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君が描いた星空へ  作者: 深淵ノ鯱
君が描いた星空へ
11/13

友人の意義

 10


 担任教師から、遥は家庭の事情でしばらく登校できない、という話を聞いた。クラスの連中の反応は様々だったが、少なくともクラスの女子生徒の半分ほどは、その事実を悲しんでいるようだった。「早く学校来られるようになったらいいのにねー」と、口々に話している女子の集団を見かけることもしばしばあった。

 そして、俺の孤独も、その度合いを増していきつつあった。入学したての頃に戻ったかのように、クラスメイトの俺への関心は、日に日に薄くなっていった。ノートを俺に持っていかせた男のように、雑用を押し付けられるのは日常茶飯事と化し、雑談目的で話しかける生徒はほぼいなくなり、こちらから話しかけても生返事をされるだけ、という無意味な時間が流れていた。

 俺はそのことに対して違和感を覚えつつも、悲しいと思うことはなかった。昔の俺は、寂寥感に抗うために仲間と群れたいと日々願っていたが、やはり、仲間と共に過ごすような自分は偽りの存在でしかないのだと気付いた。変な力で偽りの友人を作った、自分への報いだろう。過去の自分こそが、本来の自分なのだ。俺はそのことを、完全に受け入れ、孤独な学園生活を送った。

 一週間が経過しても遥が登校する気配はなく、騒いでいた女子たちも、既に諦めの心が勝りつつあるのか、彼女のことを話題に上げなくなった。たまに視界に入る彼女の席だけ、時間が止まっているように感じられた。教科書は毎日きちんと持ち返っていたため、机の中には何も入っていない。古傷ばかりが目立つ木の板が彼女の性格を物語っているだけで、そこから生活の跡は消えつつあった。人のぬくもりを忘れたような椅子と机は、ぼんやりと教師の話を前から後ろへ滑らせていた。

 毎日、曇天が続き、雨が降る。晴れることがあっても、不快指数は高い値を占め、俺たちが過ごしやすいと思える日はわずかになっている。

 今日で六月が終わる、という曇りの日。今日も一人で下校しようと学校の敷地内を歩いていると、トイレから出てきた璃子と目が合った。既に今の周囲の空気に慣れていた俺は、彼女からすぐに目を離し、早足で校門へと向かう。けれども、そんな俺は「先輩」という言葉で立ち止まる。少し不安になりながら後ろを見ると、璃子が緊張を孕んだ控えめな笑みを浮かべて俺を見ていた。「ちょっと付き合ってくれませんか?」との彼女の頼みに俺は断りきれず、薄暗い校舎を、俺たちは二人で歩いた。

 璃子が辿り着いた先は、いつか俺の相談にのってもらった時にも使用した家庭科室だった。今日は部活が無いらしく、誰も使用することはないと言う。璃子は電気を点けることはせず、閉じられていたカーテンを勢いよく開ける。舞っている埃が、天使の羽のように光る。その様を、俺はじっと見ていた。

「先輩、呼び止めてごめんなさい」

 俺が座る目の前に腰を下ろした璃子は、開口一番に謝った。無言で首を振ると、ありがとうございます、と小声で礼を言われる。いつもよりも元気がないように見えた。

「……それで、何の用なんだ? わざわざ呼び止めた、ってことは、よほど重要なことがあるんだろう?」

 璃子は暫し逡巡するように視線を彷徨わせた後、はい、と弱々しく頷いた。俺は無言で話をするよう促す。

「……先輩。まず先に確認させてください。先輩は、普通の人なら持ち得るはずのないものを持っている。このことに、間違いはないですか?」

 璃子の問いに、背筋が僅かに伸びる。それは明らかに、『願いを叶える能力』のことだった。窓の外で再び振り出した雨のように鋭い視線が、俺を貫いている。

「なぜ、そのことを――」

「いいから、答えてください! いいですか、絶対に嘘は吐かないで。ここで聞いたことは誰にも話しません。こんなことを尋ねる理由も後でお話ししますから、今は正直に答えてください。先輩の為なんです!」

