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社長令嬢にとっつかまりまして。  作者: 雪村陽
第二章 戸塚高校文化祭
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第十四話 想定外

 文化祭まであと十日と迫ってきた頃。

「里香、進捗状況の報告を頼む」

 教卓から里香にそう指示すると、里香は立ち上がり、「はーい」とノートを開いた。情報収集は完了したため、里香には各係の進捗状況を取りまとめてもらっている。

「概ね、予定通りだね。食材の手配は完了。S予算はフードパックと輪ゴム、割り箸の手配が完了すれば監査役に報告できるよ。ガスのレンタルも完了したから、明日にはO予算を優也に報告できると思う」

 S予算の『S』は『Submission』の頭文字で、監査役に提出する予算のことだ。S予算の対象は、シンプルに言えば『お客様の所有物となるもの』で、売り上げにS予算を差し引いた額が順位付けの基準となる。

 それに対して、O予算の『O』は『Outside』の頭文字で、監査役に提出する必要のない予算のことだ。『お客様の所有物とならないもの』、つまりガスや教室内の飾りなどに使うお金は、別途クラスで管理する。順位には関係ないが、これが膨らんでしまうと、結果一位をとっても、「実は赤字でした」なんてことになりかねないから、これはこれできちんと管理しなければならない。

「ガスは設置とテスト込みのところか?」

「うん、抜かりないよ」

「うし、続けてくれ」

 その後の里香の報告に問題はなく、クラスの準備は順調に進んでいた。概ねは。

「……わたしからは以上だけど、葉山先輩のポスター作りのほうは大丈夫なの?」

「言っておくが、お前も悪いんだからな? あんなことにならなけりゃ、もう出来上がっていたはずだからな?」

「何のことかしらん」

 それは、結局押し切られて陽菜子先輩にポスター作りを頼んだ三日目のこと。陽菜子先輩が「出来ました!」と自信満々に見せてきたそのポスターは、ひどいあり様だった。いや、絵は上手なんだが。

 美味しそうに描かれた焼きそばの絵の上に、陽菜子先輩らしき人物が、俺らしき人物に「あーん」と焼きそばを食べさせているところが描かれていたのだ。しかも少女漫画風のタッチで。無駄にキラキラしている感じの。

 引き受けてくれている以上、ふざけんなとは言えなかった。カップルだけが来るんじゃないんだから、家族連れも来るんだからと説得してみれば、翌日手直しされたものには、同じく「あーん」の絵が描かれ、『若い頃を思い出して』と申し訳程度に書いてある。

 俺が頭を抱えると、陽菜子先輩は「安心してください、リバーシブルですから!」とポスターを裏返し、そこには最初に描かれていた絵がそのままになっていた。カップル版と家族版のつもりかよ。

 さすがの俺も「ふざけんな、破り捨ててやる!」となって、陽菜子先輩は「駄目なら生徒会室に飾りますから!」とポスターを死守。そこを里香に撮られてしまい、『くっそくだらない理由で夫婦喧嘩勃発!』というタイトルで翌日の記事にしてしまったため、陽菜子先輩が描いたポスターが白日の下に晒されることとなった。

 そうして、沈静化していた俺への攻撃が再び活発になった。ボロボロになった俺は「どうか普通に描いてください」と陽菜子先輩に土下座をし、「そこまでおっしゃるのなら」と陽菜子先輩が折れて、ポスター作りは未完成のまま、現在に至る。

 里香は「やれやれ」と肩を竦めて言う。

「明日葉山先輩のところに行って、状況確認してくるよ。明日は部活ないし」

「ああ。でも余計な事するなよ。あくまで採用は俺が目を通してからな」

 俺の忠告を、里香は「はいはい」と受け流した。

 里香は面白そうな話の方へ流されてしまう故に心配だ。俺が陽菜子先輩に聞けば済むことなのだが、俺への攻撃が沈静化するまでは会わないようにしていて、それもできない。

 余談だが、もちろんそのことで陽菜子先輩に猛抗議された。姉さんに陽菜子先輩をなだめてもらい、どうにかなったが。姉さんと陽菜子先輩は、初めて一緒に帰ってからというもの、携帯電話番号を交換――姉さんは家族会議で携帯電話を持っていいということになっている――したようで、仲良くなったらしい。

 クラス会終了を告げてすぐに、俺は校舎四階にある大沼のクラスに向かった。姉さんから「大沼君のクラス、手ごわいかもしれない」と言われ、様子を見にいくことにしたのだ。

 姉さんいわく、放課後に見に行けばすぐにわかるとのことだった。今、文化祭実行委員会が開かれていて、陽菜子先輩がいないという情報も入手済である。

「……へぇ」

 三年D組に着いてすぐに、俺は思わず感嘆の声を漏らした。

 教室のドアが開いていて、そこから中の様子を伺うことができたわけだが、教室内には四十人ほど集まっていた。文化祭の打ち合わせをしているようだ。恐らくこれは――。

「ほう、偵察か? 森田」

 教卓のところにいた大沼に気付かれてしまった。大沼は「今日は解散だ」と集団に告げると、俺の方へ歩いてくる。

「悪いな、邪魔したか?」

 俺がそういうと、大沼はしたり顔で答えた。

「いや、今ちょうど終わったところだ。その様子だと、どうやら気付いたらしいな」

「ああ。一クラス三十人のはずが、四十人以上いればな。他クラスと合同出店か」

「ご名答」

 俺は教室内に再度目線を移した。文化祭が間近に迫っている状況を考えると、合同出店にしては人数が少ない気がする。

「エンターテイメント部門で参加する部活動の人は切り分けたか。んで、教室は二つ確保して人数は四十人程度に調整。報酬は一クラス分しかもらえないから、あぶれた分は利益で賄い、残りの利益を全員で分配……ってところか?」

