第四十九話 森田多喜恵の場合/葉山輝夫の場合
「わたしたちは、どこで間違えたのかしらね」
母さんはしゃがんで、父さんのお墓にそう語りかけた。
ネットショップを開業したその週の日曜日。店は休業にし、俺たち家族三人は父さんの墓参りに来ていた。
俺は父さんの記憶があまりないから、ここへ来てもこれといった感慨はない。だが、父さんの死を悼む母さんの悲しげな表情から、胸が締め付けられる思いはある。母さんにとって父さんはとても大切な人だったのだろうと、推し量ることぐらいはできた。
「間違ってなんかないよ」
俺は母さんを慰めるように言った。
輝夫さんは、間違ってはいない。けれど、母さんが間違っていたとも言えない。父さんが家族を置いて死を選ぶほどの極限状況下であれば、もし俺が母さんの立場だったら、俺も同様に輝夫さんを頼っていたかもしれない――そう思うからだ。
しかし母さんは、首を横に振って言う。
「お父さんが先代から受け継いだ会社をね、ただただ守りたい一心だったけれど……未来のことを、何も考えていなかったわ。今を凌ぐことしか、考えていなかったのよね。社員の皆さんと相談して、知恵を振り絞れば、見えてくるものもあったでしょうに。例え見えてこなかったとしても、会社を畳む覚悟を決めて、一からやり直す方法もあったでしょう」
母さんの声が震えていた。ふと隣にいる姉さんに目がいって、過去に姉さんが言っていた言葉を思い出す。
『家族四人で喫茶店やれてたら、楽しかっただろうなあ』
会社は大切だろう。だが、人の命には代えられない。再生ではなく、破産という選択も、あるいは必要だったのかもしれない。
いずれにせよ、過去のことを言っていても仕方がない。答えはいつだって、未来の中にある。
「同じ間違いは、繰り返さないわ。ペリドットのために、青葉商店街のために……わたしもこれから、できることをやっていこうと思うの」
父さんにそう決意を述べた母さんは、ハンカチで涙を拭い、立ち上がって大きく背伸びをした。次いで、「さあ、帰りましょうか」と俺と姉さんの方へ振り返る。
その時に母さんが見せた笑顔は、抜けるような青空の下、穏やかに澄み渡っていた。
「さあ、遠慮せずにどんどん食べなさい」
輝夫さんは上機嫌にそう言うと、中ジョッキのビールを一気に飲み干した。輝夫さんの後ろには村上さんがいて、「わたしは、森田様を信じておりましたよ」と、同じく上機嫌に、空いたジョッキへビールを注ぐ。俺は呆然として、その様子を見ていた。
父さんの墓参りを終えた後、夕方ごろに陽菜子先輩から電話があり、「お父様がお会いになるそうです」とのことで、葉山家の屋敷に招かれた。
陽菜子先輩との交際を認めてもらえるよう、「なんとしてでも説き伏せてやる」という覚悟で葉山家の屋敷に来てみれば、迎えてくれたのは、金の髪飾りを挿し、華麗な赤いドレスを纏った陽菜子先輩だった。たおやかな動作で俺の手をとった陽菜子先輩に導かれるまま食卓にたどり着くと、豪華な食事が並べられていた――という現在の状況である。
「どうかしたかね。冷めてしまうぞ」
「……輝夫さんが、俺を試してたんですね」
考えてみれば、陽菜子先輩は二か月以上も俺の家に住み着いていたのだ。いくら村上さんが上手くやっていたとしても、輝夫さんがそのことに気付かないわけがない。
そして、この歓迎ぶり。
俺を試していたのは村上さんではない。葉山輝夫だったのだ。
ところが、輝夫さんは心外だといった様子で答えた。
「試す、とは人聞きの悪い。君がわたしの提案を受け入れていたら、もちろん歓迎していたよ。十中八九、そうなるだろうと思っていたしね。だが、まあ――」
輝夫さんは「くっ」と笑って、続ける。
「『売られた喧嘩は買う』と言われた時、快哉を叫びたくなるのをようやく堪えた……というのは事実だがね」
「でも、めっちゃ怒ってたじゃないですか」
輝夫さんはしたり顔でジョッキを手に取った。
「社長業というのはね。役者でなければ務まらんのだよ」
なんだか、輝夫さんの手の内で踊らされていたような感じがして、腹立たしい。他人の家庭のことをあれこれ言うのは趣味ではないが――少々、仕返しをしてやりたくなった。
「役者なら、父親という役をもう少し頑張っていただけませんか。『跡取りを産んでくれる娘』と見られる陽菜子先輩の気持ち、考えてもらえるとありがたいんですが」
輝夫さんは「まいったな」と頭を掻き、「肝に銘じよう」と困り顔をした。やったぜ。
「しかし、優也君。君は大変なことになったぞ」
「……はい?」
「わたしは君を大変気に入ったということだ。どういうことか、わかるかね」
意味がわからず、輝夫さんをじっと見ていると、輝夫さんは呆れた様子で続けた。
「察しが悪いね。ではヒントをあげよう。わたしは、陽菜子の父親だ」
そんな当たり前のことを言われて、ようやく察した。こりゃあ、しつこそうだ。とはいえ、そのことに心配する必要は欠片もないんだが。
そう思って、陽菜子先輩に笑いかけると、陽菜子先輩はにんまりと返してくれた。




