第二十三話 初デート②
陽菜子先輩があまりに奇抜過ぎて、金持ちのお嬢様ということを忘れそうになっていた。目的を忘れてはいけない。気を引き締めねば。
俺のターンは終了してしまったが、まだまだチャンスはある。これから高級ブランド店とかに連れて行かれようものなら、問答無用で帰ってやるのだ。
渋谷駅について、陽菜子先輩に連れてこられた場所は、意外な場所だった。
「……ゲーセン、だと?」
息を呑んで、店内を覗きこむ。
陽菜子先輩は緊張した面持ちでコクリと頷いた。
「はい。一度入ってみたかったのです」
俺もゲーセンに入るのは初めてである。聞くところによれば、入ったが最後、数千円は消えてしまうという、恐ろしい場所らしい。
入るのを躊躇っていると、陽菜子先輩が「せーの、で入りましょう」と手を握って来た。この時ばかりは振りほどく気になれず、「お、おう」と応じる。
一歩踏み出し、自動ドアが左右に開いたタイミングで、「「せーの!」」と一足飛びで店内に入った。
ただやかましいだけである。なんてこたあねぇな。
「優也さん、あれ! あれをやりたいんです!」
陽菜子先輩が指をさした先には、大きなショーケースのようなものの中に、可愛らしい小さなクマのぬいぐるみがたくさん入っている機械だった。近くへ行って覗きこんでみると、端の方に穴があって、その上にクレーンのようなものがぶら下がっている。なるほど、このクレーンを使ってぬいぐるみをとるゲームらしい。
陽菜子先輩は「一回、二百円みたいですね!」と言って、バックから財布を取り出した。
「……これ、一回でとれるものなのか?」
「うーん? どうでしょう」
ふと隣を見ると、似たような大きさのぬいぐるみにチャレンジしているカップルがいたので、しばらく観察してみた。すると、三回目でようやくぬいぐるみがとれたというのに、喜んだ様子で去っていく。
「計六百円……」
そう呟いて、クマのぬいぐるみを見てみる。どう贔屓目に見ても六百円の価値はない。
そう思って、俺は陽菜子先輩の耳元で囁く。
「これやるやつ……バカなんじゃないのか?」
「ど、どうしてですか!?」
「だって、普通に買えばいいだろ、ぬいぐるみ。店の人、またカモがきたわーとか言って、その辺の影でほくそ笑んでるだろ、絶対」
陽菜子先輩はムスッとして、両手を腰に当てた。
「優也さんはわかっていません! とれそうで、とれない……そのスリルに、お金を払っているのです! ぬいぐるみは、おまけに過ぎないのです!」
「……さっき、『一度入ってみたかった』とか言ってなかったか?」
つまり、ゲーセンは初めてということだろう。
「……という解説を、とあるブログで見ました!」
その場を立ち去ろうとする俺の袖を掴んで、陽菜子先輩は懇願する。
「一度だけ! 一度だけでいいからやってみてください!」
「……わかったよ。一回だけな」
涙を呑んで、受け入れることにした。陽菜子先輩を説得する時間を考えれば安いものだ、そう自分に言い聞かせて。
嫌々とはいえ、どうせやるなら取りたい。俺はしっかりと狙う位置を定め、慎重にクレーンを動かした。定めた位置通りにたどり着き、たくさんのぬいぐるみの中に沈んだクレーンは、クマのぬいぐるみをしっかりと掴み、端の方の穴へと向かっていく。
「やりました! やりましたよ!」
陽菜子先輩がはしゃいでいる。やっぱりゲーセンなんて、なんてこたぁ――。
――なんてこった。
穴にたどり着く直前で、ぬいぐるみはクレーンから滑り落ち、穴の縁に引っかかってしまった。
「…………」
チャリン、チャリン。
百円の音を二回響かせ、取り損ねたぬいぐるみを穴の中へ落とした。
恐る恐る陽菜子先輩を見ると、憐れむような、それでいて、ほほえましいものを見ているかのような、そんな視線を俺に送っている。
「……なんだよ」
「いえ、なんでもないですよ」
「今のは、違うんだ。ほら、せっかく二百円使ったのに、もうすぐ取れるのに、勿体ないだろ!? 店の思惑に嵌ったとか、そんなんじゃねぇし!」
「そうですねぇ」
「そんな目で俺をみるのはやめろぉ!」
次に俺たちはカーレースゲームに手を出し、負けた方が「もう一回!」と譲らないせいで、二千円近く消えてしまった。ゲーセンとは、やはり恐ろしいところだ。
――つーか、俺普通に楽しんでないか?