 璃子は両の拳で机を子どものように叩き、喚く。いつも程よく赤みが差し、健康的な色をしている彼女の顔は、その赤を濃くさせつつある。暗がりではあるが、それがはっきりと確認できる。

「……これには、私の好奇心や冗談といった私情は一切関係していません。必要なことだから、訊いているんです。ですから、先輩――」

 隠すことはできそうになかった。諦めた俺は、肩を竦めた後に、璃子の言葉を遮って口を開く。

「あぁ、間違ってない。ついでに言うと、それは『自分の願ったことが現実になる』能力だ」

「……そうですか。ありがとうございます。やはり、そうだったんですね」

 璃子の少し悲しそうな、それでいてほっとしたような声音が、静かな家庭科室では大きく聞こえる。

「先輩。これから私が話すことは、全て本当の事です。にわかには信じきれない部分も多くあると思います。すぐに受け入れろとは言いません。ですが、ここはそんなことが起こり得る場所なんだ、ということだけは分かってもらいたいんです」

 そう前置きして、璃子は話しだした。いつまでも低く、冷たく、悲しみに呑みこまれた声だった。



「人は誰しも、『願い』というものを持って生きています。お金持ちになりたい、好きなあの人と結ばれたい、あの人はどこかへ行ってほしい……方向は違えど、人の数だけ『願い』は必ず存在します。そのほとんどは、すぐにでも忘れてしまうような、もしくは、ほかの何かで上書きされてしまうような些細なものなんです。先輩も体験したこと、ありませんか? 一時期は寝ても覚めてもそのことを考えていたのに、気づけばそんなことは眼中になく、ほかのことに夢中になっていた……みたいなこと。それと同じようなものです」

 俺は黙って話を聞く。相槌を打ったり、たまの質問に首を振ったりはするが、基本的には、彼女の小さな姿をじっと視界の中心に捉え、この世の鼓動を耳にしていた。

「ですが、稀にその枠に当て嵌まらないような願いが生まれることがあります。それは体内に置いたままにしておいては、その人の精神、肉体に影響を及ぼす可能性があるようなものなんです。それがかなり危険なものだ、ということは分かりますか?」

 こくんと俺はうなずく。願いがストレスと化し、暴力的な行動を起こしてしまいかねないということだろう。程度は違えど、俺にもそんな経験はあった。

「人類は自らの身を守るため、ある能力を持ちました。それが、『願いを叶える』能力です。ある一定の度合いを越えた、強い『願い』の持ち主に、能力は強制的に宿ります。そして様々な形で『願い』は実現化し、その人は元の……いえ、以前よりも遥かに過ごしやすい人生を送ることができるようになります。願いが叶ってしまえば、役目を果たしたその力は消えてしまうのですが、少しの間だけなら体内に残るとも言われています」

「……璃子、ちょっといいか? いくつか質問したいことがあるんだが……」

 璃子は少し考えた後、「どうぞ」と表情を変えずに言った。

「一つ目。俺も願いは持っているし、それを叶えたいとも思ってきた。だけど、あくまで『思っている』だけで、力を宿せるほどに強いものじゃないと思う。なぜ俺には『願いを叶える』力があるんだ?」

 鋭く璃子を見据える。目の前に座る彼女は、もはや俺の後輩ではない。俺が理解しきれる範疇を越えた場所に漂う、霞のような存在だった。

「先輩がこれまで特別な能力だと思い込んでいたそれは、先輩の望みによって備わったものではありません。つまり、誰かの手によって『備えさせられた』ものなんです。その人がなぜ、何のために先輩にそんなことをしたのか、私には…………わかりませんが、『誰かの願いによって、願いを叶える能力を手に入れた』ことは間違いないです。確信を持って言えます」

