第十三話 ライバル?
翌日の放課後のこと。クラスのみんなに少しだけ時間をもらって、役割分担について話し合った。あらかたは俺が提案した役割分担を少し調整するだけで決まったが、『宣伝係』と『デザイン係』が空白になってしまった。
宣伝係は俺が筆頭にやることになって、解決。多くの人の前で呼び込みをするのは恥ずかしいだろうし、こうなるかなとは多少予測していた。しかし、これはこれで都合がいい。人が嫌がることを率先してやれば、信頼関係はプラスに働くからだ。
デザイン係の不在は緊急の問題ではないため、いったん保留にする。そしてみんなに集まってもらい、カバンの中からタッパーを取り出して蓋を開けた。
「……焼きそば?」
覗き込んだ博史が言った。
「ああ。クラスの出し物のメインとして、いいんじゃないかって思ってさ。俺の愛情がたっぷり詰まった焼きそばだ、心して食ってくれよ」
大多数に苦笑いをされてしまった。くすん。
「しょうがねえなあ。俺がお前の愛情、受け止めてやるよ!」
そう言った博史に箸とタッパーを渡した。お前は食えればいいんだろうが。
「あ、うめえ」
ほとんど冷めている焼きそばではあったが、反応は良好だった。
「これ、もともと粉末ソースがついててさ。味付けは、それだけしかしてない」
「まじで!? おい楓、食ってみろよ!」
長谷川は博史の使った箸をそのまま使って、焼きそばを口にした。公然と間接キスとは、ずいぶんと仲のよろしいことで。
「……ほんとだ、おいしい」
用意していた割りばしをおいて、みんなにも食べてもらう。
「これなら味付けがシンプルだから、作り手によって大きな差は出ない。ちなみに生肉の調理は禁止だから、ベーコンで代用してる。塩気も加わって、いい感じになった。どう?」
「いいね! これでいこうよ!」
遠藤が肯定してくれて、みんなの様子も賛成のようだった。クラスの中心人物である遠藤のおかげで、是非の判断が明確になってくれるから、本当に助かる。
「じゃあ、調理係のメンバーは、これをもっと改良できるように――」
突然、「森田ァ!」という叫びとともに、バンッと教室のドアが開いた。端正な顔立ちをした睫毛の長い人物を見て、俺は「うえぇ」と顔を顰める。同じ商店街で喫茶店『エール』を営んでいるところの息子、大沼啓太だった。うちのペリドットをライバル視していて、一学年上であるにも関わらず、何かと俺に突っかかってくる。
大沼はトレードマークである四角いシルバーの眼鏡の中央を人差し指でくいっと上げると、ニヤリとして俺の前に立ち、勝手に話し始めた。
「ようやく貴様と決着がつけられるな。この日をどんなに待ちわびたことか。貴様と俺、どちらが上か、この文化祭ではっきりさせようじゃないか!」
「……誰?」
小声で里香に聞かれ、「さあ。雑音君じゃないかな」と答えると、大沼は頬をひくひくさせ、ビシッと俺を指さした。
「このっ……! ライバルであるこの俺を無視するとは、見上げた男だ!」
――見上げちゃうのかよ。
大沼が腕組みをして続ける。
「俺のクラスが貴様のクラスに勝ったら、陽菜子さんのことは諦めてもらう。元々陽菜子さんは、貴様のことなどただの遊びだという話じゃないか。かえってスッキリするだろう」
最近あまり絡まれないなと思っていたら、どうやら俺は陽菜子先輩に遊ばれているという設定になっているらしい。うん、そうだったらいいね。
しかし、諦めろという言葉をどうとらえたものか。大沼の文脈であれば『おとなしく陽菜子先輩から手を引け』ということになるんだろうが、俺の文脈であれば『諦めて陽菜子先輩とお付き合いしろ』ということになってしまう。
