第二十二話 初デート①
「どうすりゃいいんだよ……」
俺は自室のベッドに寝転んで、頭を抱えていた。
文化祭を終えて、ゲンさんに辛うじて及第点――ゲンさんのモノマネのせいで大幅に減点された――をもらい、ほっとしたのも束の間、陽菜子先輩とデートの約束をした日曜日が明日に迫っていた。
「まだどこに行くか決まってないの? もう明日だよ?」
相も変わらず返事を待たない無意味なノックをして、姉さんが入って来た。
「仕方ねぇだろ。初めてなんだから」
「ネットで調べればいいでしょ? 何のためのパソコンなの?」
「どこぞの誰かが適当に書いたもんなんて信用できねぇっての」
「……あんた、いつの時代の人間よ」
「信用できねぇもんは、信用できねぇの!」
姉さんは心底うんざりした顔をして、俺の机の椅子に座った。
「しょうがないなあ。お姉ちゃんが一緒に考えてあげよう。近場なら『クロスエイジ』とかいいんじゃない? 閉店セールやるらしいよ!」
「は? あそこ畳むの?」
クロスエイジは大手アパレル企業『青田商事』が運営しているショッピングセンターだ。販売拠点こそ少ないものの、『あなたのすべてをコーディネートする』の謳い文句よろしく、靴や小物はもちろん、化粧品店や美容院、エステまで内包していて、たくさんの女性客が訪れている。最近、大規模な情報漏えいの隠蔽が明るみにでて、損害賠償により資金繰りが悪化したことは新聞で見たが、まさかそこまでとは。
クロスエイジの西東京店は、青葉商店街から徒歩二十分ほどの柳沢駅付近にあり、衣類の買い物はすべてそこで揃ってしまう。故に、青葉商店街には洋服店が一店舗もない。
――これから呼び込んでいくのもありだな。
起き上がって考えに耽っていると、姉さんが「ほら、脱線しない!」と言って、机の上にあったノートを丸めてポンポンやりはじめた。
「ああ、ごめんごめん。つーかさ、俺に女物の服を選べっての?」
「おっと、これは失敬」
姉さんは舌を出して、丸めたノートで自身の頭を叩いた。頼りにならない姉である。
「午後は陽菜子先輩が渋谷へ行きたいらしいから、午前中をどうするかなんだよな。できれば、渋谷に近いところで時間潰したいんだけど」
「それを早く言ってよ……じゃあ、吉祥寺に行って、井の頭公園で散歩したらどう? 渋谷まで井の頭線で一本でいけるでしょ?」
「二人で散歩して、何が楽しいんだよ」
俺にとって散歩ってのは、妄想や考え事をしながら体を動かすことだ。だから、一人でするものなのだ。
「ほんっと、陽菜子のことちっともわかってないんだから。お金稼ぎに九十九パーセント頭使ってるからそうなんのよ」
「……残りの一パーセントは何だよ」
「ベッドの下に隠してるやつ」
体中の血が一気に脳天目指して昇ったかのように、顔面が熱くなった。
「あ……が……な、な、なにを言ってんのか、さっぱりわからないね!」
「いやー、姉モノとかあったらどうしようかなって思ったけど。よかったよかった」
――こいつ、読みやがった!
