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9 シンディ

9 シンディ


「それにしても絵真ちゃんの迎えの人は、どうしたのかしらね」


「もしかしたら、一人でいる女の子を探していて、彼女が目に入っていないのかもしれない。電話してあげなさい」


「あ、そうか。ここにいると四人家族の一人に見えちゃうものね」


 言われて、気づいた。目の前にある銀行のウインドウに、四人の姿が映ってる。確かに一家に見える。西洋人の父親、アジア人の母親、双方混じり合った娘たち。


 つまりあたしは純粋なアジア人ではないように見えるのだった。


 自分で驚いた。あたしの髪や瞳は、黒くはないけれど、日本人でもあり得る範囲だ。日本にいたときには日本人に見えていたのに。


 電話番号はわかるかと尋ねられたので、鞄の中からメールをプリントアウトした用紙を取り出した。


「……あれ?」


 なんだろう。用紙を開いたとき、なにかおかしいような気がした。冒頭のメールアドレスも、文章も、写真も。記憶にあるとおりだ。なのに。でもすぐに、よくわからなくなった。


「へー、絵真ちゃんてこう書くんだ。この字もいいよね。わたしは、恵むにヘンプって書くの」


 恵麻さんは「なにかあったらメールしてね」と、紙の裏にメールアドレスを書き込んだ。


 それから携帯電話を取り出すと、素早く操作した。やがてなめらかな英語で話し始めた。


 まもなく、確かに写真と同じ顔のミス・シンディ・フェルトンが額の汗を拭きながら現れた。


 彼女の顔を見たとき、また「……あれ?」と呟きそうになった。ミルクティー色の髪。写真と同じ顔。なのにどうしてだろう。首をかしげたくなってしまうのは。


 英語で、ここにいたのか、駐車場のほうまで探しに行っていた、みたいなことを言っていた。


 一家からあたしの災難を聞かされて、「オウ」と両手を頬に当て、あたしに対してソーリーと繰り返した。なんだかアメリカ人みたい、と感じた。動作が大きくて感情表現が派手だからだろうか。


 シンディさんは紙にプリントアウトしたあたしの顔写真を手にしていた。パスポートと同じやつ。おじさんが送ったのかな。もっとましなのにしてくれれば良かったのに。


 それから一家に「ありがとう」を何度も言って、一家は駐車場に、あたしたちは地下鉄乗り場へと別れた。


 シンディさんは先にたって歩き出した。


 アメリカの地下鉄はサブウェイ、イギリスの地下鉄はチューブと呼び名が違うってのは有名だけれども。街の表示はアンダーグラウンドだった。


 切符を買ったのも、どのホームのどの車両に乗るのかを決めたのもシンディさん。重たい荷物を降ろしたような気がしたのは、コロすけ鞄を持ってもらったためばかりではない。


 ロンドンの地下鉄は、車両そのものが全体的にこじんまりとしているように思う。ドアの上部のカーブがきつい。背の高い人がドア付近でぼんやり立ってたら、頭はさまれるんじゃなかろうか。


 あたしの視線の先を追って、


「ロンドンの地下鉄は、古いです。世界で一番古い。そのまま使い続けているので、大きくできないです」


 とシンディさんが日本語で言った。


 イギリスの地下鉄がチューブと呼ばれるのは、トンネルの断面が丸だからなのだそうだ。そして車体も穴ぎりぎりの大きさなので丸い。


「あの、シンディさん……」


「シンディでいいです。敬語もいりません。わたしはですますをつけなくては日本語を話せませんが、あなたは気にしないでください」


 大人を相手にそれはちょっと難しいかも。


「これからどこに行くんですか」


「わたしたちは、ホテルに向かっています。あなたは、眠らなくてはなりません」


「いまから? まだ夕方なのに?」


「時差を忘れています」


 そうか。時差だ。ロンドンと東京の時差は八時間。現在ロンドンは夕方だけれど、あたしの体内時計は深夜なのだ。


「ぜんぜん眠くないよ」


「興奮してるだけです。じきに眠くなります」


 もっと質問したかったけど、やめた。


 話しかけづらいのだ。


 なんかこのひと、登場したときとは雰囲気が変わった。一家が去ったからなのか。日本語になったからなのか。アメリカ人っぽさがなくなった。冷淡になったというのではないけれども。必要のない照明のスイッチは切りました、という感じかな。


 それからしばらくのあいだは、車窓の向こうの景色が洒落ていることや、車内に乗りこんでくる人々が人種のアラカルト詰め合わせであることに、心ひそかに興奮していた。以前に京都に行ったとき、バスに乗り合わせた地元の人がごく当たり前に関西弁を喋るのに感動したみたいに。


 しかし次第に感動にも飽きてくる。すると、いつのまにか意識が遠くなってくるのだった。いやいや眠っちゃいかんと思っても、いつのまにか頭がかくんと前に。


 シンディがくすりと笑った。


「寝てていいです。着いたら起こします。鞄は私が見ています」


 戦いむなしく、いつしか意識がぷつりと途絶えた。連れがいると、気持ちってこんなにゆるむのか。


 あとから何度もこのときのことを考えた。いつものあたしだったら、気づいていただろうかと。


 もしもこのとき、気づけていたなら、その後の何かが変わっただろうかと。


 でもあたしは気づかなかった。気づかないまま、眠りこけていた。


 気づいたのは、ずっと後になってからだ。



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