ハンニバル‐ヨウ
しばらくの間、彼女の迫力ある激しい訓練の様子を見入ってしまっていた。
――――――彼女は凄い。
本当に凄いと思う。なんであんなに自分のメンタルを律することができるのか。なぜあんなにフィジカルを無視して強さを追い求めることができるのか。
僕には理解できない。頭ではなんとなくわかる。 おそらく彼女の求めるもの、あるいは目標としていることがとんでもなく高いのだろうと‥‥。
でも、どんなに高い目標を持っていても所詮人間である。怠けたいときもあれば、自分の限界を知って怯んだり悩んだりすることもあると思う。
僕なんかと比較するのもおこがましい気はするが、僕は毎日いろんな事に悩み、怖れ、逃げ、堕落し、落ち込んだりして日々を過ごしていたりする。
だけど、彼女からはそういったネガティブな感じがまったく伺えなかった。
本当にどうして彼女はなんであんなにも自分を律することができるのだろうか?
ひるがえって、僕自身はどうなんだろうか?
まあ、彼女に比べればまったくもって情けなくはあるのだが、一週間前、一カ月前、半年前、一年前、一年半前、に比べれば少しずつ少しずつではあるが成長はしていると思う。
特に、ヨウ老師と出会えたことは僕の人生の中で、かけがえのない縁というか運命だったと言える。
もしヨウ老師に出会えてなかったら?‥‥それを考えたら本当に恐ろしくて寒気がしてしまう。
もし、老師に出会えてなかったら僕はおそらく冒険者ギルドを辞めて路頭に迷うか、あるいは決して帰りたくない故郷に帰ってるかしていただろう思う。
そう、あの日は冒険者ギルド訓練生卒業式後十日程経った暑さの残る十月の夕暮れだった。
その日、僕は荷揚げのアルバイトを終えて宿舎に戻り、ベットに仰向けに転がって、この先どうしようかと考え、なんとなく途方にくれていた。
十日前に半年間にわたる訓練課程を終えて、簡易的な卒業式が行われた。
当初三十五人いた訓練生のうち結局二十七人が卒業できたわけである。
死人は出なかったものの怪我やメンタル的な問題でリタイアした者達も数多くいて、僕的には冒険者ギルド訓練生課程はかなりきついものだった。
卒業式に発表された僕の成績は座学がエヴァさんと並んで二十七人中一位、実技が二十七人中二十七位(実技試験では断トツで悪い成績)という結果であった。なんとか落第せずにすんだのは座学の成績のおかげである。
こんな感じだったので先輩冒険者から声もかけられないまま卒業式の日を向かえてしまっていた。
ほとんどの訓練生達は卒業前に入るパーティが決まっていたり、仲間内でパーティを結成したりしていて、卒業式の日にまだパーティに入れずに残っているのは僕くらいのものだった。
エヴァさんなどは座学、実技試験ともにトップの首席卒業だった為に、上位冒険者パーティによる争奪戦の的となってしまったほどである。
そんなことを考えながら、なんとなく途方にくれていると、どこからともなく「~‥‥ロン~‥‥ポロロン~‥ポロン~」というなんとももの悲しい弦楽器を奏でる音が聞こえてきた。
それは弾き手の熟練ぶりを思わせるなんとも繊細な美しい曲で僕はベットの上で仰向けに転がったまま目を閉じて聴きいっていた。
しばらく転がったまま聴きいっていると、ふと、ある疑問が頭の中に浮かんできた。
この美しい曲を奏でているのはどんな人(女性)だろうか‥‥?
そう考え始めると居ても立ってもいられなくなり、ガバッと起きあがり部屋を出た。
その音はどうもブラックプール事務所本館の裏にある第二野外訓練場の方から聞こえてくるようであった。
僕はその美しい曲に誘われるようにふらふらと訓練場の見えるところまで来てしまった。
暗い。訓練場にはいくつか古いランプが備え付けられていて真っ暗闇という程ではないけど明るくはない。
右手の奥にあるランプの下に座っている人影があるのが見える。どうやらそこから聞こえて来るみたいだ。
そしてゆっくり近づくにつれてだんだん座っている人影がよく見えるようになってきた。
そしてその人影を間近で見て僕は驚愕のあまり目を見張った。
僕は勝手に美しい女性が弦楽器を奏でているのをイメージしてしまっていた。だけど、そこにはしわくちゃで小さな生物が楽器を弾いている姿が見えたのだ。
「ゴ、ゴブリンッ!?」
「―――だっれがゴブリンじゃぁぁっ!!」
思わず言ってしまった僕の言葉に、ガバッと立ち上がり声を張り上げて突っ込んできた。
あまりの素早く激しいツッコミに僕はびっくりして「―――わっ!!」と言ってしりもちをついてしまった。
そして立ち上がった目の前にいるしわくちゃで小さな生物をよく見てみると、どうやらゴブリンではなく人間だったようだ。
「‥‥‥にん‥げん‥?」
「あったりまえじゃぁっ!こんのばかたれがぁ!!」
しわくちゃで小さな生物(人間)が顔を真っ赤にして弦楽器を振り回し怒っている。どうやらおじいさんだったようだ。
「―――わっ、うおっ、うへぇ!すっ!すみっ!すみませんっ!!」
僕は振り回される弦楽器を必死に避けながらとても綺麗にざっと土下座を決めた。
「――――――すみませんでした!!」
「‥‥んぁ?」
土下座して謝ると弦楽器を振り回すのを止めて僕に疑いの眼差し向けて。
「‥‥ああん?なんじゃ小僧、いっつもおちょくりに来る若造どもとは違うんかい‥‥?」
「あ、は、はい!。ちがいます、ちがいます。ぼ、僕はただただ、きれいな曲が聞こえるなと思って‥‥。」
「‥‥ほう、わしの弾く古舞里の良さがわかるんか?」
そう言いながらおじいさんは振り上げていた古舞里という三線の弦楽器を下に降ろした。
「‥‥こいつの良さがわかるとは小僧なかなか見所があるのぉ。なんじゃわれは若いようじゃが冒険者か?」
「あ、はい‥‥いえ、冒険者ではあるんですけど‥‥‥なんというか微妙な立ち位置でして‥‥‥。」
「‥‥あん?なんじゃ、なんとも煮え切らんのぉ。じゃぁ、見習いか?」
僕が「あの‥えーと。その‥‥いや‥‥‥。」と呟いてもじもじしていると。
(―――――バシッ!!)
「バカまじめかぁぁっ!!」
後頭部をおもいっきり叩かれた。
「ほんに、ぶつぶつと煮えきらんのお。‥‥まあ、知っておるわ。これでもこのギルドの剣術講師のはしくれじゃ。‥あれじゃろ、五十五期生の落ちこぼれじゃ。違うんかい。」
僕はこの老人が自分のことを知っていることにまず驚いた。そして、それよりも目の前にいるこの老人がギルド講師であることに驚いていた。
記憶になかったのである。そんなことがあるはずがない。
僕は自分の記憶領域の中を一生懸命に探し回った。
(―――――――――あった。)
サザン古武術。十五代正当伝承者。ハンニバル‐ヨウ。年齢不詳。
覚えてはいないが、どこかでこの記事か記録に目を通したのだろう。もしかしたら、アイスさんに冒険者ギルド本部の査定表を見せられた時かもしれない。
だけど、もし、これが事実なら、この目の前にいる老人はとんでもない人物である。
ありがとうございました。