11 朝食
11 朝食
そのまま部屋には戻らず、ラウンジに朝食を食べに行った。
朝食はビュッフェ形式で、パンとシリアル、ヨーグルト、あとは飲み物というシンプルなもの。
ジャムは機内食で出てくるような一食分ずつ包装されてるやつで、やたら種類がある。ストロベリーとブルーベリーとブラックベリーとラズベリーとクランベリーと……この国の人はベリー類によほどの思い入れがあるのだろうか。柑橘類はどうでもいいらしい。オレンジしかない。だからそれにした。
奥にあるタマゴやベーコンといった温かい料理は追加料金が必要らしい。
お財布持ってきてないし、ま、いっかと思いながら見ていたら、後ろにいたシンディに「ホットミール、食べたいですか」と問われた。物欲しげに見えちゃったろうか。
「ううん、いらない」
と急いで答えたのに、シンディは「食べてみるといいです」と言って、さっさとお金を払ってしまい、自分はトーストとミルクだけを載せたトレイを持って「先に行ってます」と座席の方に行ってしまった。
せっかくなんで並んでいた料理をひととおりお皿に取り、シンディを探した。
大小さまざまなテーブルに、いろんな人がいた。日本人もいた。大英博物館とかマダム・タッソーとかキングズ・クロス駅とか日本語で聞こえてきた。
シンディは窓際の二人がけにいた。
「今日はこれからどうするんですか」
シンディはどうでもいいような顔で、「大英博物館にでも行きましょうか。このホテルから近いです」なんて言う。
「用事があるんじゃないんですか」
「……今日のところは、観光していてくれと」
「誰が?」
シンディは、まばたきをした。ゆっくりと。ひとーつ、ふたーつと数えたくなるくらい。
シンディが答えないので、質問を重ねた。
「そもそも、あたしをこの国に呼び寄せたのはどうしてなんですか」
今度はシンディは、目を見開いて早口で何事か口走った。英語で。何言ってるのかはわからないけれど、すごく驚いているのはわかった。腰が椅子から浮いたくらいだ。 さしずめ、「もうゲームは始まってるのに、いまさらルール聞いてるよこの子!」ってなところだろうか。
あたしも驚いた。「なんにも話してないけどとにかく送り出すからあとはよろしく!」くらいの申し送りはされているもんだと思っていたから。
「どのように聞いてきたのですか」
「なーんにも。行けばわかるからって」
「よく、来る気になりましたね。その説明で」
まったくだ。あたしは肩をすくめた。
「で、なにがあるんですか」
「……私は、あなたに、それを教えることは許されていません」
「じゃあ、誰が教えてくれるんですか」
「あとでわかります」
ためしに、もうひと押し。
「お父さんに会えますか」
シンディはまたまばたきした。みっつまで数えたところで、
「……わかりません。難しいかもしれません」
「そうですか」
心を読まれないよう、さりげなく下を向いた。胸が騒いでいた。
わかりませんと言った。難しいかもと言った。ということは、シンディはあたしのお父さんを知っている。誰なのかを知っている。どこにいるかを知っているのだ。
おすすめのホットミールは、最初のひとさじを口に入れた瞬間から、なんだか不思議な気分になった。
トロトロというよりはグズグズになるまで煮込んだ豆のトマト煮。牛乳を大量にぶちこんでいると思われる、ほとんどプリンに近いスクランブルドエッグ。ベーコンは日本では見たことがないほど肉厚で、日本では味わったことがないほど塩辛く、ごはんが欲しくなる味だった。
わざわざ追加料金を払ってくれたんだからと思い、あえて何もコメントせずに食べていたのに、シンディが「おいしくないでしょう」なんて言うものだから口の中のものを吹きそうになった。
シンディは平然と「イギリスの料理はおいしくないので有名ですから。最初にびっくりしておいたほうがいいです」なんて言う。
ロンドンの街でおいしいレストランがあったら、ほぼ間違いなく外国人がやっている店なんだそうだ。いいのか、それで。
「でもエマは、こんなまずいもの食べられないとは言わないのですね。日本の子供は舌が肥えていると思っていました」
確かに級友たちならば、とうに皿を押しやっているだろう。給食とかも簡単に残してる。
「うちのお母さんの料理も、このくらいのやる気ないレベルだから」
うん。この料理を作った人は、腕がどうとかの問題ではなく、おいしいものを作ろうとかいう熱意がないと思われる。ま、食べられるでしょ、こんなもんで、みたいな。
「エマのお母さんは料理が苦手なのですか」
「うーん、ちょっと違う」
お母さんの頭の中は、いま描いている絵とこれから描こうとしている絵でいっぱい。家事をやっていても、頭はすぐにドラゴンの鱗だの砂漠の風紋だの異国の礼拝所だののもとに飛んでいってしまう。鍋はグラグラ、野菜はくたくた、肉は固くなって煮汁は焦げる。
「日本にはレディメイドミールが多いのだから、無理に作らなくても」
「それがねえ、だめなの」
食べたいと思ったときにすぐ食べられる食べ物と、あたしは相性が悪い。お腹がゆるくなったり、ぶつぶつができたり、頭がぼうっとしたり、する。どうも添加物だか化学調味料だかが悪さをしているらしい。
あたしだけじゃない。お母さんとおじさんはもっとひどい。亡くなった二人のお母さんはさらにひどかったらしい。
シンディは申し訳なさそうに言った。
「では素性の知れない料理は食べない方が良かったでしょうか」
「ううん、大丈夫。アレルギーとは違うから」
「でも……」
「ほんとに大丈夫。赤信号な料理って食べてるうちになんとなくわかるから。この料理には、ヘンなモノは入ってない」
ただ、あんまりおいしくないだけ。
「では、エマのお母さんは常に素材からきちんと調理をするのですか。彼女はとても忙しいと聞いていますが」
「ううん、最近はあまり……いや、ほとんどやらない。おじさんの仕事場には家政婦さん来るから、おじさんとお母さんはそっちで食べてるし。あたしは仕事場に食べに行ったり、自分で作ったり、半々かな」
難しいのは作れない。でも自分でできるって楽しい。背が伸びていちばん嬉しかったのは、流しやこんろをきちんと使えるようになったことかも。お母さんの料理を見張ってフォローするより、自分でやるほうが早い。
もっとも、あたしが火を使うのを危ぶむ大人は多いのだけれど。担任とか。大家さんとか。失礼しちゃう。この私がうっかりの火の不始末をするはずがないではないか。
私の回答を聞いたシンディは、しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いたときには、驚きの直球を投げかけてきた。
「エマ。あなたは、お父さんを恨んでいますか」