サザン古武術
何故サザン古武術伝承者ハンニバル‐ヨウほどの人物が僕みたいな落ちこぼれの冒険者を弟子にしてくれたのか。
その理由はサザン古武術特有のある特殊性があげられるだろう。
サザン古武術というのは帝都サザンクロスの繁栄とともに様々な形や流派に派生して発展していくのだが、その本質は百八曲からなる剣舞曲である。
その歴史は古く、サザン士族がハンガル半島で小国家を形成していた頃にさかのぼる。
そして、その始まりはサザン士族の始祖と言われているダンタ‐サザンの生涯を古舞里というサザン士族に伝わる民族楽器で奏でて唄い踊る舞曲であった。
それが後に、この地域に伝わっていた武剣術と融合してサザン古武術の基本であり原型であるサザン百八剣舞曲となってゆくことになる。
サザン百八剣舞曲は名前のとおり、一曲が十分程で構成された百八曲からなる舞曲で、その一曲一曲にそれぞれの足さばき、体さばき、呼吸法、剣術の所作と型が存在している。
サザン古武術発祥当時からこの百八ある剣舞曲の型をすべて覚えるのは至難の業とされ、それを、覚えた者のみにサザン古武術伝承者への道が開かれたのだと言い伝えられている。
おそらく、覚えにくいという特徴のあるサザン古武術だからこそ、ヨウ老師は絶対記憶を持っている僕を弟子に選んでくれたのではないかと思っている。
そして、これは後から聞いた話であるが、覚えることが不可能とされるサザン古武術の歴代伝承者の中には実際に絶対記憶の持ち主が何人もいたという話である。
言い換えれば、ハイパーサイメシアぐらいじゃないと伝承者になれないのがサザン古武術なのである。
ヨウ老師が僕と同じ能力を持つ人を知っていることは、コミュ症の僕にとっては、なににも代えがたい救いであった。
そして、ヨウ老師にとってもサザン古武術は自分の代をもって伝承されておらず滅びつつある武術であることがわかっていたので、なんとか後世に伝えたいという思いがあったに違いない。
そして、僕はヨウ老師の弟子になったあの日以降、絶対記憶の能力を存分に使い、百八日かけてサザン百八剣舞曲をすべて覚えることになったのだ。
――――――――僕はエヴァ‐M‐ユグドラシルから視線を外しゆっくりと目を瞑る。
目を瞑り、呼吸を整えて、深くゆっくりと空気を吸い込んで一旦腹に溜め込む。そして、吸い込んだ時間の倍かけてゆっくりと鼻から吐き出してゆく。
その腹式呼吸を何度となく繰り返していくと、いつしか真っ暗な視界にスッと光が差す。その小さな光はやがて大きく広がりをみせ、視界に目映い世界を映し出す。
僕はいつもこの時、全方位地平線が見渡せる草原で自分を俯瞰している映像をイメージする。
すると、遠くからヨウ老師が奏でる古舞里の曲がかすかに聞こえてくる。
(‥‥‥いったい今日の曲は何番曲だろうか?)
考えているとその音は次第に大きくなりはっきりと聞こえてくる。
(‥‥‥‥‥今日は三十六番剣舞曲‥‥「覇道」か。)
そして、僕はこの流れてくる音楽に身を任せ、ヨウ老師に教わった通り踊るような足さばき体さばき剣さばき、そして呼吸法までも型通り真似してゆく。
次第に流れる音楽はどんどん速くなっていき、僕も所作動作を速める。
そして、その流れるような舞曲は激しく速くなり僕の身体能力の限界を容易に超えていく。
この辺りになってくると僕の記憶力をもってしても思い出せないほどの開放感というか全能感を感じてくる。
おそらく、大量の脳内物質が出ているせいだろう。
この大量の脳内物質とともに記憶と時間感覚と空間感覚が無くなってしまう。
そして、ある時点を越えると突然スッと現実感がもどってくる。
おそらく、これは僕のフィジカルの問題である。もっと身体が鍛えられていれば、もっと精神が強くあれば、もっともっと長く無心の状態で剣舞曲を舞いつづけることができるのだと思う。
これ以上、舞いつづけることができないのだ。たぶん、フィジカル的にもメンタル的にも危険な状態なのだろう。
それでもヨウ老師に習い始めた頃に比べれば、時間にして倍以上にのびている。それだけ成長しているだろうとは感じている。
うっすらと意識が戻ってくると、感覚だけで舞っている剣舞に意思の力で徐々にゆっくりとしたものにしていく。
そして、三十六番剣舞曲「覇道」の最後の一曲は意識してゆっくりと舞ってフィジカルとメンタルに現実感を覚醒させながら終曲へと向かってゆく。
終曲すると同時に身体の動きを止めて、ゆっくりとした腹式呼吸に切り替え、それを何度も何度も繰り返して呼吸を整える。
そして、僕は呼吸が整ってから最後に「………ふぅ。」と息を吐いて身体の力を抜きゆっくりと目を開けた。
ここまでの所要時間はきっかり二時間。たぶん現在の時間は朝の六時二十分のはずである。
その証拠に槍術の訓練をしていたエヴァさんが訓練を終えて、訓練場の地ならしと片付けに入っている。いつもの時間通りである。もう少しすると帰り支度を終えたエヴァさんが僕の横を通って帰る筈である。
そうなるように毎日僕は時間と場所を計算してここに立っているのだから。
エヴァさんは僕がいる位置から三メートルほど右を大股で歩いてくるはずである。
僕の横をすれ違う瞬間を狙って「 お疲れさまでした。」と挨拶すれば必ず彼女はあの冷ややかな瞳で僕を一瞥して、まるで虫でも見るような目で「……お疲れさま。」と返してくれるはずである。
自分では自分のことを正常だと思っているが客観的に見ればちょっと変態なのかもしれない。
あの挨拶を返しくれる時の虫でも見るような冷ややかな瞳に一瞥されると僕は本当にゾクゾクとして鳥肌がたってしまうのだ。
その為に一年間ここに通いつづけたと言っても過言ではない。
そうこうしている間に、エヴァさんが片付けを終えてこちらの方向に歩み寄って来ている。
僕はすれ違う瞬間を地ならしをしているふりをして待っていた。
だが、なんとエヴァさんはなぜか今日に限って足早にこちらの方向に歩いてきた歩みを僕の目の前でザッと音をたてて止めたのだ。
「おっ‥‥‥‥‥へ!?」
コミュ症の僕はいつもと違う状況に一瞬でパニックに陥った。‥‥なんで?なぜに?これはどういうこと?なんで彼女が目の前にいるの?訳がわからなかった。
あまりに突然のことにとんでもないアホ面で彼女のことを見上げていた。
そして、ようやく頭が動き出す。動き出すと猛烈な勢いで回り始めた。
‥‥彼女が僕の目の前で止まった理由を検索せよ。
(‥‥検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検索検‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。)
脳ミソをフル回転してあらゆる可能性を考えて検索してみたが答えは出て来なかった。
そして、アホ面で彼女の顔を見上げていると、彼女は少しだけ困ったような顔をしてから口を開いた。
「んと‥‥‥今日から君とわたしはバディになるらしい。よろしく頼むよ。」
「へ?‥‥‥へ‥い‥‥?」
そう、これが、コミュ症の僕と彼女がおこなった最初のコミュニケーションになってしまった。
ありがとうございました。