3 女の子
3 女の子
「具合でも悪いんか?」
頭の上から女の子の声がした。アクセントが「わ」にある西のほうの話し方だった。
はっと気づいたらあたしったら、通路の真ん中でしょんぼりと、叱られた子どものように立ち尽くしていたのだった。
女の子が目の前にいた。
昭和の子供、なんて言葉がふと浮かんだ。
肩のところでぱっつり切りそろえられた髪のせいだろうか。なんの飾り気もない無地のブラウスとスカートのせいだろうか。
頭の位置はぐっと低い。でも年齢は同じくらいだと、なんとなくわかる。背の順で並ぶとあたしはクラスの一番うしろだけれど、この子はきっとかなり前のほうだ。
女の子はあたしの顔を覗きこみ、「顔色悪いなあ。座り座り」と腕をひっぱるようにして空いてたベンチに座らせた。
「親、呼んできたろか?」
相手が同年代の子だからだろう。「いい。親、ここにいないから」なんて、そっけなく答えてしまったのは。
「あたし、これから一人で飛行機に乗るの。ロンドンまで」
どうだ、すごいだろう、えらいだろう、かわいそうだろう。親に連れられてぼんやり行く人と、違うんだから。そんな気持ちが、ええ、ありましたともたっぷりと。
だから彼女があっけらかんと「あ、ロンドンまで一人旅なん。うちと一緒やねえ」なんてニッコリするものだから、拍子抜けした。
周囲に係員の姿は見えない。
「サポートサービス頼まなかったんだ」
一人旅のお子様の面倒を見ます、というサービスがたいていの航空会社にある。
出発空港で親が係員に、子供と必要書類を託す。係員は搭乗員に、搭乗員は到着空港の係員に、順繰りに手渡されて最後は到着空港まで迎えに来た人に無事お届け。
「そやかて、サポートサービスって、荷物になったみたいでつまらんもん」
まあ、それはそうだ。ネットで調べたところによると、保護者なしの子供は航空関係者の専門用語でアナカンと呼ぶらしい。でもって、持ち主なしの貨物だけを運ぶ場合もアナカンなんだって。向こうにしてみりゃどちらも一緒。自力では動いてくれないお客様。
「うち、日本から出るの初めてやねん。するーっと案内されてあっさり連れてかれるんじゃもったいないやろ。迷ったり考えたりしながら自分の力で行きたいやんか」
「幾つ?」
「中一。ちびやから小学生に間違われんねん」
「英語、喋れる?」
「うーん、学校で習った程度。あとは旅行本に載ってた使いそうなやつ丸暗記した」
「すごいなあ」
初海外旅行で初一人旅。同じ条件なのに、なんだろうこの余裕は。
女子が「あんたかて」と笑うので、あたしは「とんでもない」と首を振った。
「全然違うよ。あたしは親が忙しくて一緒に行けないから、仕方なくだもの」
思わず、ため息が出た。それから本音も。
「いまめちゃくちゃ後悔してる。もう帰りたい。なんでこんなこと、してるんだろう。行きたいわけでもないのに」
「行きたくなかったんか?」
「親が行けって。ううん、行ってくれないかって」
「なんで?」
「わからないの。教えてくれないの」
女の子はつくづくとあたしの顔を眺め、しみじみ言った。
「あんた、偉いなあ」
真正面からの言葉に、ちょっと照れた。
「偉くなんかないよ」
「あるって。ちゃんと説明してもらえなくて、それでも行くって決めたんやろ。行ってほしいっていう親の気持を汲んでやったんやろ。立派やんか」
「でも後悔してる。ここまで来て動けなくなっちゃってる。……怖くて」
「怖くて当たり前やん。知らないところに行くんやから。うちかてそうやで」
ほんとかよ。と突っ込みたくなるような、けろりとしたお顔でいらっしゃいますが。
「ま、びびるのも旅の楽しみのうちやし。だいじょぶ。なんちゃあない。要するに飛行機乗って降りるだけのこっちゃ。ビーフ頼んだのにチキンが来ても、食えるで。死にゃあせん」
にやりと笑ってみせた彼女に、胸の奥がもやもやっとした。
日々学校が投げてよこす様々な課題の球を、わりと平気な顔で打ち返せるあたしには、なじみのない感覚だった。
で、ようし、負けるもんかと心の中で握りこぶしを作ってしまったのだった。
「おーっと、あかんあかん」
彼女はいきなり叫んで立ち上がった。
「どうしたの」
「売店で飴ちゃん買わな。黒飴ってロンドンには売ってなさそうやんか。売店って、あっちか? んじゃ」
手を振りながら、あっという間に行ってしまった。
残されたあたしは、突風が吹き抜けていった気分で、呆然として、それからくすっと笑ってしまった。
あんなふうにあっけらかんとしてるの見てたら、これから何が起こるのかと身構えていた自分がばかばかしく思えてきたのだ。
いつのまにか搭乗口の前に長く行列が伸びている。搭乗開始時間が近づいているのだ。
「……さ、行こっか」
すんなりと立ち上がり、歩き出していた。ほんのちょっと前まで、もうこの足は動かないという気がしていたのに。
はじめてptがつきました。なんか嬉しい。