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「ももちゃん、クラス委員が呼んでる」
突然、図書室のドアが開き一人の女子生徒が入ってきた。聞いたことのある声にはっとする蛍。ドアの方を見やると、そこに立っていたのはハルカだった。
「――なんであんたがここにいるのよ」
蛍と目が合ったハルカは気味の悪いものでも見るような顔つきで後退りする。そんなハルカの様子を見て不思議そうに首を傾げる百田。
「知り合いなの、東郷さん?」
百田の質問にハルカは努めて冷静を装い、素気なく答える。
「……いや、知らない。それより劇の練習見てほしいから、ももちゃん教室来てだって」
「わかったわ。――東郷さんは?」
「私はこれから塾があるから帰る」
ハルカが肩から提げたスクールバッグを見せながら答える。スクールバッグのチャックに付けられたうさぎのキーホルダーがチャリ、と小さく音を立てた。
「そう、頑張ってね。――あなたも。受験頑張って」
百田はそう言ってもう一度蛍に笑顔を向けると、いそいそと図書室を出ていった。ハルカは百田の背を見送ると、怒気のこもった足音を立てながら蛍の方に近寄ってきた。
「こんなところまで来て何のつもり?」
「ごめんなさい、まさかハルカさんがここの生徒だなんて知らなくて……」
眉間に皺を寄せ睨み付けてくるハルカの迫力に、思わず身をすくませる。小さく縮こまる蛍に構わず、ハルカは怒気に満ちた言葉を畳み掛けてくる。
「じゃあ何でここにいるのよ」
「ヒカルがこの学校に通ってたって言うから……」
「また兄の話? あんた気味悪いのよ、いい加減にして!」
声を荒げるハルカに再び身をすくませる。しかしこのまま一方的に言われっぱなしではいられない。勇気を振り絞り、震える喉で反論する。
「……っ! で、でも……っ、ヒカルはハルカさんが心配で会いに戻ってきたんですよ? なのに……」
「はぁ? 戻ってきたって何の話よ。そんなわけないでしょ」
「ほ、本当なんです。今もここに――」
「怪談話か何かのつもりなら、もうやめて。第一、本当に兄が私に会いに来たんだとしたらそれは心配じゃないでしょ」
「え……」
「兄が私に言いたいことがあるとすれば、『お前が代わりに死ねばよかったのに』よ」
「な……何言って……」
ヒカルがそんなことを言うはずがない。こんなにも妹が大好きな彼が、妹の死を願うわけがない。そもそも一体何をどうしたら記憶のない彼女がそんなことを思えるのだろうか。訳がわからず、次に言うべき言葉を見つけられない。
「…………。とにかく、もう会いに来ないで。兄がそこにいるって言うんなら、そう伝えて。じゃあね」
彼女は昨日と同じく冷たい視線と言葉を蛍に浴びせると、ぷいと背を向け足早に図書室を出ていってしまった。
「――伝えなくてももう聞いてる」
ヒカルが弱々しく言う。
「すごいなぁ。十四年て、僕の想像以上に長いみたいだ。何もかもが変わってる。何もかも……」
「ヒカル……」
「でも」
大きな音を立てて閉まった図書室のドアを見据えたまま彼は言う。
「あのキーホルダーはまだ付けてくれてるんだ」
その表情は昨日とは違い、一欠片の希望の光を瞳に宿していた。