第二十六話 どういう関係?
自宅へ戻り、一息ついてからパートさんと入れ替わると、いつもは客足が少ない十五時に近いというのに席が埋まっていた。軽食メニューを強化した影響だろうか。売上は上昇傾向にあり、母さんは最近上機嫌だ。
夜八時になって、店を閉めようと入口のドアノブに手を掛けると、ドアが勝手に開いた。
――このお客様で最後かな……って!
目の前の人物を見て、ドクンと心臓が鳴った。葉山輝夫である。
「すまないね。もう閉店かな?」
「いえ。奥の席へどうぞ」
こっちとしては、願ったり叶ったりだ。もう店内に客はいない。さりげなく、『リーブステーション』の情報を引き出せるかもしれない。
輝夫さんに中へ入ってもらった後、ドアの外側の札を裏返して『CLOSE』にする。深呼吸をして再び店の中に入ろうとしたその時。
目の前の状況に戦慄した。あの穏やかな母さんが、憎悪をむき出しにしている。その矛先は、間違いなく輝夫さんだ。
「おやおや。久しぶりに会ったというのに、つれないね。コーヒー、いただけるかな?」
輝夫さんは、奥の席にゆっくりと座った。一方、母さんは輝夫さんへ憎悪の念を送り続けている。一体何があったのかは知らないが、輝夫さんはお客様だ。その態度はまずい。
すぐに母さんの側へ行って、「母さん、コーヒー」と耳打ちする。「わかってるわ」と返って来た母さんの声は、震えていた。
母さんはコーヒー作りに入った。輝夫さんにいろいろと話を聞きたいが、重々しい空気が流れて、それどころじゃない。輝夫さんはといえば、意に介している様子はなく、本を読み始めてしまった。
少しして、輝夫さんは本をパタンと閉じると、「何か、聞きたそうだね」とテーブルを拭いている俺に視線を向けた。ちらちらと輝夫さんを見ていたことに気付かれたか。
何よりもまず、母さんとの関係は……といきかったが、母さんが「何も聞くな」と言わんばかりに睨んできたため、言葉を飲み込んだ。まあ、商店街の問題の方が大事だしな。
「リーブステーションの話、聞きましたよ。柳沢駅にもできるんですよね?」
「ああ。西東京店は、来年二月末にオープン予定だ」
さりげなく聞きたかったその言葉が、あっさりと輝夫さんの口から出てきた――って!
「二月末? 二月末ですか?」
「それがどうかしたかね」
早すぎる。『箱』はあるにしたって、冷蔵設備やら出店店舗の募集やら、詰めるべきところがあるはずだ。それを、年末年始という忙しい時期を挟むというのに、二か月ちょっとでオープンにこぎつけるという。前々から買収計画を立てていない限りそんなのは――。
――まさか。
青田商事の情報漏洩問題をリーブスが掴んでいて、タイミングを見計らってリークしたんじゃ……なんて妄想をしていても仕方がない。二月末オープンという大問題に、さっさと頭を切り替えた。早くゲンさんに報告しないと。みんなとの情報共有も待ったなしだ。
母さんが、出来上がったコーヒーをカウンターの上に置いた。自分で運ぼうともしないところを見ると、よっぽどか。
仕方なく、俺が輝夫さんのところへコーヒーを運ぶ。「どうぞ」とテーブルの上に置くと同時に、母さんは「あとは任せるわ」とエプロンを脱いでしまった。
――追加注文を受けたらどうするんだよ。
それを聞こうとして、輝夫さんに視線を移すと、輝夫さんはコーヒーを一口飲み、穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、美味いな。多喜恵が淹れたコーヒーをまた飲め――」
バンッとキッチン台を叩く大きな音がした。振り返ると、母さんが鬼の形相で輝夫さんを睨みつけている。
「名前で呼ばないで」
輝夫さんは「これは失礼、森田さん」と言って、何事もなかったかのようにまた一口コーヒーを飲んだ。大丈夫? そのコーヒー、毒とか入ってないよね?
母さんはドタドタと大きい音を立て、二階へと行ってしまった。ここぞとばかりに、「母さんとどんな関係なんですか?」と輝夫さんに聞いてみる。
「大学の頃、同じサークルに入っていてね。恋人同士だったんだ。わたしが海外へ留学したのをきっかけに、別れたがね」
「あんな母さん、初めて見ましたよ?」
輝夫さんはコーヒーを一気に飲み干し、ため息をついて言う。
「君の父さんが、お金に困っていた時にね。多喜恵が一千万貸してほしいと言ってきた」
あまりの金額に、目まいがした。
「貸したんですか?」
「貸していたら、こうはなっていないよ。貸したところで、結果は見えていたからね。あいにく、ドブに捨てられるとわかっている金を貸してやるほど、わたしはお人好しじゃない。具体的にどう会社を立て直すのか、わたしを納得させられるなら話は別だと言ったんだが。貸してくれ、貸してくれの一点張りでね」
母さんの逆恨み、としか言いようがなかった。けれど――。
「母さんは……きっと、父さんを失って、すごく悲しかったんです。気持ちのやり場が無くて、あんな態度をとっているんだと思います。どうか、勘弁してくれませんか」
「……陽菜子の言う通り、君は優しいね」
輝夫さんは立ち上がり、コーヒー代をテーブルに置いて、「ごちそうさま」と出口へ向かって歩き出した。
「待ってください、輝夫さん!」
俺が呼び止めると、輝夫さんは無言で振り返った。
「何しに来たんですか? まさか、コーヒー飲むため……ってわけじゃないですよね?」
「君の様子を見るためだよ」
「……は?」
「では、また会おう」
不可解な言葉を残して、輝夫さんは店を出て行った。