結論。
「あー。うん、はいはい、わかったよ」
どうでもいい。陽菜子先輩がそこにいない賭け事など無意味だし、そもそもこいつに負ける気がしない。
「言ったな。しっかりと聞いたぞ。録音もさせてもらった」
大沼はボイスレコーダーを見せつけ、これまでの会話を再生した。そこまでするんかい。
「別にいいよ。勝つし」
「大きく出たな。だが、貴様のクラスが俺のクラスに勝つなど、不可能だ」
「……なんだって?」
大沼は「ふふん」と不敵に笑った。
「情報が足りなかったな、森田! 俺のクラスには、現代に舞い降りし女神、陽菜子さんがいる! 彼女のメイド服姿を想像してみるといい……ああ、たまらん!」
ひたすらに気持ち悪い……とその時、開いていたドアから陽菜子先輩が入って来た。
「わかったか? 貴様のような羽虫は陽菜子さんに全くふさわしくない! 払い落としてくれる! 震えて待つんだな! この羽虫め!」
陽菜子先輩が来たことに気付く様子のない大沼に同情して、遠回しにそれを伝えてみる。
「お父さんには魔王が見えないの?」
――魔王言っちゃった。まあいいや。
「息子よ、あれはただの霧だよ……って何を言わせるんだ貴様は」
「お父さん、お父さん! 魔王のささやきが聞こえないの?」
「落ち着くんだ坊や、あれは枯葉が風で揺れ……ってだから――うお!?」
南無阿弥陀仏。陽菜子先輩は大沼の胸ぐらをつかみ、片腕だけで高々と持ちあげた。
「……誰が、羽虫ですって?」
阿修羅の如き憤怒の表情で陽菜子先輩は言い、大沼は青ざめ、「ひいいい!」とおびえて震えている。
「優也さんへの侮辱は、断じて許しませんよ」
大沼が「ごめんなさい! もう言いません!」と謝罪して、陽菜子先輩はドスンと大沼を地面に落とした。ちなみに俺は、心の中で鼻をほじりながらその様子を見ている。
「と、とにかく約束は守ってもらうからな!」
そう捨て台詞を吐いて、大沼は逃げるように教室を出て行った。
「何か用か?」
俺が聞くと、陽菜子先輩は頷いてみんなに一礼をした。
「わたしが、このクラスの監査役をすることになりました。よろしくお願いしますね」
みんなも「よろしくお願いします」と口々にいって、陽菜子先輩を迎えた。
監査役とは、各団体の領収書を取りまとめて予算をチェックしたり、不正などを行っていないか監視をしたりする人のことだ。文化祭実行委員会だけでは手が足りないので、生徒会も協力しているらしい。
「ところで優也さん?」
にっこりと笑った陽菜子先輩から、殺気のようなものを感じた。
「……なんだよ?」
「負けたら、怒りますからね」
殺気のようなものではなく、殺気だった。さっきの会話を聞いていたのか。大沼の無駄にでかい声、なんとかしてほしいものだ。
「負けるわけないだろ。俺たちは一位をとるんだから」
陽菜子先輩は満足げに微笑む。次いで、黒板に視線を移した。
「焼きそばの屋台ですか……デザイン係が空白になっていますね。文化祭用のポスター作りをする係ですか?」
「ああ。クラスに絵の得意な人がいなくてな」
できれば、ポスターはしっかり作りたい。文化祭に来た多くの人が、昇降口付近に掲示されるポスターを参考にして、訪れる場所に目星をつけるからだ。
陽菜子先輩がパンと手を叩いた。
「わたしがポスターを作りましょうか? 絵は得意なんです」
周囲がわあっと盛り上がった。主に女子である。
陽菜子先輩は、あの箒真っ二つ事件があってからというもの、クラス内の女子の間で『好きな人を一途に想う、強くてかっこいいご令嬢』という評価がつけられた。クラスの外では、『内気な慎ましいご令嬢』らしい。後者には、鼻で笑ってやりたい。
