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社長令嬢にとっつかまりまして。  作者: 雪村陽
第三章 青葉商店街の危機
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第二十九話 苦悩

 深夜一時をまわった頃。眠れる気がしなくて、自宅一階のホールに来た俺は、明かりをつけてカウンターの椅子に座り、突っ伏した。

 借金のない生活。それを、何度夢見たことだろうか。

 店が軌道に乗ってきたとはいえ、借金を全額返済するまで、あと十年以上はかかるだろう。いや、リーブステーションへの対策が失敗すれば、借金が膨らんでしまう可能性だってある。そんな金額を、葉山家が肩代わりしてくれるという。こんな魅力的な話は無い。

――仁義を通せ。

 ゲンさんの言葉で、揺らぐ気持ちを抑え込んだ。青葉商店街は、路頭に迷いそうになっていた俺たち家族を助けてくれたというのに、敵前逃亡するなんて身勝手じゃないか。

『君に一体何ができる』

 輝夫さんの言葉が、俺の脳裏に滑り込んできた。

 青葉商店街には、俺の師匠であるゲンさんがいるのだ。ゲンさんの手腕を考えれば、俺ができる事なんてたかが知れている。それなら、恥を忍んで、家族の為に輝夫さんの提案を受け入れるべきではないだろうか。商店街のみんなは、誠実に頭を下げれば、きっと許してくれるはずだ。でも――。

――本当にそれでいいのか?

 尻尾を振って婿入りしたとして。俺はその後、胸を張って生きていけるのだろうか。

 葉山家における、俺の生活を想像してみた。今まで俺が積み上げてきた経験、そして商人としてのプライドが、音を立てて崩れ落ちていく。

「冗談じゃねぇ」

 決まりだ。受け入れられるはずがない。

 意を決して立ち上がった時、店の金庫がしまってあるシンク下の収納が見えた。陽菜子先輩を救った謝礼として受け取った金が入っていることを思い出し、腹立たしさが一層込み上げてくる。

 すぐにキッチンに入って金庫を開け、漆塗りの箱を取り出し、思いっきり床にたたきつけてやろうと振り上げた。

「こんなものっ……!」

 だが――。

 高々と持ち上げられた漆塗りの箱はキッチン台の上に置かれ、ついに破壊されることは無かった。この三百万円が、語りかけてくるのだ。現実を見ろ、と。

「ちくしょうっ……ちくしょうっ!」

 キッチン台をガンッと両拳で打ちつける。あまりの惨めさに、強く閉じた目から涙がこぼれ出した。

――結局、俺は……金なんじゃねぇか!

 そうやって自己嫌悪を続けること数時間。外がうっすらと白んできて、時計をみれば、朝五時である。もう仕込みや清掃を始めなければならない時間だ。重い身体に鞭打って洗面台へ行き、顔を洗う。鏡に映った俺は、ひどい面だった。もともと美形ではないが。

 ホールに戻ると、入れ違いに姉さんが来ていた。姉さんは俺を見てギョッとしたが、すぐにいつもの様子に戻り、何事もなかったかのように仕込み作業に入った。

 朝の仕事を終えて、気つけのためにマグカップ一杯分のコーヒーを一気に喉へ流し込んだ。次いで首をまわし、ううんと体を伸ばす。

 すると突然、姉さんが俺の左右のほっぺたを両手でギュッとつまんだ。

「いへへへ……はひふんはよ!」

 姉さんは頬っぺたから指を離すと、優しい笑みを浮かべた。

「今日、わたしがホールに出るから。優也は休んでて」

「はあ? 姉さん今日部活だろ?」

「昨日のうちに、休むって連絡しておいたの。優也、今にも倒れちゃいそうな顔してたんだもの。お母さんも、その方がいいって」

「姉さん推薦狙ってるんだろ? これ以上休むとまずいんじゃ――」

 姉さんが、俺の目をじっと見ながら顔を近づけてきた。鼻と鼻が触れる一歩手前。ゴンッと姉さんの頭突きが俺の額を襲った。

「いってえ! だから何すん――」

「ねえ。もし優也がわたしの立場だったら、なんて言うの?」

――お客様が心配するからおとなしく寝てろ、だ。

「……すまん」

「わかればよろしいっ! じゃ、着替えてくるね!」

 姉さんは階段のところまで行くと、ニカッと笑って「わたしは何があっても優也の味方だからね!」と言い、階段を駆け上っていった。ったく、人の気も知らねえで。

 とはいえ、姉さんのおかげで少し気が楽になったようだ。今なら眠れそうな気がする。

「……急いで返事する必要はねぇしな」

 今日の夜に開かれる会合で、商店街のみんなを心配させるわけにもいかない。俺は自室に戻って、殻に閉じこもるように布団をかぶり、冴えた目を強引に閉じた。

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