 肩が僅かに揺れる。その上に乗る髪も、つられて波打っている。璃子は大きな動きで椅子に座り直し、再び訪れた静寂の空間で俺たちは対峙する。

「理由は?」

「私が先輩と同じような場所に立つ人間だから……っていうのではだめですかね?」

 璃子の顔に苦笑が浮かぶ。その笑みは既視感を覚えるものであり、あの時と同じく、柔らかな拒絶であった。この状況で出来る彼女の精一杯の意思表示だった。

「……いずれは教えてくれるのか?」

「はい。もちろん。結構すぐにその機会は訪れると思いますよ」

 俺の問いには間髪入れず答えた。彼女の言葉を今は信じ、俺は話を続ける。

「今の答えを聞いて質問が増えた。俺にそんな能力を宿らせたのは誰なんだ? まさか見ず知らずの他人だ、なんて言わないよな?」

「えぇ、それはあり得ません。何の関係も持たない人を想えるほど、人間とは美しい存在ではありません。仮にあり得たとしても、その美しさは偽りのものでしょうね。人は自分と大した関係も持たない人を嫌い、(そし)り、蔑むことを安易にします。その中に迷い込んだように存在する微塵の美しさなど、すぐに侵され、反転します。所詮、その程度のものなんですよ。私が言いたいこと、わかってくれますか?」

「……あぁ。何となくではあるがな」

 曖昧な返答を聞いた璃子は、僅かに視線を窓の外に向ける。灰の空に暗みがかかり、今日も暗い夜が訪れようとしている。気の早い街灯が、ぽつぽつとつき始める。管理が行き届いていないのか、どれも薄暗く、(おぞ)ましげであった。

「先輩の質問に対して答えられることは、これ以上ありません。具体的な人名は出せないです。次の質問に行きましょう」

 なぜ……と俺が口を挟む間もなく、璃子は強引に話を進めようとする。彼女を止めようとして所在無げに彷徨っている腕を見て、一つため息を吐き、璃子は言った。

「……その人は、あなたが自らの考えによる行動で見つけ出してくれることを切に願っています。私がばらしてしまえば、きっと悲しまれます」

 どこかの蛇口から漏れた滴がシンクを叩く。高い音を残して、瞬時に消えた。

「…………わかった。それじゃあ、最後の質問だ。なぜ璃子は『願いの能力』のことについて、そんな詳しく知ってるんだ? 一般人が知れるものじゃないだろう? 少なくとも、俺はここに来るまでそんな能力とは出会ったことがなかった。もし有名なものならば、ネット上でたっぷり騒がれるはずだ。そうなってない、ってことは、極々一部の人間しか知らない、秘密裏にやりとりされる情報なんだよな?」

 孤立していた時には、ネットゲームやSNSに安息を求めることが多かった。だから、現実離れした噂があれば、間違いなく気づく。

「もちろんです。まず、願いは自然な形で叶うことが多いので、能力が宿っていたとしても、滅多なことがない限り気づくことはありません。先輩の場合は特殊ですがね。だからSNSに投稿されたとしても、ちょっと運の強い人の戯言、程度にしか思われないでしょう」

 こほん、と咳払いをし、喉を鳴らす。俺が封を開けていないペットボトルの水を差しだすと、すぐに飲み始めた。

「……ありがとうございます、先輩。これまでのことはですね、教えてもらったんです。ある人に」

「……その人って……」

 はい、と璃子はうなずく。

「先輩に能力を宿らせた方、ですよ」



  *


 半信半疑な気持ちで、私は道を歩いていた。曇天の中に溶け込みそうになっているマンションが視界に入る。当然、私は彼女の自宅の場所を知らない。これまで尋ねることもなかったし、あちらから教えてくることもなかった。だが、私はほぼ迷いなく歩くことができる。私と同じ(・・)気配(・・)を感じるのだ。その気配の源は、間違いなくあのマンションの中にあった。

「ここが……あの子の……」

 私には砦のようにも見える。ゲームの世界で、ボスキャラが待っている場所だ。私はいわば、彼女への挑戦者。友人という名の関係は、とうの昔に消え去ってしまった。もう一度仲良くなれるか、それとも拒絶されるか。その結果を知るために一人で挑む、雑魚(ざこ)キャラなのだ。

 途中ですれ違った住人に確認を取り、彼女の部屋を教えてもらう。その扉の前に立ち、一つ、二つと深呼吸をする。これまでと同じでいようとは思わないし、いられるとも思えない。だから、私はあの時のままの宮下璃子で彼女に接すると決めた。

