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君が描いた星空へ  作者: 深淵ノ鯱
君が描いた星空へ
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願いの叶え方

   1


 今日の空も青い。ここ数日、晴れの日が続いている。綿あめのように柔らかそうな雲がのんびりと漂い、その後ろから、爽やかな青が鮮やかにその白をいろどっている。そんな澄んだ景色を眺めていると、ふと、ある日の事を思い出した。俺に不思議な能力が宿ったのも、こんな清々しい青空の日だった。

 高校一年生の六月の話だ。その頃の俺は、クラスの中で一人、浮いていた。進学校というわけでもないところに通っていて、同級生の中には、いわゆる不良や、派手に着飾るギャルのような生徒も数多くいた。そんな中に、根暗ねくらで、共に休み時間を過ごすような親しい友人もおらず、読書ばかりしているような俺がうまく馴染めるはずがない。放課後には、クラスメイトが笑顔で友人を誘い合ってゲームセンターやファーストフード店に繰り出す中で、俺は一人、閑静かんせいな下校道を歩く。初めの内はそのうち何とかなるだろうと楽観的に考えていたが、三か月余りが経過しても変わらないとなると、さすがに焦りを覚えずにはいられない。夜中まで騒いでいるような連中の仲間にはなりたくないが、それなりに笑いあえる友人がいて、時々馬鹿なことで叱られる、そんな普通の青春に、いつの日か憧れを持つようになっていた。

 そしてその日も、教室の喧騒の中で昼食を摂るのが嫌で、俺は日差しが照りつける学校の中庭で弁当を広げていた。ここは孤独な俺の、小さな癒しのスポット。樹の幹を縦に真っ二つにしたようなベンチと、青々と()える芝生。相反する雰囲気をたずさえているこの場所が、俺は好きだった。そよそよと吹く風に前髪を揺らされ、草葉の香りをかぐ。それだけで、いまの自分が生きている世界から脱したような気分になる。

 だが、時折聞こえる現実の叫び声に呼び戻され、そのたびに覚えるむなしさは拭い去れない。目の前の校舎からは耳をつんざくような、女子たちの喚き声が聞こえる。ジュースでもぶちまけたのだろうか。俺はため息を吐いて、目の前の弁当に視線を戻す。

「……ん?」

 視界の隅に何かが映り、俺がそちらに視線を向けると、数人の教師が軍手をはめて何かを運んでいるところだった。全体が緑で覆われ、細い枝と葉がぶら下がっている。あぁ、もうその時期だもんな、と納得する。世間は七月七日、すなわち七夕に向けての準備を本格化させている。うちの学校でも、その日が近くなると竹を用意し、短冊に願いを書いて結ぶのだ。なんだかんだ言いながらも、毎年、笹は多くの願い事で覆われる。ほぼ全てが面白がって書かれたものだろうが。

「おぉ黒瀬くろせ、丁度良かった。手伝ってくれ」

 竹の運搬をしていた教師の一人が、俺の名を呼ぶ。こっちはまだ弁当食ってんだ、と言い返したい気持ちが湧きあがるが、中には弱みを握られたら面倒な教師もいたので、舌打ちを中庭に残し、手伝いに入った。

 軍手を借りてゆっくりと運びながら、俺は目の前の薄緑を見つめる。こんなただの竹が、願いを叶えてくれたらどれだけ嬉しいか。きっと、今のつまらない日常から抜け出せるはずだ。

――今年は、騙されたつもりで書いてみようか。

 もし書くなら、『もっと楽しい人生が送れますように』になるだろうか。さやさやと風に揺れる笹を前に、心の中で祈るように反芻はんすうする。

――もっと楽しい人生が送れますように。

 思えば、これがいまの俺を創り出したのかもしれない。



 それから程なくして、俺は、自身に宿った異変に気が付いた。何かが欲しいと思えばそれがいとも簡単に手に入り、何かをしたくないと思えば、とても自然な形でそれが叶うのだ。初めの内は単なる偶然だと思ったが、時を経るにつれて、その考えが間違っているという考えの方が大きくなっていった。一体自分の身に何が起こったのだろうか。自分の思い通りに事が進むのは非常に嬉しいのだが、その気持ちと同じぐらいに、恐怖心が俺の中には存在していた。自分の体の事もそうだが、願いを叶えようとするたびに、背中をくすぐるような視線を感じるのだ。慌てて周囲を見回してみても、こちらに視線を向ける人間はおろか、興味を持つ者すらいない。不思議に思いつつも、俺はそのことについて極力考えないようにした。非現実的なことをしているという背徳感が、もしかしたら肉体に軽い影響を与えているのかもしれない。そう結論付けることで、その視線の事をすっぱり忘れようとした。

