第二十五話 仁義
――ゲンさん、商店街のみんなに言うつもりかな。遅かれ早かれ、リーブステーションのことが耳に入れば察する人もいるだろうし。
「森田君?」
――いや、しばらく様子見して、リーブスに対抗できるプランが固まり次第か。
「ねえ、森田君!」
――売上が落ちるとなったら、青葉商店街に見切りをつける店も出てきそうだよなあ。クローバー薬局なんか、本部がシビアらしいし――。
「森田君ってば!!」
「うぉ!?」
大声で呼ばれて顔をあげると、そこに長谷川がいた。
「おお……でかい声が出るようになったもんだな」
「何回も呼んだんだよ? 浮かない顔してたけど、大丈夫?」
二学期の期末テストが終わった翌日。俺は帰り支度をしながら、思考を巡らせていた。
リーブスの西東京市進出がわかってからすでに二週間。現状、ゲンさんからは今後についてなにも聞かされていない。故にこうして、俺なりにいろいろと考えていたりする。
「わりぃ、考え事してたんだ。なに?」
「大田先生が、生徒指導室に来てほしいって」
「オニセンが?」
時計を見ると、まだ正午を過ぎたばかりである。今日の授業は午前中で終わりだ。家業の方はパートの人が十五時までいてくれるから、それまでに帰れば問題ないだろう。
「わかった、いくよ。ありがとな」
カバンを持ってその場を離れてすぐに、「森田君!」と長谷川に呼び止められた。振り返ると、長谷川が不安そうに俺を見ている。
「どうした?」
「森田君大丈夫? すごく疲れてるみたいだけど。里香ちゃんも博史君も心配してたよ」
いつも通りにしていたつもりだったが、体は正直らしい。家業に加えて、近い未来に必ずやってくる商店街の危機にどう立ち向かうか、それを思考する時間が増え、俺の睡眠時間は大幅に削られていた。
返答しかねていると、長谷川が続けた。
「葉山先輩も、最近全然ここに来ないし……ねえ、何かあったんでしょ?」
「……悪い、オニセンに呼ばれてるし、ちょっと急ぐわ」
逃げの一手である。「森田君!」と再度呼び止められたが、それを無視して教室を出た。
生徒指導室に入ると、二つの机が突き合わされていて、その奥側にオニセンが座っていた。手前の机にはどんぶりが置いてあって、その中をのぞきこむと、うどんである。何の取り調べですかね、これ。
「まあ、座れ。それ、食べながらでいいぞ。悪かったな、飯の時間に呼び出して」
「どもっす」
椅子を引いて座り、遠慮なくうどんを啜る。かつおだしが利いていて、うまし。
オニセンが机の上にプリントを数枚並べた……ってこれ、俺の答案用紙だわ。うどんを口に入れたまま、固まってしまった。ひどい点数が、ずらりと並んでいる。
「ひや、あも、ほれはでふえ。ひがうんでふお」
しどろもどろに答えると、オニセンは「原因はこれだろ」と並べられたプリントの上にポンと新聞を置いた。日付を見ると、リーブスが青田商事を買収した件が載せられている日付と一致している。
うどんを飲み込んで、オニセンの目をじっと見た。どうやら誤魔化しはきかないらしい。
「まあ、そんなところです」
「森田はまだ学生だろう。こういうことは、大人に任せておけばいい」
「生活がかかってるんで。何もしないで食っていけなくなるのは御免ですから」
オニセンは腕を組み、視線を落とした。表情は苦渋に満ちていて、俺のことを真剣に考えてくれていることが伺える。本当に、いい先生だと思う。
「よかったら、森田のお母さんと話をさせてくれないか。何とかなる方法は、あるんだ」
「……生活保護ですかね?」
オニセンの目が見開かれた。オニセンが提案できる『何とかなる方法』なんて、それしかないと思うが。
俺はオニセンの返答を待たずに続けた。
「それは、限界まで足掻いてからですよ。最後の最後の最後の手段です。俺自身、人のカネで生きていくなんて嫌ですしね」
「そう言わずにだな。いざとなったら、そうすればいいじゃないか。なんというかな……お前を見ていると、完成された社会人を見ているようでな。時々、やりきれなくなるんだよ。お前はまだ若いんだ。大きい夢や目標を持って、やりたいことをやるべきじゃないか」
夢を持てだの、青春よろしくやりたいことをやれだのと――俺のことを思って言ってくれているところ申し訳ないが、迷惑な話である。食いっぱぐれないだけで御の字という社会の現実をみんなより先に知っている俺にとって、夢も青春も、ただただ空しいだけだ。
他のみんなだって、行き着くところは大抵同じだ。大企業に入れば、出世競争を余儀なくされ、うつ病になって働けなくなる人だっているし、中小企業に入れば、いつ行き詰まるかわからない不安に怯えることになる。どうか、せめていまの間だけでも夢と青春を大切にしてください。全力で顔をしかめて、そう祈ってますよ。
そんなふうに腐ってしまった俺でも、ずっと大切にしてきていることがある。ゲンさんから、商売人として絶対肝に命じておけと言われていること。『仁義に反するな』だ。
「青葉商店街は、俺たち家族を拾ってくれたんです。なのに、見て見ぬふりをしろっていうんですか? そんな神経、俺は持ち合わせていませんね」
残りのうどんを一気に口の中に入れて飲み込み、「ごちそうさまでした」と席を立った。
「そうか……わかった」
瞑目したオニセンに、俺は深くお辞儀をして、生徒指導室を後にした。




