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数年後‐雪山



 「‥‥‥どうじゃ。エヴァ。きついか‥‥?」


 ロンじいの声が聞こえた。見上げるとわたしと同じ赤熊の外套を被ったロンじいがそこにいた。どうやら、杉林の谷間でわたしを待っていてくれたようだ。


 「‥‥きつうはない。」


 そう答えたが、完全にやせ我慢だった。実際は手足は冷たく、身体はだるく、呼吸は息苦しく、足は上がらなかった。


 「ほうか、ほうか。きつくてもきつくない言うところがエヴァのえらいとこじゃの。わはは‥。」


 ばれているとは思っていたが、やはりばれていた。そしてわたしは立ち止まり短槍に寄りかかって息を整えていると。


 「ところで、これをどう読む?エヴァ。」


 と言って、わたしに雪面を見ろとあごで促す。

 そこには、ぽつぽつと動物の足跡が雪の上にかすかに残っていた。この場合、ロンじいは必ず、どんな動物、何頭、いつ、どちらからどちらの方角、かを聞いているはずであった。この手の問題は何度か出されたが、今までは一度も正しく正解したことがなかった。

 わたしは今度こそ当ててやろうとじっくりと足跡を見つめて考える。

 足跡の上に少し雪が積もっている。形ははっきりしていないが小さくはない。ウサギや狐よりは大きい。たぶん、鹿か猪だと思う。よく見ると大小二種類の足跡があり、歩幅も少し違うようだ。爪先がどちらに向いているのかはよくわからないが、おそらく下から上へと山を上がっていったのだろう。

 そして、足跡に降り積もった雪をよく見てみる。いつだろう‥‥?ここを歩いたのはいつだろうか。今日は朝から晴れていたので雪は降っていない。降ったとすれば昨夜か?

 ひととおり考えを巡らせて、答えを導き出した。


 「‥‥‥んと‥‥まず、鹿の親子、二頭。‥‥下から山の上に向かって歩いとる。んで、たぶん。昨日の夜中じゃ。」


 ロンじいの顔をちらっと伺ってみる。相変わらずロンじいは優しい目で微笑みながらわたしを見つめていた。


 「ほう‥‥‥ほうか、ほうか。まず、鹿はおうとるのぉ。じゃが、牡鹿二頭と雌鹿一頭の三頭じゃな。ほんで、下から山の上ちゅうはおうとるが、正しくは南西から北北東へと向かっておる。もっと地形と方角を頭に叩き込まないかんなあ。ほんで、‥‥昨晩ではないのぉ、だいたい八時間前じゃから今日の早朝じゃな。」


 ロンじいは本当に凄い。この微かに残る足跡からこれだけの情報を読んでくる。


 「‥‥‥なんでじゃ。なんで、じいちゃはそんなにわかるんじゃ?」


 「んはは‥‥。まあ、経験じゃな。三十年もこの山を歩いておればだいたいはわかるもんじゃ。」


 ロンじいは簡単にそう言うが、経験という言葉ひとつでは納得できないほどロンじいはとにかく物知りで、なんでも作ることができた。

 山や猟に関する知識はもちろんのこと。山での暮らしや猟で使う道具、装備は全てロンじいの手作りであった。

 カカ山の麓の丸太小屋にはかなり本格的なレン炉があって、ロンじいは簡単な鉄製品の鋳造と鍛冶を自ら行っていた。

 わたしが今使っている弓もロンじいが作ったもので、それは牡鹿の角といちいの木、それに鉄を組み合わせて製作した強力なコンポジットボウ(複合弓)である。もちろん、矢には鉄製のやじりを使っていた。