 叩く扉は冷たい。冷気が手の甲を伝って体中を巡る。扉の向こうから反応はなかった。

「……入りますよ」

 私は小さく扉に向かって呟き、ノブを捻る。施錠されておらず、力を込めた右腕は安易に裏切られた。カーテンは閉め切られており、灯りもついていない。部屋の隅で衣擦れのような、何かが(うごめ)く音がする。

「全く……不用心ですね」

 その影に向かって私は話しかける。それは何も語らず、私だけを見つめているようだった。ただ、そこに歓迎や感謝の気持ちはなく、明らかに怯臆(きょうおく)し、警戒していた。

「……誰?」

「私です。璃子ですよ。宮下璃子」

 か細く弱い声に、私はいつぞやの自分を思い返して答える。相手も聞いたことのある名前で、少し落ち着いたようだった。

「どうして……来たんですか?」

 だいぶ目が慣れてきて、ぼんやりと室内が見えてくる。彼女は壁際に配置されているベッドの上で半身を起き上がらせていた。淡い色のパジャマが、おとぎ話の幽霊のように浮かんでいる。

「どうして、って……心配だからに決まってるじゃないですか。学校で話したことは多くはないですけど、私にとって大事な方なんですから。カーテン、開けさせてもらいますね」

 言いながら窓際へ向かう。彼女は何も言わず、無音の呼吸だけをしていたが、拒むことはなかった。ゆっくりとカーテンを開けると、日の出のように薄闇の空間に新たな光が差し込み始め、部屋の中で止まっていた時間は動き出す。彼女は眩しそうに手を目にかざしていたが、一分ほどでその手を戻し、気だるげな瞳で私を見た。

「……お久しぶりです。天月先輩」

 私は笑顔を浮かべて言う。今日の先輩はシュシュを付けていなかった。長い髪はまっすぐにベッドへと垂れている。あの時の先輩を思い出すと、言葉にできぬ情動が込み上げてくる。私は意を決し、彼女の名前を囁く。

 それは彼女に届いたのだろうか。心の中には、聞こえていてほしいと思いながらも、そうあらないでほしい、という矛盾した想いが混在している。彼女は不意を突かれたと言うように、ぽかんと口を開けていた。一分ほど沈黙が続き、先にそれを破ったのは、我に返った先輩だった。

「宮下、さん……? 急にどうして……?」

 何もわかっていない、と言いたげな純粋な瞳。それが今は罪のように思えた。何もかも自分が悪いというのに、他人に私は罪をなすりつけようとしている。免罪を乞うつもりは無く、只々、『私が私である』とわかってほしかった。なのに、彼女は何も覚えていない。記憶の奥底を掘ればきっと容易にそれは復活するだろう。だが、流れた時間は彼女の記憶を沈め、別の記憶で塗り替えさせた。そして、忘れても良いと思える、価値の無い記憶へと変貌させたのだ。だから、彼女が私のことを忘れるのは致し方ないことだった。

 私が気づいてあげられなかったことが、最たる罪だった。

 ベッドに歩み寄り、彼女に寄り添う。抵抗はせず、かといって受け入れもしない彼女は、今の状況に戸惑っている。私は囁きかける。もう一度、その名を。

「遥……覚えてない? あの日のこと……」

 小さなころの記憶。誰でも経験するようなありふれた出来事。それが私たちにとって、悲しみの一ページとなったのは、ある年の七夕の日だった。その日は、晴れていた。だけど、少し蒸し暑かった。



  **


 遅くならないうちに帰ってくることを条件に、私と遥は、二人で七夕祭りを楽しむことを許可された。当時はまだ幼く、親の縛りなしに行動することは、一種の探検のように思えた。脇を彩る露店の光は、洞窟を照らす(かがり)()のようだったし、行きかう多くの人々は、私たちを応援してくれる街の人のようだった。テンションが上がり、早く早く、と急かす私に対して、遥はいつものように落ち着いていた。柔らかな笑顔と喧騒に掻き消されるような澄んだ声で私を宥め、人の少ないところまで誘導し、何をするか話し合おう、と人差し指を立てて言った。「うん!」と当時の私は無邪気にうなずいたことを、今も鮮明に覚えている。

