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社長令嬢にとっつかまりまして。  作者: 雪村陽
第三章 青葉商店街の危機
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第二十八話 選択

 葉山家の屋敷に着いて通された部屋は、木製のテーブルを挟んで黒革のソファが向かい合わせに設置されている十二畳ほどの部屋だった。壁に湖畔が描かれた大きな風景画が飾られているが、それ以外は何もない。多分応接用の部屋として使っているのだろう。

「少々お待ちください」

 そう言って部屋から出て行った村上さんと入れ違いに、黒のパンツスーツ姿の若い女性が入ってきて、お菓子と紅茶を用意してくれた。小腹がすいていたので、ソファに座り、ありがたく頂戴する。同じソファの少し離れた位置に、陽菜子先輩も座った。

 その女性が出て行って間もなく、「おまたせして、すまなかったね」と輝夫さんが入って来た。輝夫さんは俺の向かい側正面の位置でソファに座ると、機嫌良く話し始めた。

「君は実に肝が据わっている。緊張しているのではと心配したんだが」

 俺は咥えていたラングドシャをかみ砕き、紅茶で胃に流し込んだ。

「いえ。俺、実はビビリなんです。けど敵前でビビってちゃ、商売はできんでしょう」

「ほう。わたしは敵かね?」

「輝夫さんがというか、リーブスですけど。おかげさまで、青葉商店街は崖っぷちですよ」

「なるほど。青葉商店街にとっては、リーブスは敵なんだろうね」

 妙な言い回しだ。俺が訝しんで輝夫さんを見ていると、輝夫さんは「君にとっては必ずしもそうとは限らない、ということだよ」と続けた。

「……どういう意味ですかね」

「実は、君を呼んだのはその件だ」

 これからが本題だと言わんばかりに、輝夫さんの表情から笑みが消えた。

「わたしはね、君に、婿に入ってもらおうと思っている」

「――は?」

 突拍子もない話に、耳を疑った。

「悪い話ではないはずだ。君も、陽菜子のことを憎からず思っているように見えたが」

「なんのことですかね?」

「目は口ほどにものを言う。喫茶店で陽菜子の名前を出したとき、君の瞳が揺れるのを見たものでね」

「与太話に付き合ってられるほど、暇じゃないんで」

 両膝を押さえて立ち上がろうとしたが、輝夫さんの「随分と借金を抱えているそうだね」という言葉で制止させられた。

「……それが何か?」

「この話を受け入れるのであれば、借金はすべてわたしが返済しよう。もし多喜恵が喫茶店を続けたいというのならば、移転費用も負担しようじゃないか」

「いや、ちょ、ちょっと待ってください!」正直、話についていけない。「なんでそこまでするんですか!?」

「なあに、先行投資だよ。葉山家の跡継ぎが生まれることを考えれば、安いものだ」

「跡継ぎって……リーブスの社長にでもするつもりですか?」

 輝夫さんは失笑した。

「そんなに難しく考えなくていい。葉山家の跡継ぎ足りえるよう高度な教育を受けてもらう、その程度に考えてもらえればいい。子供が君と陽菜子の愛情を受けて育つことは約束しよう。もちろん、いくらかは協力してもらうことになるとは思うがね」

 これ以上この話を続けていても、頭が痛くなるばかりだ。話を本筋に戻すことにする。

「俺に青葉商店街を裏切れっていうんですか?」

「裏切る? これは変なことを言う。君に一体何ができる。裏切るも何もないだろう」

「やってみなけりゃわからないでしょう」

「本気でそう思っているのであれば、身の程知らず、としか言いようがないね」

「なんだと――」

 頭に血がのぼって立ち上がったその瞬間。足元が崩れ落ちたような気がした。ふらついて倒れそうになるのを、やっとの思いで堪える。

 輝夫さんから放たれた怒気は、それほどに凄まじかった。ソファに座っているだけの輝夫さんが、岩山のように大きく見えて、俺が輝夫さんを見下ろしているというのに、どっちが見下ろしているやらわからない。

――これが……葉山輝夫!

 恐怖で動けなかった。「まあ」と輝夫さんが瞑目してようやく、俺の呼吸が戻って来る。

「君が育った商店街に義理立てをしたいという気持ちはよくわかる。だがそれよりも、家族の生活のほうが大切ではないのかね」

 反論できなくなった俺は、隣に座っていた陽菜子先輩に視線を移した。

「陽菜子先輩は……それでいいのかよ!」

 輝夫さんの提案を、陽菜子先輩が受け入れるということ。それは、俺をお金で繋ぎとめようとする行為に他ならないはずだ。だが――。

「優也さんの側に……いられなくなるぐらいなら!」

 陽菜子先輩の虚ろな瞳の奥に確かな決意を感じて、俺は天井を仰ぎ見た。陽菜子先輩を責める気持ちにはなれない。陽菜子先輩をここまで追い込んだのは、俺自身なのだから。

 とにもかくにも、陽菜子先輩と輝夫さんの利害は完全に一致している。

「と、いうわけだ。なに、今すぐに返事をしろとは言わん。君の人生を大きく左右する選択だ。ゆっくり考えなさい」

 輝夫さんはそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。


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