「最後にプラネタリウムへ行きたいのですが……まだ時間がありますね」
陽菜子先輩の声に遮られ、自答には至らず。
「プラネタリウム? 渋谷にあるのか?」
「はい! 駅の向こう側ですが。優也さんのクラスのプラネタリウムを見て、行きたくなってしまいまして」
「じゃあその辺で時間を……ん?」
ゲームに夢中になってしまったせいで、どっちから来たのかわからなくなってしまった。
「あっちかな?」となんとなくの方向を指でさしてみると、陽菜子先輩は「きっと、そっちですね!」と大きく頷いた。しばらくその方角へ歩いてみることにする。
すると、渋谷にしては人通りが少ない場所に出てしまった。引き返そうとして振り返ると、後ろにいた陽菜子先輩は、両手を後ろで組み、もじもじとしながら顔を赤らめていた。
「優也さんったら、昼間から大胆ですね」
「は?」
「優也さんがそのつもりなら……わたしはいいですよ?」
――まさか。
陽菜子先輩の後ろにホテル。振り返った場所にもホテル。あっちにもホテル、こっちにもホテル。つまりは、ラブホ街である。
「うおあああぁぁぁ!!」
俺は陽菜子先輩の腕を掴み、一目散に引き返した。
――絶対知ってただろこいつ!
息も絶え絶えに大通りへ戻ってきて、陽菜子先輩に文句を言ってやろうとして睨むと、陽菜子先輩はスマートフォンをいじっていた。
「今、地図を開いているので、待っていてくださいね」
「初めからそうしろや!」
途中のカフェで休憩をとり、プラネタリウムへたどり着いた。驚いたことに行列ができていて、いったい何事かと係員に話を聞くと、通常のプラネタリウムではなく、期間限定のドキュメンタリーが上映されていて、今話題になっているらしい。
上映された内容は、小惑星探知機『オオタカ』が小惑星からサンプルを採取して地球へ帰還するまでの物語だ。このプロジェクトに携わる人々の努力と、『オオタカ』が様々な困難を乗り越えながら宇宙を旅する姿に、深い感動を覚えずにはいられなかった。
「すごく……よかったですね!」
そう言って、陽菜子先輩はハンカチで涙を拭った。
「まあ……そうだな」
「あ、優也さんも泣いてます」
「ばっかやろ! おまえ……これは、あれだよ! 欠伸したんだよ!」
そんなやり取りをしていて、ふと思う。今まで、こんなに感情を揺り動かされたことがあっただろうかと。
朝起きて、学校へ行って、帰ったら仕事をして寝るの繰り返し。その生活は、どこか灰色がかっていて、時折虚しささえ感じていた。
それが、どうだ。陽菜子先輩と一緒にいると、彩り鮮やかな世界に一変する。ハラハラさせられたり、うんざりさせられたりすることも多いが、それでもなお、陽菜子先輩と過ごす時間が続いてほしい――そう思い始めてしまった。
「今日は、とても楽しかったです」
いつもの土手まで陽菜子先輩を送ると、陽菜子先輩は別れ際に笑顔でそう言った。そして、どこか悲しそうな表情を浮かべながら、「でも……」と続ける。
「わたしも、バカじゃないんです。優也さんの心に、まだわたしがいないことぐらい、わかっているんです」
陽菜子先輩は、沈んでいく夕日に向かって一人歩き出した。その後ろ姿に一抹の寂しさを感じて、思わず手を伸ばす。
すると突然、陽菜子先輩はロングスカートをふわりと舞わせ、俺の方へ振り返った。夕日をバックに、自信に満ちた笑みを見せた陽菜子先輩の姿は、目に焼き付くほどに美しい。
「絶対に、あなたを捕まえてみせますから!」
そう高らかに宣言し、陽菜子先輩は俺に背を向けて、軽い足取りで去っていく。
「はっ、適わねえや」
高鳴った鼓動の理由を、素直に受け入れた。
俺の大っ嫌いな、金持ちのお嬢様。そのお嬢様に、どうやら俺は惚れてしまったらしい。




