第十九話 売りつくせ!
文化祭二日目の準備が教室内で慌ただしく進められる中、陽菜子先輩は昨日の販売実績と今日の販売予定数量を見て、首を傾げた。
「……本当に、今日これだけ売るんですか? 昨日の倍以上の数字ですよ?」
「売る」
即答する。しかし、なおも陽菜子先輩は訝しげだ。
「価格設定が同じみたいなのですが」
「ああ、それな。昨日の午後、五十円引きクーポンを配りまくったんだ」
『お一人様三個まで』、『お持ち帰り限定』、『在庫がなくなり次第終了』の条件をつけた五十円引きクーポンである。お店の宣伝を兼ね、俺が頭を下げて配って回った。昨日の正午以降にやきそばを買ってくれたお客様へも、会計の時に渡している。
陽菜子先輩は「なるほど」と頷いて、「信じてます」と俺に微笑みかけた。
「……あのさ、夢にまで出てくるなよな」
「はい?」
陽菜子先輩の表情から、今朝見た夢を思い出してしまった。
陽菜子先輩が「朝ですよ、起きて下さい」と俺の部屋を訪ねてきて、「朝食はパンにします? ごはんにします? それとも……わ、た、し?」と服を脱ぎ捨てたその瞬間は、軽くホラーである。俺のでかい音を立てる目覚まし時計よりも、強烈に覚醒させてくれた。
「悪い、なんでもねぇわ」
「待ってください! 何の夢ですか!?」
そう呼びかける陽菜子先輩を無視して、自らの役割である作業点検へと向かう。
――大丈夫だ。大丈夫なはずだ。
何度も自分に言い聞かせる。商店街や喫茶店の試みで多くの成功を積み重ねてきたが、それと同じ数だけ、失敗も繰り返してきた。蓋を開けてみなければわからない以上、不安は尽きない。
だが、それだけに成功を収めた時の喜びは一入で、かけがえのないものである。みんなにもその喜びを感じてほしい、そう祈って、俺は最後の点検項目にチェックを入れた。
「がんがん回して! もう連絡いらないから! ありったけ!」
正午を回ったころ、情報連携係はついに自分の役割を放り投げた。廊下にはお持ち帰り用ブースへと続く行列ができていて、価格据え置きの店内も昨日に引き続き満席である。
俺は、廊下のお客様対応に回ろうとした情報連携係の肩を掴んで、小さい試食用のカップの束を渡した。
「悪い、こいつを使って、並んでいるお客様に試食を回してくれ」
「え? こんなに客入ってるのに?」
「ああ、頼む」
情報連携係は少し戸惑った様子を見せたが、すぐに取り掛かってくれた。
目標売上は、昨日の倍以上の数字なのだ。ただ一人のお客様だって、逃がすわけにはいかない。並び飽きて他の店に回ってしまわないよう、引き留める必要がある。焼きそばの後を引くような味を体感すれば、諦めきれない思いが生じるはずだ。
焼きそばの価格を、値下げではなくクーポンにした理由もここにあった。手元にクーポンがあれば、そう簡単に他の店へ行ったりはしないだろう。
「すごい……! こんなに……! 調理、間に合うのですか!?」
讃嘆に次いで、不安げな表情を見せた陽菜子先輩に、俺は「頼りになる夫婦がいるんでね」と笑みを向けた。なぁ、博史、長谷川。
必死に作る二人の気持ちが伝わってくるように、一回の調理で可能な二十人前の半分が、いいペースで教室に運び込まれてくる。事前に調理していた分もあって、教室のほうは何とか持ちこたえていた――が。
「森田君、屋台の方、間に合ってないの!」
焼きそばを運び込みに来た藤堂が、狼狽して言った。屋台の方も、つまりは持ち帰りなので、五十円引きクーポンが適用される。こちら同様、行列ができているのだろう。
「……予備在庫のやつ、こっちに回してくれ。」
「いいの? でもあれは――」
「構わない。これから調理する焼きそばは、屋台の方にまわして」
「うん、わかった!」
間もなくして、パッキング済みの焼きそばが大量に運び込まれてきた。俺はそれをひとつずつ開けて、焼きそばをホットプレートに入れ、やや熱を強くして蓋をする。
――これでしばらくは持つだろ……ん?
陽菜子先輩がこちらをポカンと見ていた。
「どうした?」
「どこから出てきたんですか? この焼きそば」
「販売拠点を増やしておけば、融通を利かせやすいってことだよ」
「はい?」
詳しく説明している暇はない。再パッキングは他の人にまかせ、俺も接客へと回った。
残りの食材が少なくなってきたという報告を受けたところで、お持ち帰りブース終了の案内板を出し、教室内での食事のみに限定する。そして十六時を回ったころ、情報連携係がスマートフォンを持って俺のところに駆け寄って来た。
「ラスト二十人前だって! どうする?」
「あとはそっちで捌いてくれって伝えてくれ。こっちは店じまいにする」
販売活動が許されているのは十七時まで。なかなかに際どかったが、残り三十分というところで、ついにその時は訪れた。
教室のドアがバンッと開いた。そこに現れた里香は、両手をあげ、快哉を叫ぶ。
「焼きそば……完売したよおおぉぉ!!」
みんな「ワァッ!」と飛び上がって喜び、大歓声が響き渡った。
全身の力が抜けて、床に座り込んでしまった。やれることはすべてやった。万が一、二位以下に甘んじてしまったとしても、胸を張ってこの文化祭を終えることができる。
「お疲れさまでした」
そう言ってペットボトルの水を差しだし、満面の笑みを向けてくれた陽菜子先輩は、とても穏やかで、温かかった。これまでに、これほど心に染み入る労いがあっただろうか。
「ありがとう」
感謝の言葉は、すっと出てきた。胸のあたりからこみあげてくる感情の高ぶり抑え、ペットボトルの水を受け取って一口飲む。そして、周囲に気付かれないように、俺は拳をぐっと握りしめた。




