アーロン‐M‐ユグドラシル
ものごころがついた頃にはひとり海で魚達と泳ぎ、山野を走り回って遊んでいた。
世界は見わたす限り広がる青い海と青い空、自然豊かな山々、木々や色とりどりの草花、そして、たくさんの動物達を中心に回っていると思っていた。
まさしく、この頃のわたしにとってこの大自然とロンじいと暮らす小さな庵こそが世界の中心だった。
父親はブラックプール冒険者ギルドの冒険者で、わたしが生まれてすぐにあるギルドミッションのオーダーを受けて、港湾都市ブラックプール沖百二十キロに浮かぶ、周囲八十キロほどの島‐このメイクーン島に住む父親の父、アーロン‐メイクーン‐ユグドラシル(ロンじい)に生まれたばかりのわたしを預けて冒険の旅に出てしまったという。
しかし冒険の旅というのは建前らしく、実際はなんらかの理由があってわたしを生んだ母親を追いかけて黒鉄諸島の遥か南にあると言われている新大陸に渡ったらしい。
ロンじいの話によれば(……あやつはエヴァを置いて、女房のけつを追っかけて出て行ったんじゃ。まったく、ろくなもんじゃないわい。)ということである。
それ以来、両親ともに行方不明で生きているのか死んでいるのかさえもわからない。
そんな訳で幼少の頃メイクーン島の小さな村で何年間か暮らした後、わたしはロンじい以外の人とはほとんど関わらずに十年以上もの間、自然豊かなこの島の山奥で野性児のように生きていくことになる。
このことが良かったのか悪かったのかわからないが、後のわたしの人格形成に少なからず影響を及ぼしているのであろうと思う。
わたしが育ったこのメイクーン島は港湾都市ブラックプール南南西約百二十キロメートルの海上に浮かぶ周囲約八十キロほどの、大陸南端にあるブラックプールから南に連なる黒鉄諸島の島としてはかなり大きな部類に入る島の一つである。
大きな島の割には昔からあまり人は住んでおらず、大森林が原初のままに残る自然豊かな島である。
人間はと言えば、島の南東部の小さな入江に三百人ほどがほそぼそと漁業を生業に小さい集落を作って暮らしているのみである。
というのも、この島のほとんど全域に一千メートルから二千メートル級の山々が連なっていて、人が住めるような平地がほとんどない。さらに、海に接する島の周囲全域が切り立った高い崖を形成していて、船による人間の入島を困難なものにしていた。
そして、気候においても寒暖の差が激しく雨の多い厳しい気象環境で人が住むにはなかなか厳しいと言えた。
そもそも温帯気候と亜熱帯気候の間に位置する地域でありながら、島のほとんどの地域が千メートルから二千メートル以上の高山地帯に属している為に亜熱帯から亜寒帯に及ぶ気象環境がみられる。
ようするに夏は高温多湿で雨が多く、冬は厳しい寒さで雪がたくさん降るということである。
そして、亜熱帯から亜寒帯という幅広い気象環境を持つことから、この島では多種多様な植物相と動物相が確認されている。
わたしは豊かな自然に囲まれた、人が生きてゆくにはとても厳しい環境の中で、唯一の肉親であるロンじいに育てられることとなる。
父親のグレイ‐M‐ユグドラシルもそうだが、その父親であるアーロンも元々このメイクーン島出身の冒険者で、ブラックプール冒険者ギルドの第一等冒険者としてこの地で名を馳せた、かなり有名な冒険者だったという。
「……なんでじゃ。なんでみんな、わしを仲間外れにするんじゃ。じいちゃ、なんでじゃ?」
小さい頃のわたしには、この世界で起こることすべてが疑問だった。何かにつけては育ての親であるロンじいになんでじゃ?なんでじゃ?とこれが口癖になってしまうほど、ロンじいの後を追っかけまわして聞き続けていた。
そんなわたしを煩さがらずになんでもどんな些細なことでも、ロンじいは正直に真摯になって、いつもあのやさしく温かい目でわたしの質問に答えてくれるのだった。
「エヴァがかわいい女の子じゃけ、みんな恥ずかしがっておるだけじゃよ。エヴァから仲間に入れてくれ、言えば良い思うよ。わしゃ。……あとのぉ、女の子が、わし言うのはいかんよ。わたし、言いなさい。」
「なんでじゃ?なんでわしって言っちゃいかんの……?じいちゃもわしって言ってるやん。」
「‥‥うわっははは‥‥ほうじゃのお、わしは良くてエヴァは駄目な理由か?‥‥うーん、ちとむずいのぉ。‥‥ほいでもな、昔からそうなんじゃ。若い娘はわしとは言わん。わたしと言う。まあ、そういうもんじゃ。それで許してくれ、わはは。」
ロンじいは笑いながら少し薄くなった自分の頭をパシッと叩いてそう答えた。
日頃からロンじいとばかり話していたため、この頃のわたしはロンじいのしゃべり口調とそっくりになっていた。
後々、このしゃべり方を直すのにかなり苦労することになる。
「じいちゃにもわからないことがあるんじゃな。」
「わははは。ほうじゃ。ほうじゃ。わしなどまだまだ、世の中のことはわからんことばかりじゃて。」
そんなことを言うロンじいだが、この頃のわたしにとってロンじいは聞けばなんでもどんなことでも知っている全知全能の存在だった。
だからこの日も村の子供達とどうすれば仲良くなれるのか聞きたかったのだ。
「ほんに‥‥‥わしから仲間に入れてくれって言えば、みんな仲ようしてくれるかなぁ‥‥?」
「ほうじゃ。ほうじゃ。世の中のことはあんまりわからんが、それはわしでもわかる。あっちからはよう言われへんなら、こっちから笑顔で言うたったらええんじゃ。エヴァから仲間に入れてくれ、言われれば村の小僧共も喜んで仲間に入れてくれるじゃろ。‥‥どうじゃ、明日言うてみ。」
ロンじいはいつものやさしい目でうんうんと頷きながら、わたしに暖かい言葉をかけて、いつでも答えに導いてくれる。そんなロンじいにいつも勇気をもらっていた。
そして、わたしは明日、勇気を出して(仲間に入れてくれ)と言ってみようと思っていた。
「‥‥‥言うてみる。」
「ほうか。ほうか。エヴァは偉い子じゃ。‥‥ほうか、言うてみるか。わはは。」
そう言ってロンじいは何度も頷きながら嬉しそうに笑っていた。
わたしはそのなんとも嬉しそうな笑い顔を見て、ロンじいがいつも話してくれる冒険者だった頃の奇想天外な冒険の話が聞きたくなった。
「ほいじゃあ、じいちゃ。寝る時に冒険のおはなし聞かせてくれる‥‥?」
そう言うとロンじいはさらに顔をほころばせて「‥えーよ。えーよ。とっておきの話をしたるわ。わっははは。」と笑って了承してくれた。
そして、そのあたたかく優しいロンじいの笑い顔と笑い声は、わたしにどんなときでも勇気と心の平穏を与えてくれるのだった。
ありがとうございました。