 その後の時の流れは一瞬だったように思える。気づけば、時計の針はもう帰らなければならない時間を示していた。

「じゃあ璃子ちゃん、もう帰ろっか」

 遥は私の手をやんわりと握り、無機質な街灯に照らされた薄暗闇を指さす。まだまだ遊び足りない私は、涙を浮かべながら駄々をこねた。

「……でも、もう帰らないと、ね? お母さんたちと約束したでしょ?」

 そう言われると反論はできなかった。私と彼女では、歳は一つしか違わないのに、私はひどく子どもだったように思う。私にとって遥は、両親以上に頼りになるお姉さんだった。だからこそ、もっと我儘を言えば折れてくれるんじゃないか、もう少しなら遊ぶことを許してくれるんじゃないか、という浅はかな考えが浮かんでしまったのかもしれない。

「そうだけど……。でもっ、もっと遊びたい!! まだ帰りたくないよ!!」

 大きな声を上げる私に、周囲の人が何事かと視線を向ける。中には「迷子?」と優しく声をかけてくれるおばさんもいた。その人たちは、遥の丁寧な説明を聞くと、すぐに笑みを浮かべながら去っていった。

「気持ちは分かるけど、お母さんたちが待ってるよ。ほら、だから、ね」

 引っ張る遥に負けじと、私もその力に抵抗する。私は「ヤダヤダ!」を繰り返し、遥は「帰るよ」を繰り返した。そんなせめぎ合いの時間は何分ほどだっただろうか。そう長くはなかった。私が渾身の力を込めた瞬間に遥はぱっと手を放し、私は勢いよく地面に尻餅をついた。見下ろす形になった遥の瞳は、まるで下賤(げせん)の者を見るかのような、薄汚れたものへと変化していた。

「……そんなに璃子ちゃんが帰りたがらないのなら、わたし一人で帰る。璃子ちゃんは好きなだけ遊んでおきなよ」

 そう言って、遥は倒れた私に手を伸ばすこともなく、歩き出す。慌てた私は、遥の腰にしがみつく。

「ま、待って――」

 しかし私が何かを口にする前に、彼女は腰を大きくひねり、手で私の腕を強引に剥がす。私は、謝らなければ、という気持ちの元、諦めずに彼女へと近づくが、遥の歩みが止まることはない。私が近づく分だけ、彼女は遠ざかる。一切振り向くことなく、泣き叫ぶ私を置き去りにし、遥は黒で彩られた場所へと姿を消した。

 きっとあちらに多くの人はいない。間違いなくこちらの方が、人は多い。けれども、私のいる場所に色はなかった。華やかに塗りたくられているはずなのに、闇の方が美しいと感じられた。孤独を感じる冷たさだけが存在し、家族や友人という温かさは生ぬるい風と化し、遥か彼方へと消えていった。

「……何で、私が……」

 地べたに(うずくま)り、涙をこぼす。無力な私には、泣くことしかできなかった。流れ、零れ落ちる涙と共に、彼女へ向けられる心もどんどん消え去っていくのを感じていた。どうして私を置いてけぼりにしたの? 私の事、嫌いになったの? 私は邪魔者なの? じゃあ、私は消えればいいの? 

 いくつもの疑問が頭に浮かび、そのすべてに私は明確な答えを見つけ出す。だが、それは私にとっての正答ではなかった。それでは私が傷つくだけだ。自虐的な思考はいつの間にか、彼女への恨みに変わっていた。私だけが辛い思いをするのは理不尽だ。だから……。

「……あんな子、いなくなっちゃえばいい……!」

 この世に生まれ、十年も生きていない私は、この時、心からそれを願ってしまった。その後、おまわりさんに保護され、私が帰宅した時の、当時は元気だった遥の両親が見せた驚きの表情は今も忘れられない。親に訊かれた私は、祭り会場ではぐれてしまったと説明した。すぐに捜索の要請を出したが、その日はもちろん、数日が経っても、彼女が見つかることはなかった。

