第三十三話 譲れないもの
集会所を出た頃にはすでに大雪になっていて、傘を持ってきていなかった俺は、頭に雪を積もらせて帰る羽目になった。自宅の裏口に着いて中に入ると、母さんはもう寝たのか、一階は真っ暗である。二階へあがると、姉さんはまだ食卓にいた。
「おかえり。早かったね」
スマートフォンを見ながらそう言った姉さんは、「うーん」と頭を悩ませている。
「今日はすぐに解散になったんだわ」
姉さんは俺に視線を向けると、にっこりと笑う。
「……その様子だと、うまくいったみたいだね」
「まあね。何悩んでるんだ?」
「お母さんに、クリスマスケーキの飾りを探してって言われてさ」
明日のケーキのことを心配する余裕があるなら、母さんは大丈夫だろう。モッチドノエル、がんばって売るとしますかね。
「ネットショップじゃ、実際どんなやつ来るかわからないだろ」
「写真付いてるし、大丈夫だよ」
「大体、間に合うのか? クリスマスイブは明日だぞ?」
「明日の十五時に着くっていうショップがあったの」
「なにそれ、すげえな。でも十五時じゃ、ギリギリだろ」
「何よ。明日、優也が買いに行ってくれるの? わたし部活あるからいけないよ?」
「……ケーキの価値が落ちるからやめとくわ」
「賢明だね」
姉さんは愉快そうに笑ったが、次第に表情が暗くなって、ガクンと肩を落とす。次いで、「クリスマスイブなのになぁ」と言った姉さんの声は、哀愁を帯びていた。
突然、ピコーンとスマートフォンから音が鳴った。ハッとして再びスマートフォンを見た姉さんは、ニヤリと笑みを見せる。
「……そうこなくっちゃ」
「どうした?」
俺が覗きこもうとすると、姉さんは立ち上がり、スマートフォンを背中に隠して言う。
「ねえ、優也は小さい頃から、青葉商店街を守るんだーって言ってたよね?」
「……まあ、言ってるな」
姉さんは満足そうに、「うんうん」と頷いて続ける。
「でもね、わたしには、どうしてもそれが信じられないの。少なくとも、今はね。どうしてかわかる?」
「何が言いたいんだよ」
「わからないかなぁ」
両手を腰に当てて、心底がっかりした様子を見せた姉さんは、突然ビシッと俺を指さし、鋭く見据えてきた。
「青葉商店街を守る男が、好きな子一人守れなくてどーすんのよ!」
「はっ!? ちょっ――」
「わたしが気付いてないとでも思ってたの? バカなの?」
「縁談は向こうが勝手に――」
「陽菜子と一緒にいるときだけ、面白いほど動じちゃってさ。嫌だ嫌だ言ってたくせに、一生懸命デートの事考えちゃったりしてさ」
反論の余地もない。事実、俺は陽菜子先輩に惚れていたわけで。観念して正直に答える。
「仕方ねぇだろ……葉山家だぞ? 青葉商店街の敵なんだぞ?」
「それが何だっていうの。そんなの、ただの言い訳じゃない。そんなんで諦めちゃうんだ?」
「姉さんに何がわか――」
「陽菜子は!」
突如姉さんが見せた激しい剣幕に、俺は息を呑んだ。
「陽菜子は、諦めなかったよ」
姉さんは表情を穏やか笑みに変え、「迎えに行ってあげなよ」と床を指さした。
――まさか。
察した俺は、急いで階段を駆け下りる。裏口のドアを開けると――。
「陽菜子……先輩……!」
そこには、傍らに大きなキャリーバックを置き、毛皮のコートで身を包み、じっと俺を見つめる陽菜子先輩がいた。
――この人はっ……! どうしてここまでして!
さしていた傘を閉じた陽菜子先輩は、俺に微笑を向ける。
「わたしにだって……譲れないものが、あるんです」
赤く染まった頬に一筋の涙が流れてもなお、凛とした佇まいは損なわれることなく。ただただ、陽菜子先輩に女性の強さと美しさを感じて――気づけば、俺は陽菜子先輩を抱き寄せていた。