 俺の問いかけに、大沼は満足そうに頷いた。先日のやりとりだけでは、陽菜子先輩を頼ったやっつけの仕事をするだけかと思っていたが、どうやら甘く見ていたようだ。

 合同出店の試みは過去にも行われていたようだが、その多くは不発に終わっている。クラス同士のライバル意識は高く、折り合いをつけるのは非常に難しいからだ。

「よくまとめたな」

「獅子は弱い兎を捕まえる時でも全力を尽くす、それだけのことだ。だが森田、俺は貴様にがっかりしているんだぞ」

「あん?」

 視線を大沼に戻すと、大沼は不敵な笑みを浮かべていた。

「ホットプレートを使うらしいな。それで焼きそばの調理が追いつくとでも思っているのか? 文化祭で一クラスが使用可能な電力量は見なかったのか? もしそうならば、貴様はライバルから雑魚に格下げだ」

 偵察の時に、黒板に書かれた『ホットプレート』の文字でも見えたのだろうか。

「さあねぇ」

「ふん、強がりを」

 大沼は俺に背を向けて教室へ向かい、ドアの端に手を掛けると、顔だけ振り返って俺を睨み付け、こう言い放った。

「今一度言わせてもらおう。震えて待て」

――上等じゃねえか。

 俺は自分の教室に戻りながら、大沼のクラスの売上はいかほどか、試算を始めた。

 大沼のクラスの出し物はメイド喫茶だ。恐らくは高い荒利率を確保してくるだろう。さらに、二つの教室を使うことで格段に回転率があがる。また、大沼は喫茶店の仕事をよく理解していて、その点でも優位性がある。想定している焼きそばの稼ぎで対抗するのは、少々厳しい――そう判断せざるを得なかった。

 教室に戻ると、まだ小田切が残っていた。参考書を広げ、シャープペンシルを走らせている。文化祭準備の仕事をきっちりとこなしつつ、勉強への姿勢を維持できる精神力には本当に頭が下がる。

「小田切、すまん、ちょっといいかな」

 勉強中に申し訳ないとは思いつつも、思い切って話しかけた。事は急を要する。

「いいよ。気を使わないでくれ」

「サンキュ。食材のことなんだけどさ、追加することはできないか?」

「え? これから?」

「手強そうなとこがあってな。恐らく予定の売上だけじゃ足りない。なんとかならないか」

 小田切は少しだけ考える様子を見せたが、「明日までなら、なんとか」と答えた。後はどう販売数を底上げするかだ。

 そこへ、ジャージ姿の藤堂が教室のドアを勢いよく開けて入って来た。

「いた! 森田君、1年C組がオッケーだって!」

「ナイス! よくやったな!」

 藤堂には、文化祭でエンターテイメント部門に参加する一年生のクラスに、ある交渉をしてもらっていた。藤堂は聞き上手かつ話し上手で、交渉事には長けている。

「うん! 部活行く前に返答を聞いたんだけどさ、ほんと、よかったぁー!」

 俺と藤堂は拳と拳を突き合わせた。文化祭で一位を獲るには、必ず成功しなければならない交渉であっただけに、藤堂の喜びと安堵感は一入だろう。

 続けて、今度は博史と長谷川が教室にやって来た。二人は俺を見つけて駆け寄ると、博史が皿に盛られた焼きそばを俺に差し出した。

「調理室で作ったんだ。食ってみてくれ」

 割り箸を渡され、一口。後を引くような味だ。格段に美味しくなっている。

 もう一口食べてみた。食欲をそそるこの香りの正体は――。

「胡麻油をつかったのか?」

「さすがだな、優也」

 博史は得意げに胸を張ったが、俺は腕組みをして思案した。サラダ油よりも胡麻油の方が、コストは高くつくからだ。コストをかけるだけの価値が、この工夫にあるかどうか。

「コストが気になるんだよね?」

 長谷川が言った。図星を指された俺は、はっと長谷川に視線を移す。

「何か手を打ったのか?」

「うん。これね、サラダ油七割、胡麻油三割なの」

「三割……? それだけで、こんなにも違うものなのか」

 それならば、十分にやる価値がある。

「工夫はこれだけじゃないな?」

 俺の問いに、博史と長谷川は笑顔で答えた。やはりそうか。今までよりも、香ばしさが際立っている。いったい、何を使ったというのか。

「……降参だ、教えてくれ」

 力なく両手を上げた俺に、博史が答える。

「実はな、逆なんだよ。あるものを使ってないんだ」

「は?」

「水だよ、水」

――あ!

 麺をほぐすためにに使っていた少量の水。水をかけることで、水蒸気が上がり、麺は短時間蒸された状態になる。麺を焼いたときの香ばしさを、水蒸気が奪っていたのか。

 小田切と藤堂も焼きそばを口にした。笑みを浮かべて、うんうんと頷いている。

「いけるよ、これ!」

 小田切の声を合図に、みんなで拳を突き合わせた。

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