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13 個人主義

13 個人主義


 あたし達が泊まっていたホテルから最寄りの地下鉄駅までの間には、交差点がひとつ。 信号も押しボタンもちゃんとあるのだけれど、道行く人は誰も青になるのを待たない。車が来ない隙を見て、さっさと赤信号で渡ってしまうのだった。


「すごい……」


 そんな光景を眺めながらも母国の習慣がどうしても抜けず立ち止まったまま動けない小心者のあたし。


 あたしに付き合ってなのか、隣に立ち止まっているシンディは、「こちらの人は個人主義だから」と説明した。


「個人主義ってなんですか?」


 個人の自由と権利を尊重する社会のこと、だそうな。


 車が来ていないのに信号を待つのは時間の無駄と考えた人が、自分で安全と判断して渡る。であるからして他人がとやかく言う必要無し。ひかれたら本人の責任。したがって保険はおりない。こちらの人はそういう考え方をするらしい。


 信号が変わった。足を踏み出しながらあたしは、「それは、いい国だね」と言わずにはいられなかった。必要以上に力がこもってしまっていたかもしれない。シンディが問うような視線を投げかけてきた。


「だってさ。それなら、ほっといてもらえるわけでしょ。変わり者な人でも」


 興味のない話題に無理をして話を合わせることは無駄だと考えた人が、自分の意志で休み時間を一人で過ごす。したがってグループには入れない。内緒話はうちあけてもらえない。いざってときに味方になってもらえないかも。でもそれは本人の責任。


 そう考えてはくれないものだろうか。


「エマは変わり者なのですか」


「じつは、そうなの」


 あたしは肩をすくめた。


 休み時間に、いつも絵ばかり描いてるから。じゃなきゃ本を読んでるから。ひとりでいるのが好きだから。


「でも、それじゃだめなんだって。勉強ができるだけじゃだめで、友達と仲良く遊べる子にならなきゃいけないんだって」


 シンディが眉をひそめた。


「乱暴な意見です」


 おや、と思った。シンディはわかるんだ。あたしにはわからなかった。試してみるまでは。


「でもさ。正論ではあるよね。だから、少しの間は努力してみたの」


 低学年の頃は良かった。ゲームや鬼ごっこ、体を使う遊びが中心だったから。


 だけど学年が上になるにつれ、女の子の遊びはお喋り中心になっていく。おしゃれと恋バナとテレビ。


「あたしはどうも、テレビが苦手らしくて」


「面白くないから?」


「いやそれ以前に、画面に集中できないというか。テレビの画面だけを眺めているということが、どうしてもできないの」


「……で、つい、他のことをやりながら見てしまう。そしたらいつのまにか、他のことのほうに気を取られて、番組が終わっている。無理をしてテレビだけを見ようとすると眠くなってしまう……」


「そうそう! そうなの。よくわかるね」


「……そういう子を、知っています」


「そうなんだ! あたしだけじゃないんだね」


「……ええそうです。あなただけじゃない」


 あたしはたぶん、テレビとは生きるテンポが違うのだ。だからテレビが大好きな他の同級生たちとも違うのだと思う。


 あたしにとっては興味ない話題で楽しそうに盛り上がっている他の子たち。つまらないという気持を隠しながら一緒にいるあたし。


「そのほうが失礼だとあたしは思ったの」


 別にあの子たちのことを好きでも嫌いでもない。話しかけられればふつうに話す。でもあまり長いこと一緒にいるのは無理。と、あたしは判断した。


「それで済みましたか。いまの日本の学校は、そういうのがいじめに発展するのではありませんか」


 答えるまでに、間が要った。


「そうなる前に、転校したから」


 あたしたちは、違う魚なのだ。たまたま住んでいる地区と年齢が同じだから同じ水槽に入れられた。みんなで一斉に身を翻す魚もいれば、隅っこでじっとしているのもいる。一匹でゆうゆう漂っているのもいる。それだけのことなのだ。どうして放っておいてくれないんだろう。


 そこで地下鉄駅に到着した。昨日も利用しているはずなのにまるで記憶にない地下鉄駅のエスカレーターは、嘘だろうと思うくらい長かった。そして早かった。


 壁にはミュージカルのポスターがずらり。じっくり眺めたい。なのに目を向けられない。


 だって、すごく長いエスカレーターというのはつまり、すごく高いエスカレーターなのだ。手すりにしがみついて足元ばかり見てた。


 なのに地元の若いお兄さん達ったら、そんなあたしの横をひょいひょい軽やかに一段飛ばしで追い抜いていくのだった。ハウ勇敢彼ら!


 地下鉄の車内はそこそこ混んでいた。途中の駅で乗り込んできたおばあさんは、座席が埋まっているのを見て、近いところにいた若者に席を譲れと命令した。堂々と、胸を張って。若者は黙って席を立った。まわりの人は苦笑いしてた。これもまた日本ではあり得ない光景だ。ここの人たちは、本当にあたしのいつもいる世界の人とは考え方が違うのだ。


 ふと思いついた。


「あたしは、個人主義の国の人の血が入ってるから、協調性がないのかな」


「個人主義というのは後天的に身につける要素です」


「後天的……。じゃあ、日本で育ったら日本的な考えをするようになる?」


「影響はされるでしょう。染まりきるかどうかは別として」


「あたしのお父さんは、一人でいるのが好きな変わり者だった?」


 シンディはそれには答えなかった。


「なるほど」


「なにが」


「エマがここまで来た理由です」


「え?」


「さして父親を恋しがっているようでもないのに、わけもわからぬまま、しかも一人で、大変な思いをして、なぜロンドンまでやってきたのか。自分を構成する要素を知りたかったのですね」


 あたしはぽかんと口を開いた。


 言われるまでわからないでいたのに、言われてみると確かにそのとおりなのだった。


 あたしは、知りたかった。


 どうしてあたしは他の子と同じようではないのか。


 未婚の母の子だからか。保護者二人が変わった職業だからか。半分外国人だからか。心がけの問題か。生まれつきなのか。遺伝か。直せるのか。直らないのか。


 答えを出すための材料が足りない。


 あたしの半分はどんなものでできているのか。


 知りたかったのだ。

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