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社長令嬢にとっつかまりまして。  作者: 雪村陽
第二章 戸塚高校文化祭
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第十八話 森田優也の受難②

「こっち、もうすぐなくなるよ! 十人前追加、あと十分でいける?」

 情報連携係が携帯電話で屋台側と密に連絡を取り、焼きそばの保管量を調整している。お客様を長く待たせることのないように。そして、保温用のホットプレートに焼きそばを長時間入れたままにならないように。的確な判断力を必要とする責任重大な役割だ。

 とはいえ、文化祭一日目は焼きそばの価格を高く設定しているため、今日の情報連携係は割と楽なほうだ。一日目の売上数は目標通算売上数の三分の一に届けばいいほうか。

 文化祭の期間は土・日曜日の二日間。一日目の価格を高めに設定した理由は大きく二つ。

 第一に、調理役である博史が、鉄板での焼きそば作りに慣れていない。一日目よりも、二日目の方が効率よく焼きそばを調理できるだろう。一日目は販売数が少なくなるように、価格を調整する必要があった。

 第二に、来場者の金銭感覚を掴めていない。まずは高めの価格設定で様子を見て、適正価格を見極める必要がある。一日目から飛ばしすぎて、二日目の食材が無くなりました、なんて阿呆な結果だけは確実に避けたい。

――おっと。

 寝ている子供を抱っこしている家族連れが来店して、俺はすぐに座敷の席へ通し、子供が寝るスペースを確保して座布団を二枚並べた。次いで、あまり大声を上げないようにと、接客係へ指示しておく。

 時計を見ると、十一時を回ったところだった。もうしばらくは、客足が増えることはないだろう。俺は着ていたはっぴを脱いで、「十分だけ出てくる」と近くにいた遠藤に告げ、大沼のクラスへ向かった。陽菜子先輩がメイドとして接客をするのは一日目で、その状況次第では、明日の価格設定を調整する必要が生じるかもしれないからだ。

 ちなみに、今日俺のクラスにいる監査役は、文化祭実行委員会から派遣された陽菜子先輩の代理だ。明日には陽菜子先輩が来るし、会わない約束は終わりにして、余裕がありそうだったらついでに声をかけていくとしよう。

――あるわきゃないか。

 まだ十一時だというのに、大沼のクラスのメイド喫茶に行列ができていた。中の様子を伺うと、陽菜子先輩だけではなく、メイド服が似合う可愛らしい女の子がかなりいて、彼女たちを目当てに来店した男性客が席を埋めている。

 しかし、本命は陽菜子先輩というやつが、やはり多いらしい。陽菜子先輩は「陽菜子ちゃん、陽菜子ちゃん」と馴れ馴れしく呼ばれ、あちらこちらへ動き回っている。笑顔を絶やさず、懸命に対応しているその姿は、感心するというよりも気の毒だ。

 大沼は席を外していたようで、じっくりと様子を伺うことができた。たしかに大繁盛だ。だが、その裏で息をひそめている確かな問題点が、はっきりと見えた。

 メイドの接客姿勢の至らなさ。そして、行列への不十分な対応。

 大沼は、客が見えていない。そう断言できる。

 こみ上げてきた笑いを抑え、大沼が戻ってくる前にと、足早に引き返した。

 一日目の売上数は、目標通算売上数の三分の一に惜しくも届かず、というところで終わった。今、クラス全員が教室に集まっていて、反省会を開いている。

「まだ、食材いっぱい残ってるけど、大丈夫……?」

 不安そうに聞いた里香に、俺は「ほぼ予定通りだよ」と答えた。欲を言えば、価格を高く設定している間に、もう少し売上を伸ばしたかったが、設定していた一日目の売上最低ラインを十分上回る数字だ。

