第九話 お金の重み
「……いいお店だね」
輝夫さんはゆっくりと店内を見渡すと、微笑んで言った。
「どうも」
素っ気なく返してしまった。俺の金持ち嫌いも筋金入りである。
「コ、コーヒーいれてくるね!」
姉さんが言って、逃げるようにコーヒーメーカーへ向かった。サイフォンは母さん専用で、俺と姉さんがコーヒーを作るときはコーヒーメーカーを使う。すでに多めに作ってあったから、持ってくるまでに時間はかからないだろう。
俺は「どうぞ」とテーブルセットの一つに座るよう輝夫さんと陽菜子先輩を促した。
「朝早くから申し訳ない。ちょっと大仕事があってね。ようやく少しだけ時間がとれたから、慌てて陽菜子に連絡させたんだ。会えて本当によかった」
輝夫さんはそう言うと、「これを」と菓子折りを俺に差し出した。
「ありがとうございます。むしろ、タイミングとしては助かりました。これから、学校の文化祭の事で忙しくなりそうだったので」
話している間に、姉さんが「どうぞ」とコーヒーを輝夫さんと陽菜子先輩の前に置いた。二人は会釈して、コーヒーに口をつけると、輝夫さんが「ほう」と感嘆の声を漏らす。
「これはおいしい。ブレンドだね?」
俺は頷いて答える。
「はい。母さんの自慢の一品です。母さんがいれると、もっとおいしいのですが」
「どういった配合なんだい?」
「それは、企業秘密です……というよりも、母さんしか知りません」
「そうか、それは残念だ。さて、謝礼の件を」
俺は「へ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。てっきり、さっきの菓子折りがそうなんだろうと思っていた。
「三百万円を謝礼金としてお渡ししたい」
その金額に、思わず息を呑んだ。
それだけあれば、収入の足を引っ張っている借金が軽くなり、生活は楽になる――そんな邪な考えをを振り払うように首を横に振って、「いやそんな大金は」と言うと、輝夫さんが続けた。
「これぐらいは当然なんだ。五年前、妻を亡くしてからというもの、大切に育ててきた愛娘でね。君には、感謝してもしきれない。本当にありがとう」
頭を下げられてしまった。どうしたものかと考えていると、輝夫さんはさらに続けた。
「そうそう、君は娘と仲良くしてくれているようだね。君のような男が側にいるなら安心だ。実は、娘には早く婚約者を見つけてほしくてね。それで誕生日パーティーを開いてみたものの、わたしが良かれと思って呼んだ者たちをすべて断って――」
「お父様!」
ようやく口を開いた陽菜子先輩が、饒舌な輝夫さんを遮った。
「なんだ、少しぐらいいいだろう」
「謝礼のお話が済んだら、すぐにお帰り下さるという約束です!」
輝夫さんはコーヒーをすべて飲み干し、立ち上がった。
「全く、反抗期で困ったものだよ。謝礼の件は、君だけでは判断が難しいだろう。ご家族と話し合ってみてくれ。金額が不足ということになったら、気軽に連絡してほしい。村上が対応してくれるだろう」
輝夫さんは俺に電話番号のメモを渡すと、「では」と会釈をして、店を出て行った。
「……一緒に行かなくていいのか?」
陽菜子先輩に聞くと、陽菜子先輩は頷いて言う。
「わたしはこのまま、学校へ向かいますので。あの、先ほどのことは気にしないで下さい」
「ああ。陽菜子先輩も、いろいろ大変だな」
そう言いつつ、輝夫さんが残したキーワードから、すでに葉山家の事情を察していた。
亡くなった輝夫さんの奥さん。陽菜子先輩に婚約者を見つけてほしいという輝夫さんの意向。婚約者足りえる男性を呼んだ誕生日パーティー。
――輝夫さんとしては、跡取りの孫がほしいってところかね。勝手な話だな……ん?
「三百万円……三百万円……」
姉さんが何かにとり憑かれたように呟いている。それほどに、俺たちにとってそのお金はとんでもない大金だ。
「……では、わたしもそろそろ失礼しますね」
陽菜子先輩は鞄を持って一礼すると、店を出て行った。いつもなら「時間まで待ってます!」と言いそうなものだが。
陽菜子先輩が出て行ってすぐに、母さんが二階から降りてきた。時間を見ると、まだ七時になっていない。目覚まし時計が鳴る前に、起きてしまったようだ。
「聞いていたわ。ごめんね、この姿じゃ出られなかったから」
寝癖でボサボサになった髪に手櫛をしながら、母さんはカウンター席に座った。
「どうすればいいと思う?」
俺がそう聞くと、母さんは苦笑いをして言う。
「任せるわ。優也があの子を救ったんだから。もらうなら、貯金するのよ」
借金があるというのに、わが身は二の次の母さんである。おかげで決心がついた。
「もらったら、借金にあてよう」
「だめよ。それは優也が――」
「俺は将来、この商店街を守るんだから。そのためには、店をもっと軌道にのせて安心したいんだよ」
「……好きにしなさい」
母さんはため息をついて、また二階へと上がっていった。