第二十四話 帰結
自宅に着いてすぐに姉さんの仕事を引き継ぎ、夜八時半に締め処理を終えて、売り上げ報告のためゲンさんの酒屋へと向かった。びゅうっと吹いた夜風に、思わず身を縮める。空を見上げると、南の方にオリオン座が見えて、もう冬も近いなと、しみじみ思う。
そんなことを考えながらも、頭の片隅には常に陽菜子先輩がいた。まさか、毎日のように「ざまあみろ」と言っていた相手に惚れるとは。自嘲気味の笑いが、自然と漏れる。
酒屋二階にあるゲンさんの事務所のドアを叩くと、「入りな」とゲンさんの声がした。妙に声のトーンが低く、違和感を覚えつつ中に入ると、ゲンさんは不機嫌そうな顔でソファに座り、新聞を開いていた。
「……どうしたんですか?」
そう聞くと、ゲンさんは「ほれ」と新聞を差し出した。ゲンさんから新聞を受け取り、開かれていた紙面を見てみると、右上のほうに『リーブス、青田商事を買収』と大きく載せられている。これが意味するところはつまり――。
すぐに、閉店セールをしていたクロスエイジが脳裏に浮かび上がった。
「ゲンさん、これっ……!」
慌てふためいた俺に、ゲンさんは「津波がくるぞ」と静かに言い、グラスの酒を一気に飲み干した。クロスエイジの閉店セールと聞いて、あのビルはどうなるのだろうとは思っていたが、まさかリーブスが青田商事ごと買い上げていたとは。
「青田商事の本業のアパレル事業はどうするんですかね?」
そうゲンさんに聞くと、「記事を読んでみろ」と言われ、再び紙面に視線を移す。
――青田商事の役員七割を更迭、アパレル事業を『クロス・リーブス』としてリーブスグループに組み込み、その社長にリーブスの営業部長を据え……っておいおいおいおい。
「やりたい放題じゃねえか!」
思わず叫んでしまった。これじゃ完全に乗っ取りだ。血も涙もねえ。
「これが『剛腕』葉山輝夫のやり方だ、今更おどろきゃしねぇよ。俺たちにとって重要なのはそこじゃねえだろ」
そう、俺たちにとって重要なのは、クロスエイジ――記事の内容によれば、名前は『リーブステーション』に変わるらしい――がリーブスのものとなり、おそらくは、食料品やカフェ、生活用品などを主体としたリーブスのスタイルに変えてくるのではないか、ということだ。その多くは、青葉商店街で出店しているものと重複する。
有田駅に近いところに住居を構えているお客様は今まで通り足を運んでくれるだろうが、柳沢駅寄りに住んでいるお客様の足は遠のいてしまう。その割合は、青葉商店街全体の売上の三十パーセント近くになるのではないだろうか。
「……何か対策はあるんですか?」
ゲンさんはため息をついて、首を横に振った。
「相手はリーブスだ。抜本的に何かを変えていかねえと。考えてはいるが、今は、当たり前のことをきっちりとやっていくしかねえやな」
一体、何を血迷っていたのだろうか。陽菜子先輩は他の金持ち連中とは違う、だなんて。
いや、実際違うのだろう。陽菜子先輩に惹かれてしまった俺自身がそれを証明している。
されど、葉山家である。世に君臨する、絶対的な強者。葉山家からみればアリンコ同然である俺と、葉山家の令嬢である陽菜子先輩とでは、あまりにも立場が違う。この先の人生で、近しくなることがあったとしても、決して結ばれることは無いのだ。
「……何か、あったんですか?」
翌日の学校の帰り道。楽しげに話しかけてくる陽菜子先輩に、俺は生返事を繰り返していた。ついに疑念が生じたのか、陽菜子先輩は土手のところで足を止め、そう尋ねてきた。
俺はカバンから昨日の夕刊を取り出し、陽菜子先輩に手渡した。
「経済面。見てみろよ」
陽菜子先輩は「リーブス、青田商事を買収……ですか?」とタイトルを読み上げ、首を傾げた。俺が言わんとするところがわからないらしい――まあ、そりゃそうか。
「クロスエイジってわかるか?」
「え? ええ、隣の柳沢駅近くの……」
「そこのディベロッパーが青田商事だ。リーブステーションって名前に変えるらしい」
ここまで言えば、さすがに察したようだ。陽菜子先輩の顔が、みるみる青ざめていく。
「わかったか? リーブスの西東京市進出によって、青葉商店街は危うくなる。つまり、俺の生活が窮地に立たされているんだ」
「そ、そんな! でも隣駅ですし――」
「有田駅と柳沢駅はそんなに遠くない。柳沢駅寄りに住んでいるお客様は、リーブステーションに流れるだろ。ギリギリでやってる俺たちにとっては大打撃だ」
「わ、わたしがお父様に何とかしてもらいます!」
陽菜子先輩は取り乱した末に、そんなことを言った。無垢で、世間知らずで、温室栽培でもされたかのようなお嬢様の戯言としか言いようがない。
「なあ、陽菜子先輩。今回の買収で生じた西東京市を拠点とする事業に、一体何人割り当てられる? 一体いくら動いてる? それを、輝夫さんの判断一つで止められるって、本気で思っているのか?」
「そ、それは……」と戸惑う陽菜子先輩に、俺はなおも捲し立てた。
「もしリーブスが西東京市への進出をやめたとして。リーブスにどれだけ損失がでるんだろうな。リーブス社員の晩飯のおかずが一品、減っちまうかもしれないな。その責任を、陽菜子先輩がとれるのか?」
一方で、俺たちは食っていけなくなるわけだが。そういう程度差こそあれ、これは、青葉商店街とリーブスの、生活をかけた戦いだ。そこに、陽菜子先輩が介入する余地はない。
陽菜子先輩の目が虚ろになり、やがて表情からも生気が消えた。
「この際、はっきり言っておくぞ。リーブスは、葉山家は、青葉商店街の敵だ。つまり、俺の敵だ。葉山家である陽菜子先輩も、俺の敵なんだよ」
そう言って、俺は陽菜子先輩を残して一人歩き出した。そして、陽菜子先輩に背を向けたまま、駄目押しの一言を言い放つ。
「二度と俺に話しかけるな」