 そして、それからというもの、俺の学校生活は一変した。何せ、一緒に過ごせる友人を持ちたいと思えば相手から歩み寄ってきてくれ、遊ぶお金が欲しいと思えば、同じマンションに住む人からお小遣いをもらえたりした。そうして、俺は高校一年生の一年間を、順風満帆じゅんぷうまんぱんに過ごしたのだった。

 高校二年生になっても、それは変わらない。力を得た直後ほど能力に頼ることはなくなったが、どうしてもという時には使用していた。

 しかしこの時、一年生の時から感じて、気にしまいとしていた視線を再び感じるようになっていた。一年経って成長したのだろうか、以前は背中がむず痒くなる程度のものだったが、今は刺さるようなものに変わっている。気にするなと自分に言い聞かせても、その考え自体を刺し殺すように、俺を射抜いてくる。それが、ほぼ常になりつつあった。

「どうしたんだ、魁人かいと。きょろきょろしたりして」

 隣を歩くクラスメイトから、そんな言葉をかけられたのも一度や二度ではない。近くに人がいるときには意識しないように心掛けているのだが、それすらも打ち壊すほどに、俺の精神を揺さぶる。

 そして今日、視線に耐えきれなくなった俺は、その主との接触を試みることにしたのだ。



 方法は決して難しいものではない。人がまばらになった放課後、誰もいないところに誘い出すだけだ。簡単に引っかかるかどうかはわからないが、視線を感じる時間は日に日に長くなっている。案外すぐに姿を現すかもしれない。

 授業が終わってから一時間ほど時間を潰し、ゆっくりと校内を歩き出す。オレンジの光が一日の終わりを示すかのように、校舎の中を、グラウンドで汗を流す運動部員の姿を、照らしだす。一か月前まで新入生を迎える桃色の花弁を舞い踊らせていた校門の桜の樹は、その存在感をあたり一面に誇示こじし、長い影を伸ばしていた。

「……」

 今もまだ、視線を感じている。教室の中にいた時は感じなかったのに、外に出た途端に背中へと突き刺さってくる。俺はそれに気づかぬふりをして、この時間には誰も近づかないであろう、ごみ捨て場の近くへとやってきた。傍にそびえる体育館では、バスケットボール部の掛け声が高々と響いている。

 うず高く積まれた段ボールや新聞紙を前に、俺は息を殺し、意識を集中する。相手はどんな奴かわからないが、その存在を近くに感じ取ったら、すぐにでも追いかけ、捕まえるつもりだった。

 五分ほどが経過する。相変わらず、その気配は消えない。幽霊のように俺にまとわりついているのがわかる。しかし、近づいてくる気配はない。あくまでも、遠くから見つめているだけのようだ。だったら……。

「おい、誰かいるのか? もしいるんだったら出てきてくれ!」

 虚空こくうに向かって俺は叫ぶ。傍から見れば、ひとりで喚いている変人に映ることだろう。足元に生えているタンポポが、緩やかに吹く風に揺れていた。

 一分、二分と経つが、俺の近くを過ぎるのは、ランニングをしている部活中の生徒のみ。やはり、そう簡単に姿を現すつもりはないのだろうか。あと一分待っても来なかったら今日は諦めようか、と考えていた時だった。

