第三十四話 住み込む理由
陽菜子先輩に兄弟がいるという話は聞かない。恐らくは、母親を亡くした陽菜子先輩にとって、輝夫さんは唯一の肉親だろう。その輝夫さんに歯向かい、こうして俺に会いに来た陽菜子先輩の心中は察するに余りある――が。
――まさか、うちに住み込むつもりじゃねえだろうな。
陽菜子先輩から受け取った、両腕でようやく持ち上げられる重さのキャリーバックを見て、そんな不安がよぎる。
二人二階へ上がると、姉さんと母さんが食卓に座って待っていた。
母さんは、もううんざりだといった様子で、額を手で押さえて言う。
「これ以上何もないわよね? わたしの心臓が持たないわ」
「多分。ごめん、起こしたよな」
「あれだけ、ドタバタやっていればね」
何か後ろでごそごそしていると思ったら、陽菜子先輩はいつの間にか手土産を持っており、「つまらないものですが」と頭を下げて母さんに渡した。
「これは、どうもご丁寧に……じゃなくて!」
「はい?」
首を傾げた陽菜子先輩に、母さんが陽菜子先輩のキャリーバックを指さして言う。
「その大荷物。一体どういうこと?」
「それについては、わたしが話すよ」
姉さんが割って入って、俺の婿入り話が持ち込まれたことを含め、これまでの経緯を説明してくれた。陽菜子先輩がここに来る決心をしたきっかけは、もし覚悟があるのなら、相部屋でよければ一緒に住んでも構わないと、姉さんに言われたかららしい。
「婿入り……ね。無茶苦茶ね、あいつ。わたしに断りも無く」
姉さんの話を聞き終えた母さんは、苦り切った顔をしてそう言った。
「黙っててすまん」
俺が頭を下げると、母さんは「断ったなら、それはもういいけど」と言って、続けた。
「問題は葉山さんよ。まさか、勝手に出てきたわけじゃないわよね」
そう、それは俺も聞きたいところだ。家出ということであれば、青葉商店街に迷惑がかかってしまう可能性があるわけで、まさかそんな軽率なことは――。
「え……駄目なの?」
姉さんが言って、姉さんと陽菜子先輩は顔を見合わせ、二人首を傾げてしまった。先ほど言われた「バカなの?」という言葉を、そのままお返ししたい。
「駄目に決まってるでしょ!?」
母さんの叫び声が響いて、姉さんと陽菜子先輩はビクッとして小さくなった。猪突猛進という言葉があるが、この二人が揃ってしまうと、イノシシをトリケラトプスあたりに置き換えたほうがいいレベルだ。
「葉山家で大騒ぎになってたらどうするんだよ。すぐにでも探しにくるかもしれねえだろ」
母さんの気持ちを代弁して、俺は電話機へ向かった。
「優也?」と呼んだ母さんを「ちょっと待ってて」と制止して、俺は村上さんの電話番号をプッシュする。ここは、「わたしは、お嬢様の味方でございますから」という村上さんの言葉を信じるしかない。
「はい。村上です」
「すみません、また夜遅くに……実は、今うちに陽菜子先輩が来ていまして」
「やはり、そちらにいらっしゃいましたか」
「明日陽菜子先輩と一緒にそちらに戻りますので。今回は、勘弁してもらえませんか」
「森田様も?」
「はい。陽菜子先輩との交際を認めてもらえるように、輝夫さんを説得します」
「青葉商店街を捨てず、さらにお嬢様を……とおっしゃいますか。輝夫様の逆鱗に触れた今、話を聞いてくださるとは思えませんが」
その言葉には、暗に俺への非難が込められているのがわかった。初めからその覚悟で陽菜子先輩と向き合っていれば、恐らくはここまでこじれなかっただろう。青葉商店街への恩義と、目の前にぶら下げられた大金との間で心が揺れる中、俺には陽菜子先輩と向き合おうとする勇気も覚悟もなかった。すべては、俺の弱さが蒔いた種だ。
「すべて、承知の上です。何回頭を下げてでも――」
「一つだけ、方法がございます」
俺の言葉を遮った村上さんの次の言葉を、息を呑んで待つ。
「……この状況が、逆にチャンスであるとお考えください。森田様が青葉商店街を救い、輝夫様を認めさせることができれば、話ぐらいは聞いて下さるでしょう」
「わかりました。では陽菜子先輩は明日にでも――」
「いえ、不都合など無いようでしたら、お嬢様の希望を叶えてあげてください」
「――は? いやいや、無理でしょう。輝夫さんが許すはずが――」
「二月末まで、という期限付きですが。輝夫様は、買収の一件でお忙しい身です。年末年始だけお戻りいただければ、わたしが何とかいたしましょう」
「別に住み込む必要は――」
「わたしは、誰よりもお嬢様と長い時間を過ごしております。お嬢様のご意思は、十分に察しておりますので。あとは、お嬢様からお話を聞いていただければよろしいかと。すみません、お嬢様と少し代わっていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「え? あ、はい……いいですけど」
釈然としないまま電話を保留状態にして、陽菜子先輩に向かって手招きをした。すると、陽菜子先輩はうれしそうに手で口を押さえながらこちらへ歩いてくる。
「なんだよ」
「さっき、交際を認めてもらえるようにって――」
「いいから、早く出てくれ」
陽菜子先輩が受話器を受け取り、俺は母さんを見て言う。
「迷惑じゃなければ、二月末までならうちにいていいって」
「家からここに来れば済むことでしょうに……そんな遠くないんだから」
母さんは呆れ顔で言った。俺もそう思う。
陽菜子先輩が電話を終えると、母さんに「とりあえず座ったら?」と言われ、俺と陽菜子先輩は母さんと姉さんの向かい側の椅子に座った。
「……それで、どうしてうちに来るって話になったの?」
母さんが聞いて、陽菜子先輩は「理由は二つあります」と切り出した。
「一つ目は、優也さんのお側に沢山いたいからです」
大真面目にそんなことを言われ、母さんの頭がガクッと落ちる。
「ええ。うん。それはいいわ。もう一つは?」
「優也さんから、リーブスが青葉商店街の敵であると聞きました。そして、青葉商店街は第二のお父様であると」陽菜子先輩は胸に手を添え、表情に決意を滲ませた。「でしたら、リーブスは、わたしの敵ですから。敵陣に身を置くのは、我慢なりません」




