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電車に揺られ三十分、人でごった返す立川駅に今日も降り立つ。
「今日はこっちに行こう」
ヒカルが指差した方は昨日とは逆の北口だった。蛍は周りに不審がられないよう、ひそひそとヒカルに話し掛ける。
「どこに行くの?」
「学校」
駅ビル横の階段を降り、線路沿いの道を歩く。大きな郵便局を通りすぎると、コンビニが姿を現した。
「コンビニ寄ってこっか」
「え? ヒカルって食べたり飲んだり出来るの?」
「出来ないけど、こっから結構歩くからケイは飲み物買ってった方がいいよ」
たまには優しいところもあるんだな……と感心しながら、ヒカルのアドバイス通りコンビニでジュースを買うことにした。コンビニに入店するとひんやりとした冷気が身体を包む。灼熱の太陽によって全開になっていた全身の汗腺がきゅっと引き締まるようだ。飲み物の置いてある売り場へ歩を進めると、背後からヒカルのうらめしそうな声がした。
「あー……アイスおいしそう」
アイス、という魅惑の言葉にぴくりと反応し、蛍も一緒にアイスの並べられている大型冷凍庫を覗きこんだ。
「ガリガリ君、学校の帰りによく食べたなぁ。一回だけ当たりも出したことあるんだよ。あれ、今はリッチとかいうのもあるの?」
「ちょっと高いんだよ」
「へぇ。僕が食べてた頃はソーダ味とグレープ味ぐらいだったような」
「そうなんだ」
「ケイ、このリッチってやつ食べてみてよ」
「え、いいけど、ヒカルは食べられないんでしょ?」
「うん。ケイが食べてるのを見て食べた気になる作戦」
なにそれ、と言いながらも、すっかりアイスの気分になっていた蛍はうきうきで購入した。
バリっと袋を破き、アイスを取り出す。一口かじると冷たいアイスが口の中で溶け、口腔内の温度を一気に下げる。溶けたアイスを飲み込むと冷たいものが喉から胸元を通って胃の中に落ちるのを感じた。
「どう?」
ヒカルがわくわくした表情で蛍の顔を覗き込む。
「……甘くて冷たい」
「ふっつーの感想!」
あはは、と大きな声で笑うヒカル。そんなに変な感想だったろうか? 首を傾げる蛍の顔を再び覗き込んで、ねだるような少し甘えた声でヒカルが話し掛けてくる。
「ねぇ、一口ちょうだい」
「へ?」
「早く」
ヒカルがあー、と口を開ける。その大きく開かれた口元に恐る恐るアイスを近付ける。食べられるのか……?
アイスがヒカルの唇に触れた――ように見えたが、ゆっくり閉じたその唇はアイスの存在なんて感じさせないほどにあっさりとそれをすり抜けた。幕を被せたような重い沈黙が二人を包む。ヒカルの顔をこっそり見上げると、光を失った瞳でアイスを見つめていた。しかし蛍が自分を見つめていることに気付くと、ぱっと表情を変え、困ったように頭を掻いて笑った。
「――やっぱダメだった! せっかく間接キスのチャンスだったのにな」
重い空気を誤魔化すような笑いに、蛍の胸はきゅっと締め付けられた。この人はこの数日間、こうして何度も何度も自分が死んでいるということを思い知らされて、その度に何度も何度も傷付くんだろう。そしてその傷を誤魔化す為に何度も何度も笑うのだろうか。
「――大丈夫だよ、ヒカル」
どうしようもない悲しさが蛍の胸を締め上げ、気付けば衝動的にヒカルの手を握っていた。
「ヒカルはちゃんとここにいる」
ヒカルは繋がれた手の熱さに驚いていた。
――今まで気付かなかった。夏の暑さも感じないし、アイスも食べられないけれど、こうして目の前にいる少女の体温は感じることが出来る。今その熱だけが、自分がここに存在していることを感じさせてくれる唯一のものなのだ。そのたった一つの存在がこんなにも心強く、暖かいとは。
「生まれ変われたら、今度こそケイとアイスが食べたいな」
そう言ったヒカルの顔はとても穏やかな笑顔だった。