死にたい俺の気持ちを他所に、姉さんは何事もなかったかのように続けた。
「それはそうと優也さ、陽菜子に本気で惚れちゃったの?」
「は、はあ? なんでそうなんの?」
「だってさ、そんなに一生懸命考えるって、陽菜子と楽しくデートしたいってことでしょ?」
姉さんのごもっともな指摘を聞いて、俺はほくそ笑んだ。そう、わざわざ俺がこんなに悩む必要なんてなかったのだ。陽菜子先輩と恋人同士になるなんて考えられないのだから、俺がやるべきことは一つじゃないか。
いろいろなプランが頭の中に浮かんできた。これは姉さんに感謝せねば。
「サンキュ。おかげでいいプランができそうだよ」
「ふーん? なんだかよくわからないけど……それじゃ、もう寝るね。おやすみー」
姉さんは立ち上がり出て行ったが、閉じたドアを少し開いて、俺をニヤリと見た。
「あのさ、わたし体育教師目指してるから、教師モノもやめてよね」
「知るか!」
姉さんを狙って枕を全力で投げるも、ドアがバタンと閉まり、枕はドアにぶつかってポフっと落ちた。
朝十時五分前。待ち合わせ場所である吉祥寺駅の南口へ行くと、陽菜子先輩が俺を見つけ、「優也さん!」と駆け寄って来た。ニットのインナーにゆったり目のロングスカート、その上にロングカーディガンを羽織っている。ブラウンを基調にコーディネートされたその姿は、陽菜子先輩の穏やかな笑みも相まって、どこかホッとするような印象を受けた。
――ってか、いい匂いがするな。
陽菜子先輩が俺の顔を覗きこんできた。
「どうかしましたか?」
「っべ、別に!? なんでもねぇよ!?」
見惚れている場合じゃない。今日こそは、俺と陽菜子先輩の違いってやつを解らせてやらねば。
井の頭公園に着くと、陽菜子先輩は「わぁ!」っと両手を広げて、子供のように駆けだした。紅葉が見ごろを迎えていて、公園を赤に黄色にと華やかに彩っている。特にモミジは、燃えるように赤く染まっていて美しく、陽菜子先輩が「髪飾りにしたいぐらいですね!」と言うのも頷ける。
――はしゃいでいられるのも最初のうちだけだ。
このまま何事もなく、昼になるまでぐるぐると公園を無駄に回ってやるのだ。陽菜子先輩がつまらなそうに「もう行きましょう?」と言った時がチャンス。「俺はこれが楽しいんだ」と突っぱねれば、陽菜子先輩はうんざりするだろう。我ながら完璧すぎる。
「あ、見て下さい! かわいいワンコですよ!」
陽菜子先輩が指さしたほうをみると、シーズーらしきモジャモジャの犬が、リードを引きずりながらこちらへ走ってくる。その後ろには、犬に置き去りにされた飼い主が見えた。
陽菜子先輩がしゃがんで犬を迎えると、犬は陽菜子先輩の頬をペロっと舐めた。
「キャッ、くすぐったい!」
陽菜子先輩は純粋に笑う。一方の犬は、ハッハと息が荒く、下心丸出しのように見えた。調子に乗ってんじゃねえぞこのクソ犬。
ようやく飼い主が追いついて、陽菜子先輩は犬に手を振って「バイバイ!」と別れを告げる。陽菜子先輩の笑顔は一層明るくなっていた。
――まあ、そんなこともあるか。
しかしその後も、「あそこで写真撮りましょう!」とカメラを取り出したり、俺の肩をトントンと叩いて振り向きざまに指を頬に刺したりと、陽菜子先輩のネタは尽きない。二時間は、公園で過ごすには長いはずなのに、正午を回るまであっという間だった。陽菜子先輩が「ああ……ボート乗れませんでしたね」と残念がってしまうほどに。
――次こそは!