 幼い心なりに不安を覚え始めたのは、「少女失踪」というタイトルで大々的に報道が行われたころだった。どれだけ経っても姿を見せぬ彼女に対し、私はしばらくの間は悦な気分に浸っていることができた。だが、いても立ってもいられなくなった遥の両親が警察に捜索届を出し、彼女の家の周りはもちろん、会場付近の林を大人数が徘徊する光景を毎日のように見ているうちに、事の重大さを私は理解した。人が一人いなくなるだけで、こんなにも誰かを不安にさせ、迷惑をかけてしまうのだという事実を、流れ出しそうになる涙を止める勢いと共に呑みこんだ。その日の夜、私は思い切って、あの日起こったことを包み隠さず説明した。

当然のことながら、両親は信じてくれなかった。「あなたは心配することないのよ」と母親は頭を撫で、「パパ達大人がちゃんと遥ちゃんを見つけるから。また遊べるよ」と父親は笑顔を浮かべた。幼い子どもの妄言(もうげん)としか彼らは思っていなかった。本当だよ、信じて、と母親に抱きつき、泣きながら叫んでも、「寂しさに負けそうになっている弱い子ども」としか私を捉えなかった。気づけば私はベッドの中で目を開けており、眩しい陽の光が部屋の中に差し込んでいた。今日もまた無意味な一日が始まる。いつも一緒に登校していた友人はおらず、時間の無駄である捜索は続く。遥の居場所は、原因である私すらも知らない。彼女と共に過ごすことで価値を見出していた私の時間は、足元に転がる埃のように消え去った。教室内で燥ぐクラスメイトの男子の腰が、空白となっている彼女の席に当たる度に彼女が傷つけられているように感じられ、私は理不尽な怒りを覚えた。

 家族の疲弊は日を重ねるごとに増していた。当然ながら遥の家はそれが顕著で、誰の励ましも通じていないようだった。唯一の解決策は、私がもう一度願い、遥を連れ戻すことだった。それを思いついたのは、遥が姿を消してから、一週間以上経った日のことだった。その原因は後で知ることになるのだが、願いが叶えられることはなかった。待てど暮らせど、彼女の、あの穏やかで控えめな、だけどもそれが一番楽しんでいる証である笑顔を見ることはなかった。

 そのまま時は流れ、そのまま私は成長した。進級する度に人との接し方を覚え、私は明るさを取り戻していったが、私の思考の中心には、必ず遥がいた。今の私を遥は好いてくれるだろうか、このアイデアに遥はどんな反応を示すだろうか……。時々奇怪に思われることもあったが、彼女が感じたはずの苦しみと比べれば、微小なものだった。

 そんな小さな痛みと共に、私は中学校を卒業し、高校へと進学した。これまでずっと信じ続けていた奇跡も、もはや(つい)えたと思っていた。だが、黒瀬先輩と出会い、特別棟で『彼女』と鉢合わせしたところから、この物語はようやく始まりを告げたのだ。



  **


「……私たちは仲の良い幼馴染だった……。本当に覚えてない?」

 私はベッドの上で呆けたように正面を見つめている遥の太ももに縋りつき、弱気な声を漏らす。過去のことを話しても、遥が大きな反応を見せることはなかった。ここで再び出会い、短い時間ではあるが共に時間を過ごしてきた中で見た彼女は、殆ど変わっていなかった。身体が成長しただけで、中身は何も変わっていない。遥の中に存在する記憶以外は、私の知る彼女と同じだった。

「休日は一緒に遊んだ。学校には毎日二人で並んで行った」

小学校に入学したてのころの話だ。これから始まる学校生活に緊張と期待を感じていた日々。

「遥が風邪を引いて学校を休めば、私が配られたプリントとクラスメイトのみんなからの励ましの言葉を渡しに行った。しんどそうに咳き込みながらも、笑顔で私に『ありがとう』って言ってくれたよね」