 その他にもウサギの毛皮の手袋や鹿の毛皮で作ったもふもふのブーツ、赤熊の頑丈な外套など、本当に器用になんでも自分で作っていた。


 「‥‥‥あと一時間もすると日が暮れ初めるでのぉ。東の小屋まで、ちと急ぐぞ。エヴァ。」


 そう言って、今朝捕ったウサギ二羽と猪一頭を乗せた橇を引いて歩き出してしまった。どうやら、日のある内に猪をさばいてしまいたかったようだ。

 慌てて、わたしもロンじいの後を追いかけて歩き出した。


 竹林の中にある東の猟師小屋に着くとロンじいはすぐに猪の解体に取りかかった。わたしは巧みなその技を見ながら、自分で捕ったウサギ二羽を捌いていた。

 血抜きしたウサギなどの小動物の解体は簡単なので、ちゃっちゃと捌きながら、ロンじいの熟練の技を見入っていた。


 「‥‥‥‥うまいもんじゃのお。」


 「わはは‥‥当たり前じゃ。何年やっとると思とるんじゃ。」


 そう言いながら、太い何本かの竹でできた吊り具に吊るされた猪を次から次に捌いていって、ものの三十分ほどで猪は跡かたなくきれいに切り分けられてしまった。

 切り分けられた肉は塩をかけて猟師小屋の隣にある小さいスモーク小屋でいぶして燻製にして保存食にした。そして、毛皮もこの小屋で乾燥させて長期的に保存していた。

 ここに保存している燻製肉や毛皮は入江の村に定期的に来る、ブラックプール商業ギルドの行商人と交渉してお金や小麦などに交換していた。


 「‥‥エヴァ。ウサギの毛皮はここで燻しておくが、肉は燻製にするか夕餉ゆうげにするか、どうしようかのぉ?」


 「んと‥‥‥夕餉にする。ウサギ鍋にしよ。わたしが作るからじいちゃは待っててくれればええよ。」


 「ほうか、ほうか。そいは楽しみじゃのぉ。わはは‥‥。」


 猟に連れてくるようになってからエヴァは少しずつ喜びの感情を表に出すようになっている気がしていた。

 エヴァは子供のころからあまり自分の感情を表に出さない子だった。そして、この感情の乏しさが村の子供達の輪の中にうまく溶け込めなかった原因だろうと考えていた。

 嬉しい楽しいという感情はアーロンにも汲み取れる程度に表現するようになったのだが、今でも悲しい、苦しいといった負の感情はほとんどと言っていいほど表に出さないままだった。実際、幼いころからエヴァは何があっても決して泣かない子だった。

 だから、アーロンは幼いころのエヴァのことを感情の乏しい子なのだと思っていた。

 だけど一緒に暮らしていくうちに、それはまったくの勘違いだったと気づかされた。

 それはアーロンの特別鋭い洞察力と観察力のおかげかもしれない。

 エヴァの微かな表情。微妙な態度の違い。雰囲気の変化。そして、内に秘めた莫大なエネルギーからこの子が人一倍感受性が強く感情豊かな子だと気づいたのだ。

 なぜその内にある感情を表に出さないのかはわからない。あるいは、エヴァ自身が自分の中にある強い感情や衝動をどう扱っていいのかわかっていないだけなのかもしれない。

 しかし、このカカ山の麓に越して来てからはアーロンの見る限り少しずつであるが幸せとか喜びとかいう感情を見せるようになっていたのである。

 アーロンにとっては、そのことがうれしくてうれしくてしょうがなかった。そして、本当にこの場所に越して来て良かったと心から思っていた。

 

 特に猟に出ている最中のエヴァは幸せと喜びに満ち溢れていると感じていたし、猟における才能には熟達したアーロンでさえ目を見張るものがあった。

 まず、弓の技術というのは本来、何年にもわたる鍛練を重ねて習得するもので、アーロン自身も何十年と訓練を重ねて今の腕前になったのだが、なんとエヴァはものの一ヶ月ほどで自分と同じ域に達してしまった。それには天才という言葉以外見つからなかった。

 そして、山歩きもあの年頃の女の子としては驚異的な脚力を持っている。さらに頭もすこぶる良いので山や猟に関する知識をどんどん吸収していた。

 先程、エヴァがウサギを捌いている姿はまるで熟練した猟師の様だった。

 本当に、あれを見よう見まねでやってしまうのがこの子の凄いところだ‥‥。


 「‥‥‥じいちゃ。もうそろそろええよ。」


 エヴァの声で現実に引き戻された。そして目の前の囲炉裏にはうまそうなウサギ鍋がぐつぐつと煮たっていた。

ありがとうございました。

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