね」
けが人はじっとアナの顔を見る。
「…あ…な……、ぼ……の…………し……すか……」
(ごめんなさい、ききとれなかったわ)
「…おやすみなさい」
その後間も無く、眠りにつくが熱や痛みのためか眠りが浅かった。時々おきてはアナの手を握り、そして寝ることを繰り返していた。
夜半になる前にダンサーがやってきた。
「遅くなった。どうだ?様子は?」
「なんとも言えません。熱はまだ下がりませんし、時々起きて寝てを繰り返しています。やはり苦しそうです。」
「そうか…」
そういうとダンサーはけが人の額に手をかざす。そうすると荒かった呼吸が少し落ち着いた。
「少し深く寝るようにした。あとは任せておけ」
「はい、ありがとうごさいます」
アナはそういうと退室しようとし、ふと思い出したかのように立ち止まった。
「ダンサー様、先生はこの方の足のことは何かいってませんでしたか」
「…あー、足か」
「はい」
ダンサーはシモンが昼前にいっていたことを思い出した。
(言うべきかどうか悩むところだな)
アナは優しすぎるため、けが人の足のこと、帰る場所がないかもしれないことを知ると『これも縁だわ』といい、世話をする可能性があった。限りなく高い可能性で。
さらにけが人はダンサーもよく知る人物で、決して善人という部類ではなく、むしろ性格の悪さにかけては右に出る者がいないかもしれないと思うほど。その2人が1つ屋根の下にいるということは、悪い想像しかできない。
ここにくる前に、その事を導師とも話し合っていたのだった。
「まぁ良くも悪くもなく、まだなんとも言えないってところだな」
「旅人のようでしたから、良くなって目的が果たせるといいのですが…」
「そうだな、そのためにもアナも早く寝て明日に備えようか」
「はい、そうですね。おやすみなさい」
そういうとアナは自室へ戻っていった。
ダンサーと導師が2人で話し合っても結局真実はいえず、さりとて嘘もいえない、歯切れの悪い回答になってしまった。
2人はシモンにも口止めをするつもりで、出立時に診療所兼孤児院によるつもりだ。そしてなるべく早くまたアナのところにきて、解決を図るつもりだったのだ。
2人がくる前に全てが終わってしまわないように…。