 小さな学校だったので、一クラスの人数も少なかった。誰かが休めば、みんなで寄せ書きのようなものを製作し、誰かがその人の元へと届けるのだ。

「もちろん、たまには喧嘩もした。いつも感情的になる私を、頭の良い遥は理屈で封じ込めた。正直、悔しかったよ。一生勝てないって思った」

 思い出し笑いが漏れた。少し自嘲的であったが、愉快に感じた。

「そんな遥は嫌いだった。怖かったんだよ。でも、不思議だったな……。喧嘩した翌日にまた会うと、いつもの遥なんだよね、私が好きな。だーい好きな。腹が立っていても、すぐに収まっちゃう。遥の笑顔には、そんな不思議な力があった」

 彼女の太ももをぎゅっと強く握る。彼女は痛がらない。見えていないが、それは分かった。

「もう一度、見たい。遥の笑顔が見たい。学校じゃ全然見られなかった。だから……」

 がっ、と私の背中が不意に重くなる。振り返ると、霞んで映る遥の肩が目の前にあった。どうやら背中に顔を埋められているようで、彼女の呼吸によるぬくもりを直に感じた。

「え……遥、どうしたの?」

 私は狼狽を隠せないまま、遥に問う。遥は私の頭をきゅっとやや強引に抑え、私の視界を封じた。

「見ないで」

「……えっ?」

「いいから。こっちを見ないで」

 彼女の言葉に従い、抵抗することなくそのままの姿勢を保つ。どこからか聞こえる時計の秒針を刻む音が重なり合う鼓動と同化し、まるで、消え去った過去に潤いをもたらしているようだった。

 ぽんぽん、と頭を叩かれる。そして遥は一言だけ発した。

「…………ごめんなさい」

「どうして、謝るの?」

 うん、と遥は私の背中の上で頷く。

「璃子ちゃんの服……汚しちゃいそうだから」

 また今度、洗濯して返すね、と彼女はくぐもった声で告げた。私は何も発せず、震える我が背中から現実を感じ取っていた。

「やっと思考が追い付きました……。わたしと璃子ちゃんはお友達、だったんですね……。それは、本当ですか?」

 私は間髪入れず頷く。彼女の息遣いで微笑んだのがわかった。

「……正直に言いますと、わたしはその時のことを完全に思い出せたわけではないんです。でも、何て言うか……璃子ちゃんに言われると、そうだったかな、って気がしてくるんです。だから、ほら……わたし、今『璃子ちゃん』って呼んでしまってますし、それに…………」

 彼女がようやく頭を上げ、私の背中には、不思議な冷気が当たる。

「それに……なに?」

「…………内緒」

 彼女は笑顔を浮かべる。鼻水を啜る音の後に見えたそれは、どこの誰よりも美しいと思った。

「でも……」

 数分程の沈黙を経た後に、遥が唐突に口を開く。

「わたしにも、昔、仲の良い幼馴染がいたんです。わたしは、その子と過ごす時間がとても楽しかった。どんな子だったかは思い出せないんですが……とても楽しいと感じた、それだけは確信を持って言えます」

「…………その子は、今は?」

「……わかりません」

 遥は、笑みだけは崩さなかった。認めたくないことを口にする時すらも、今日の彼女は微笑んでいた。

「気づけば、わたしは独りでした。その子もいない、友達もいない、頼れる人もいなかった。まだまだ小さかったわたしは、『孤独』という言葉を知らなかった。だから、これがどういう状態なのか、自分の中で答えを見つけ出すのにとても苦労したんです。日が過ぎるにつれて、どうして自分はこうなってしまったのか、そんな、理由の本質に関わることすらも記憶の中から消えていきました。何日も何日も経った挙句、ようやくわたしが辿り着いた答えは、『これが当たり前』というものでした。孤独という言葉を知ってからも、わたしは『当たり前』の自分で居続けようとしたんです。みんな孤独が当たり前。誰かと仲良くしてるけど、どれだけ仲の良い人がたくさん集まっても、人ひとりひとりは孤独なんだ――。どうせ孤独なら、自分はそれを貫き通そうと決めました。大切な人がいたから、その人がいなくなった時、苦しく寂しい孤独を感じるんだ――今もこの考えは揺るいでいません」