「おい、大丈夫か?」

 やや疲れた表情をしている博史にそう聞いてみると、博史は力こぶを見せた。

「俺はやるといったら、最後までやるぜ。それにさ、うまそうに食べてくれる客をみると、テンション上がるんだよな。ぶっちゃけ、楽しいぞ」

「言っておくが、明日は今日の倍ぐらい忙しくなるぞ?」

 博史が「なんてこったい」と大げさに後ろへひっくり返って、みんなが笑った。

「長谷川、明日は宣伝活動やらなくていい」

 博史の隣にいた長谷川は、「えっ!?」と驚いて俺に視線を向けた。

「博史の側にいてやってくれ。急いで焼きそばを作ることになるだろうから、ちゃんと出来ているかどうか、チェック役な」

 遠藤が「夫婦初めての共同作業!?」と冷やかすと、長谷川は顔を真っ赤にして小さくなった。一方博史は、やる気に火がついたようで、「うおおおお!」と雄叫びを上げ、教室内は再び笑いに包まれる。

「明日が勝負だ。みんな、気合を入れて――」

 俺が反省会を終えようとしたところで、突然教室のドアがバンッと開いた。俯いていたせいですぐには気づけなかったが、メイド服を着たその女性は、陽菜子先輩だ。

 沈黙の中、陽菜子先輩は壊れたロボットのように歩き、俺の正面数メートル先に立つと、虚ろな眼差しで俺を見た。不穏な空気を感じ取ったのか、みんなは俺一人を残して教室の端の方へと逃げていく。俺はといえば、陽菜子先輩の様子から、深い闇に呑まれるような感覚を覚えて、身動きをとれずにいた。

「ど……どうしたんだよ?」

 かろうじて聞くと、陽菜子先輩は徐に口を開き、体を小刻みに震わせて話し始めた。

「優也さん以外の男の人にっ……! 笑顔を振りまいてっ……! あまつさえっ……! 生クリームでっ……! ハートマークっ……とかっ……!」

 よくわかった。とにかく、陽菜子先輩は爆発寸前だ。

「き、気にすんなよ! いいじゃねぇか、別にそれくらい!」

「それくらい……ですって?」

 震えていた陽菜子先輩が、ピタリと動かなくなった。え、なんかやばかったか?

 突如、陽菜子先輩の瞳に烈火の如き怒りが宿る。どうやら地雷を踏んだらしい。

――逃げねば。

 体を教室のドアへ向け、一歩踏み出したが、左腕を博史に、右腕を遠藤に掴まれた。

「待て! やばいって! 俺死んじゃうって!」

 必死に訴えているというのに、絶対に俺を逃がすまいと、二人は俺を掴む力を強めた。

 博史が、俺の首根っこを掴み、耳元で言う。

「荒ぶる女神を鎮めるにゃ、お前が犠牲になるしかねぇんだよ!」

――女神だぁ!?

 今にも飛びかかろうと構えている陽菜子先輩の姿は、『霊長類最強』と名高いレスリングメダリストにしか見えない。

 里香が「バリケードを作ってあげて!」と叫んで、みんなが俺の後ろへ机と畳を運び始めた。バリケードって、防壁のことだよ? 俺の後ろに作るってどうなの?

「ちょっと! 胸に当ってるんだから暴れないでよ!」

「だったら離せよ!」

 この遠藤とのやり取りが、陽菜子先輩の怒りの炎に油を注いでしまったようだ。

「優也さん!」

「はひっ!?」

 陽菜子先輩の姿勢が低くなっていく。

「あなたの愛が……足りません!」

――そんなもの、一ミリグラムもくれてやった覚えは……!

 俺の思考は、胴体に走る激しい衝撃と共にかき消された。次いで、コンマ一秒後に『ドォン!』と激しい音が響いて、背中からも衝撃に襲われる。

「がっ……はっ……!」

 後ろの方で、机がガタガタと落ちる音がした――ってことは。

――あ、生きてる。

 生きてるって素晴らしい。畳の衝撃吸収力って素晴らしい――と思ったのも束の間、第二波。俺を抱きしめている陽菜子先輩の力が、徐々に強まってきた。

 すでに俺の腕から離れた博史は、「メイド服の葉山先輩に抱きしめられて死ぬなら、本望だろうぜ」と微笑んでいる。おいてめぇ、いますぐ俺と代われ。

「もうやめっ……! ぐるじっ……!」

 意識が遠のいていく。順位発表までに、俺の生命力尽きるんじゃねぇかな、これ。

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