第三十話 第二の親父
全身の痺れるような感覚に抗い、徐々に丸めた体を伸ばしていく。次第に意識がはっきりしてきて、ハッと窓の外を見れば、真っ暗だった。
身体も脳も一気に覚醒へ至り、バッと布団をまくって時計を見ると、午後八時四十五分。こんな時間帯に眠るなんて初めてのことで、目覚まし時計をセットしておくのを完全に忘れていた。まさか、二十時間近く眠りこけてしまうとは。
「急がねえと!」
会合が始まるのは、夜九時である。慌てて身支度を整え、自室のドアを勢いよく開けた。
「キャッ!」
目の前に姉さんがいて、すれ違いざまに「何で起こしてくれなかったんだよ!」と言い残し、駆け足で階段へと向かう。
「待って、優也!」
呼び止められて振り向くと、姉さんは「これ、ゲンさんから」とポケットから四つ折りの紙を取り出し、俺に手渡した。開いてみると、『今後会合への参加は無用。ペリドットの営業に専念すること』と書いてある。ゲンさんの字だ。
「……どういうことだよ」
「寝てるんなら、起こさなくていいって言われたの。どうするの?」
「決まってんだろ」
家を出て、夜の商店街をひた走り、会合が開かれる集会所へと向かった。
ゲンさんは、いい経験になるだろうと、ずっと俺を側に置いてくれて、たくさんのことを学ばせてくれた。こうしてゲンさんに突き放されたのは、初めてのことだ。
集会所にたどり着いて、息を切らしつつドアを開くと、すでにみんな集まっていた。
「おい。来るなっつっただろうが」
ゲンさんがギロリと睨みつけてきた。
「なんでだよ。俺はペリドットの代表で――」
「今回ばかりは、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。お前の出る幕じゃねえ。すっこんでろ」
「俺だって……俺だって、青葉商店街の役に――」
「立たねえよ」
ゲンさんは俺の言葉をことごとく遮る。取り付く島もない。
助けを請うように周囲を見渡してみたが、俺と目を合わせてくれる人はいなかった。この状況に関心を示す様子さえなく、ゲンさんが配ったであろう資料に視線を落としている。
「わかったろ? お前みたいなガキに誰も期待しちゃいねえんだよ。ついでに言うとな、ペリドットもうちでやってくには、もう厳しいんじゃねえか?」
「待ってくれよ! そんなこと――」
「そうだろうが。おめえんとこが一番、負債がでけえんだ。商店街がやばくなったとき、真っ先に潰れるのはおめえんとこだぞ」
俺が反論できずに躊躇していると、ゲンさんの怒号が集会所に響いた。
「そろそろ出てけ! 邪魔なんだよ!」
再度、周囲を見渡す。誰一人、引き留めようとする人はいない。気休めの言葉をかけてくれる人さえいない。
「……わかったよ」
集会所のドアを、パタンと閉めた。見上げた星空は、涙で滲んでいる。
――俺は……どうしようもねぇ大馬鹿野郎だ。
頬を切るような冷たい夜風を正面に受けながら、俺は一人、自宅へと戻った。
翌日の夜。俺は村上さんに「輝夫さんと話がしたい」と伝え、葉山家の屋敷に来ていた。
今回通されたのは、応接用の部屋ではなく食卓だった。俺の婿入りを歓迎するかのように、目の前には豪華な食事が並べられている。
隣の席には陽菜子先輩がいて、恥ずかしそうに頬を赤らめている。すでに覚悟を決めてきたのか、虚ろだった瞳はそこには無く、いつもと変わらない様子だ。
「どうやら、決心がついたようだね。さ、遠慮せずに食べなさい」
正面に座る輝夫さんは、破顔してそう言った。
すでに食事は揃っているようだが、フォークやらナイフやらがいくつも並べられていて、どう食べればいいのか全くわからない。だが、そんな心配をするだけ無駄というものだ。
「決心はしましたが……まずは、こいつをお返しします」
俺はバックから漆塗りの箱を取り出し、食卓の空いているスペースに置いた。謝礼として輝夫さんからもらった三百万円だ。
「……どういうつもりかね?」
「こいつがあると、どうにも調子が狂ってしまいましてね」
「何が言いたい」
俺は立ち上がり、食卓をバンッと手のひらで叩いた。無礼は百も承知だ。
「売られた喧嘩は、買うってことですよ」
輝夫さんが目を剥いた。次いで、憤怒の表情が浮かび上がってくる。だが俺は、決してそれに気圧されることは無かった。もう迷いはない。
「どうやら、もう話すことは何もないようだな」
そう言って立ち上がり、食卓を離れた輝夫さんを、陽菜子先輩が呼び止めた。
「待ってください、お父様! これは何かの間違いで――」
「陽菜子! 今後、優也君と会うことは許さん! いいな!」
陽菜子先輩と俺を繋ぐ糸を一刀のもとに切り捨てた輝夫さんは、一度も振り返ることなく、部屋を出て行った。
陽菜子先輩は俺の両肩を掴み、激しく揺さぶる。
「考え直してください! ご家族はどうされるつもりなのですか!」
――家族、か。
俺の家族は、死んだ父さんと、母さんと、姉さん。そして――もう一人いるんだ。
「青葉商店街はさ。俺の第二の親父なんだよ」
陽菜子先輩は愕然として、俺の体を伝いながら膝をついた。
「……ごめんな。これだけは、絶対に譲れないんだ」
俺はそう言って、陽菜子先輩の頭に手を添え、「いままでありがとう」と告げる。そして、陽菜子先輩を一人残し、部屋を出た。