 体育館の影からなびく一つの影があるのに気が付いた。

「……」

 俺は、その姿に息を呑む。

 現れたのは、俺よりも十センチほど伸長の低い少女だった。背中を伝ってまっすぐに伸びた黒髪が、一歩踏み出すたびに左右に揺れる。大人びて見える顔面に存在する長い睫毛まつげの下の大きな瞳が、おぼろげに俺を映し出していた。指と指とを腹の前で絡ませ、一歩、また一歩と俺に近づく。一瞬は同じ高校の生徒かと思ったが、着ているのは制服ではない。美しさと隣り合わせの不思議さがあるが、果たしてこの少女が、俺をずっと監視するように見ていた子なのだろうか。もっと野蛮でむさ苦しい野郎だと思っていたので、拍子抜けしてしまった。

「君が……俺を見ていた人?」

 俺の顔を見つめたまま動かないその少女に向かって、恐る恐る声をかける。

「……はい」

 少女は整った顔を一切崩すことなく、口だけを動かせて答えた。小さな声だったが、透き通った、落ち着きのある声だった。そして、彼女は再び黙ってしまう。

「そう……なんだ」

 降り立った沈黙に耐えきれずに、そんな不甲斐ない返事だけを漏らす。しかし、俺は彼女に対して得体の知れぬ安心感を覚えていた。醜い男でなく、可憐な少女であった。それも多少はあるかもしれない。だが、俺の心の中にいま渦巻いているのは、過ぎた日々をいつくしむような、懐古かいこの念だった。姿は初めて見たはずなのに、声も初めて聴いたはずなのに、名前すらも知らないのに、俺には懐かしく思える。小学校の時の友人に似ているのだろうか。中学校は……わからない。

「それで、君はどうして俺を付け回していたの? あ、それよりも、名前は何ていうの?」

 俺が質問すると、少女はずっと向けていた顔を初めて逸らした。風に乗って流水のように揺れる黒髪から、ほんのりと漂う甘い香りが俺の元まで届く。

「いっぺんに質問しないでください」

 目を合わせぬまま、少し怒ったような口調で、そう答えた。俺はごめんと謝り、彼女の返答を待つ。

 やがて、一つ息を吐き、少女は澄んだ声を続かせた。

「わたしはあまつきはるかと言います。名字でも名前でも、どちらで呼んでいただいても構いません。ですが、恐らく名前の方が呼びやすいでしょうから、宜しければ名前で呼んでください。黒瀬魁人、君」

「……」

 穏やかな口調で自らを名乗る少女――遥。しかし、彼女に対して、俺は一つの違和感を覚えた。理由は簡単だ。俺はまだ自己紹介をしていない。なのに、遥は俺の名前をさらっと口にした。

「その……俺の名前、何で知ってるんだ?」

 俺が尋ねると、遥はくすっと笑って、しかし少し哀しそうな表情で答えた。

「……ずっとあなたを見続けていたんです。名前ぐらい、知ってて当然ですよ」

 確かにそうだ。目についた女子高生を追い回すストーカーじゃあるまいし、もし目的があるのなら、逆に名前すら知らない方が不自然だ。そう得心して、俺も改めて自己紹介する。

「俺は黒瀬魁人。なんていうか……普通の男子高校生だ。高二だが、遥は何年なんだ?」

 少し嘘をつかせてもらった。まだ遥が何者かは全くわからないし、何を目論もくろんでいるかもわからない。そんな相手に、不可思議な能力のことを話すのは躊躇われた。

「はい。わたしも高二です。よろしくお願いしますね」

 はらりと目の前に落ちた前髪を右手で退かせつつ、遥は軽く頭を下げた。

「あぁ、こちらこそ。ところで、同い年なら敬語じゃなくてもいいんじゃないか? 俺としては砕けた話し方の方が楽なんだけど……」

「気にしないでください。初めの内はそうもいかないかもしれませんが、そのうち慣れると思いますよ」

 確信があるような口調で答える。きっと彼女の癖みたいななのだろう。同級生に対して敬語で話すクラスメイトは俺の周りにはいないので、違和感しかない。しかし、不快感を覚えるわけでもないので、ここは遥の言葉に頷くことにする。

「それで……ずっと俺を見ていた理由は何なんだ? 教えてくれると嬉しい」

 俺が問うと、遥は少しだけ表情を固くさせた。深い瞳の中の光がゆらゆらと揺れている。

「もし、答えを知っているのなら、教えてください」

 そして、遥は逆に俺に問うてきた。

「『願いの叶え方』って……知っていますか?」

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