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塗り潰せたら


 

 土曜の朝、一人暮らしのマンションの部屋の隅に、口紅を見つけた。いつから転がっていたものか分からない。ふと手に取り、閃きに促されバスルームに向かう。


 取りに来るということはありえないし、わざわざ返しに行くこともありえない。捨ててしまおうかとも考えたが、折角なので昔からやりたかったことを実行した。


「るるるる~るるるるる、るるるるる~」


 口笛を吹くような心地で、るると口ずさむ。口紅のキャップを外した。こんな派手な色、つけてたことがあったかなぁと思いながら、赤い赤い色を覗き込む。


 金曜ロードショーでやっていた、魔女のアニメの映画。その中の挿入歌に、バスルームに口紅で伝言を残すという、有名なものがあった。思えば同棲を初めた当初にもやろうとしたことがあったが、その時はマジギレされて果たせなかった。


 それが、今なら出来る。


「る~る~る~るるるるる、るるるるる~~」


 口ずさみながら、さて何と書こうかと考える。そういえば歌では何と書き残したか、特に言及されていなかった。旦那の浮気について奥さんが書き殴った言葉。


 さようなら、だろうか。

 ばかやろう、だろうか。


 思いつくままに、口紅をバスルームの鏡に走らせる。書きにくいかと思ったが、色は案外上手く鏡に乗った。


 浮気してんなよ。

 訴えてやる。

 ふざけんな。


 いや、これだとあまりにも男らし過ぎるか。ふっと笑いながら、別に誰に見せるものでもないしと、書き進めていく。


 愛していた。

 好きだった。

 大切に、したかった。


 途中から、趣旨とは違う言葉が溢れてきた。そんな言葉が自分の胸から溢れてくるとは、酷く意外だった。それでも構わず、書き進めていく。


「る~る~る~るるるるる、るるるるる~~」


 徐々に徐々に、口紅は先端が潰れ始め、文字が書けなくなってくる。逆手に持ち変えると、文字を書くという当初の目的を忘れ、僕は鏡をいかに赤く塗るかに腐心し始める。


「る~る~る~るるるるる、るるるるる~~」


 さようなら、が赤く潰れる。

 ばかやろう、も潰れる。


「る~る~る~るるるるる、るるるるる~~」


 浮気してんなよ。

 訴えてやる。

 ふざけんな。


 全部全部、潰れていく。

 だけど――


「る~る~る……」


 愛していた。

 好きだった。

 大切に、したかった。


 それらの言葉を赤く潰そうとして、自分の手が震えていることに、気が付いた。逆手に持った口紅を眺めれば、もう殆ど潰れて、使えやしない。


 何をどうしても、終わってしまったこと。

 笑おうとしたら失敗して、嗚咽に変わっていた。


 この口紅みたいに、彼女への想いも、早く潰れてしまえばいいのに……。大切だった想いも、文字を塗り潰すみたいに、簡単に、塗り潰せたらいいのに……。


 そう思って口紅を押し付けていたら、泣いても分からないくらいに、鏡は真っ赤になっていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] はじめは、形をなぞっていたのかもしれない。 歌の人物のように。 でも眼前に迫ると苦しくて。 想いが溢れました。 ありがとうございました。
[一言] 彼女の残骸である口紅が次第に潰れて無くなってしまう時、男がどれほどの虚しさや哀しさを抱えていたのだろうかと考えると切ないですね。 感情のままに書き綴る言葉はなげやりであり、でも愛している、…
[良い点]  ポップな歌が題材となっているのに書かれていることには少し闇があって、そのギャップが面白いと思いました。
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