公園を出て、俺は陽菜子先輩を立ち食いステーキの店に連れてきた。がっつりと肉を食べることができる割にはリーズナブルで、サラリーマンに人気のチェーン店である。
陽菜子先輩は、おしゃれで広々とした高級店しか行かないはず。であれば、こじんまりとした空間で、しかも、立ったままガツガツと分厚い肉を食べるようなこの店には耐えられないはずだ。そこを、俺がこう言ってやるのだ。「これが俺たち庶民の日常だ」と。
ところが、陽菜子先輩はメニューを見るなり、目を輝かせた。
「美味しそうですね! わたし、サーロインステーキの五百グラムが食べてみたいです!」
「五百だぁ!?」
……ああ、そうか。いつも勝手に料理が運ばれてくるものだから、このお嬢様には量なんてわかりゃしないんだろう。少々予定外だが、これはこれで面白い。
俺はそれ以上何も言わずに顔を伏せ、にやけた顔を隠した。これも庶民の洗礼だ。思い知るがいい。
店員を呼んで、俺はヒレ三百グラム、こっちはサーロイン五百グラムと伝えた。店員はギョッとして、訝しげに去っていく。そりゃそうだ。
間もなくして、肉が運ばれてきた。陽菜子先輩の手前に、どでかく分厚い肉が乗せられた鉄板が置かれる。
「思ったより……」
陽菜子先輩はそう言って視線を落とし、肉を切り始めた。さすがに言葉も出ないらしい。俺は笑いを堪えながら、自分の肉にナイフを入れた。まあ、あとで手伝ってやるか。
「ママ! あそこに〇ービィがいるよ!」
突然そんな声が聞こえて顔を上げると、正面にいた子供が陽菜子先輩のほうを指さしていた。その指先をたどってみると――。
「うぉ!?」
子供の表現は、言い得て妙である。陽菜子先輩の口の中に、分厚い肉片が次から次へと吸い込まれるように消えていく。肉を切ってフォークに刺し、口に運び、咀嚼して嚥下に至る一連の動作は、スローモーションにすれば、洗練されていて美しいことがわかるだろう。スローモーションにすればな。現場で見るそれは、〇ービィでしかない。
あっという間に平らげ、陽菜子先輩は口元をハンカチで拭うと、「やっぱり、思ったより少なかったですね」と呟き、視線を俺のヒレ肉に向けた。こいつ、狙ってやがる!
陽菜子先輩といい、〇えあずといい、一体どんな胃袋をしているのだろうか。高耐久性シリコンゴムが内臓されているか、〇イバイマン級の消化液を分泌させているに違いない。
陽菜子先輩の視線が俺の顔へ向けられた。徐に目を閉じて「あーん」とか、まじでTPO考えない人ですね、このおバカさん。
「ママ、あのお兄ちゃんとお姉ちゃんラブラブだね!」
向かいの子供がそんなことを言って、その母親らしき人が「邪魔しちゃだめよ?」とかね、もうね。腹立ってきたわ。
俺は肉をわざと大きく切って、ぐさりとフォークで刺し、「おらぁ!」と陽菜子先輩の口の中に突っ込んだ。
――一生モグモグしてやがれ!
陽菜子先輩は肉を頬張り、目を丸くした――が、残念ながら、例えヒレ肉であろうとも、陽菜子先輩の敵ではなかったらしい。膨らんだ頬は、肉を噛むごとに小さくなっていき、やがてすべてを飲み込んでしまった。肉食系女子の頂点に立つんじゃないかね、この人。いろんな意味で。
店を出た時には、すでに一日分の体力を使い果たした気分だった。あの後、陽菜子先輩がサーロインを二百グラム追加したこととか、それを使って、今度は逆に陽菜子先輩が俺に「あーん」と口を開かせようとしたこととか、その辺はもう省略させていただきたい。
「美味しかったですねぇ」
陽菜子先輩はとても満足した様子だ。この店を選んだのは、失敗のようである。しかし、どうしても解せないことがあった。
「肉の臭いとかさ、気にならないの?」
あの狭い空間では、確実に肉の臭いが衣服に残る。気にするはずだと踏んでいたんだが。
「あ、臭いますか!?」
陽菜子先輩は慌てて、バックから香水らしきものを取り出し、シュッシュとした。柑橘系のさわやかな香りだ。なるほど、完全に失敗である。
何を思いついたやら、急に陽菜子先輩が悪戯な笑みを浮かべる。あろうことか、俺の方にもシュッシュとし始めた。
「ふふ、おそろいですね!」
「バカ、やめ――ん?」
香水のビンに書かれている『シャルネ』――誰もが知る高級ブランド――の文字が目に入って、思わず叫んでしまった。
「ひと噴きいくらだそりゃあ!?」