「…………ごめん、遥……」

 やはり罪は私にある。彼女がこれまで苦しみ、涙を流したことの原因の多くは私が関係している。消え入りそうに小さな声だったが、私が発した気持ちを表す言葉の中では、最も大きなものだったと思う。

「璃子ちゃん……謝ってもらうことなんてないですよ。わたしが勝手に決めた、わたしの些細な我儘なんですから」

 首を強く振り、否定する。私のその反応に、遥はしばらく思案するようにしばらく視線を天井へ這わせていた。

「これじゃ堂々巡りですね……。では、こうしましょう」

「……どう、するの?」

「わたしの頼みを一つ聞いてください。璃子ちゃんには苦しんでほしくありません。ひとまず、これでこの話は一旦終わりにしませんか?」

 私はその条件を受け入れ、「黒瀬君にわたしのことを説明してほしい」と頼まれた。ただし、名前は伏せた状態で。わたしが黒瀬君にとっての何なのかを突き止め、わたしの苦しみを理解してほしいから、と言われた。

「でも……もし気づかれなかった場合は、どうするんですか?」

 その時は……と彼女は一瞬詰まったが、すぐに答えを出したようだ。

――今度の七月七日、その日に教えることにしましょう。

 そして私は真実を知った。それはとても意外なもので、到底信じられることではなかった。

 話を聞き終わった後、遥は私を玄関まで見送ってくれた。外に出て、ドアを閉める刹那、彼女はぽつりと呟く。

「またね……」

 重いドアは、すぐに閉まった。もう、開けられない。彼女の想いを忘れぬように、私は家へと駆けた。



 孤独なわたしは、もう存在しない。誰かさんの所為で、孤独の苦しみも忘れてしまった。また失った時、同じ痛みを味わうことになるだろう。大切な人を作ってしまった自分が悪いのだ。

「早く、思いだしてくれるといいですね……」

 過去の自分に感謝すると同時に、一発だけ殴りたい衝動に駆られる。だが、結局は自分なのだ。わたしは手で思いっきり自分の両頬を叩き、傷みでその場に頽れる。

「はは……赤くなっちゃいそう」

 乾いた笑みが漏れたが、笑っていられるだけの余裕が今のわたしにはあるんだと思い、そのことに一人、驚いた。

 窓を開ける。蒸し暑い風が室内を駆け巡る。カーテンは靡き、無機質な音を立てた。

 これこそがきっと、孤独なのだと思った。だから最近と、数分前のわたしと、これからのわたしは孤独ではないのだ。



 *


「何か、思いだすことはありませんか、先輩」

「…………悪い、何も」

 自らの過去の話を述べた後、璃子は尋ねかけた。だが、俺が力なく首を振ると同時に、璃子の諦めのような息が漏れるのが聞こえた。

「七夕まであと一週間か……。なぁ璃子、その人は七日になれば全部教える、って言ったんだよな?」

 はい、と璃子が頷く。

「もしかしたらその人、俺に気づいてもらいたい、って思いながらも、その日に自分で教えたい、っていう思いもあるんじゃないのかな?」

 もちろん、俺の想像でしかない。だが、璃子の苦笑いによって、少しその考えに自信が芽生える。

「ちょっと……それもあるかもですね」

 ふふっ、と璃子は笑った。

「やっぱり、よくわかってるじゃないですか」

 何をだ、と聞く前に、璃子は立ち上がった。夕方と呼ばれるような時間はとうに過ぎ、夜の(とばり)がこの街を包み込んでいた。

「今日は付き合ってくれて、ありがとうございました、先輩。じゃ、また!」

 そう言うと、璃子は颯爽と教室を去り、後には俺だけが残される。一人だけの教室で、俺は先ほどの璃子の話を反芻する。

「……やっぱり、信じられんな……」

 俺は電気を消し、戸締りをして教室を後にする。真っ暗な廊下では、不気味に俺の奏でる足音が反響する。もう、校内に生徒は誰もいなかった。

 その日の夜、璃子からメールが届いた。七月七日の七夕祭、一緒に行きませんか、という内容だった。どんな返信をしたかは、きっと言わずともわかるはずだ。

次、最終話です。

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