「いや、それはまずいだろ。陽菜子先輩は監査役だし、公平さに欠けやしないか? それに、陽菜子先輩のクラスにだって仕事はあるだろ」
俺の指摘に、陽菜子先輩は苦笑いを浮かべた。
「禁止されているわけではありませんし。クラスの仕事も、当日以外はありませんので。『準備は何もしなくていいから』と、仕事をもらえませんでした」
失言だったか。陽菜子先輩がクラスで浮いていることは、察しがついていたはずなのに。
「いいんじゃない? 面白そうだし」
里香が俺の隣に来て、ニヤニヤとして言った。ネタがほしいんですね、わかってます。
だが、そう易々とこの提案を受け入れるわけにはいかない。理由は一つ。後が怖い。
「見返りは何だよ?」
「何もありませんよ。わたしは優也さんのお力になれれば、それでいいんです」
そんな殊勝なことを、陽菜子先輩は言う。やめて。『わたし、恋してます』みたいに俺を見るのやめて。
クラスのみんなが、「あ、部活いかなきゃ」とか、「あ、わたしボランティアの日だ」とか言って、散り散りになっていく。やがて、俺と陽菜子先輩二人だけが残された。空気を読んだつもりだろうが、声を大にして言いたい。余計なお世話だ、と。
俺は大きくため息をついて、自席に座った。「文化祭の仕事あるから」とノートを開き、暗に「帰れ」と仄めかす。伝わっただろうか……はい、伝わりませんでした。
「村上さんが待ってるんじゃないのか?」
手前の席に座った陽菜子先輩にそう聞くと、陽菜子先輩はにこやかに答えた。
「しばらく、優也さんと歩いて帰ることにしました」
「毎日男女二人で帰ってたら、そりゃもう友達じゃなくて恋人同士だろうが。何度も言ってるけど、無理だっての。価値観が違いすぎるだろ」
「そんなことないと思いますけど」
「……例えば、陽菜子先輩を楽しませるとしてだ。豪華クルージングなら満足か? それとも海外旅行か? そんな甲斐性、俺にはねぇな」
陽菜子先輩を諦めさせる、というよりも幻滅させる一撃を入れたつもりだった。しかし陽菜子先輩は、楽し気に「ふふっ」と笑う。
「変なことを仰いますね。こうして優也さんを見ているだけで、わたしは満足ですのに」
反論が出てこなくて、「勝手にしろ」と言えば、「はい、勝手にします」と返ってきた。
本当に、何なんだよ。金持ちってのはそうじゃないだろ? 年収うん千万以上でなりゃ眼中にないはずだろ? 俺のような底辺を蔑んで、心の中で嗤っているような奴らだろ?
なのに陽菜子先輩は、ズケズケと俺の領域に入り込んでくる。友達としてならある程度は譲歩するが、恋人だなんだとなると話は違う。借金持ち、そして礼儀知らずの俺が赤っ恥をかくだけだ。人には分相応ってものがあるんだよ。
そんな俺の気持ちなんて通じるはずもなく、陽菜子先輩はニコニコと俺を見続ける。
「……なんだよ、嬉しそうにして」
「いえ、わたしを楽しませるって考えて下さるなんて、嬉しくて当然じゃないですか」
「――なっ!」思わず立ち上がった。「勘違いすんな! それはあくまで例え話で――」
そこへ、「たのもー!」と姉さんが威勢よく教室に入ってきた。道場破りでもする気かよ、あんたは。
姉さんは俺を見るや否や、目をぱちぱちとさせて言う。
「どーしたのよ。顔真っ赤にして」
「別にっ! なんでもねぇよ!」
陽菜子先輩は「こんにちは、お姉様」とあくまでマイペースだ。『夫』と『あなた』は封印しても、『お姉様』は現状維持ですかそうですか。
姉さんは、俺と陽菜子先輩を交互に見比べると、「へぇ」と感嘆したように言った。
「なんだよ、俺に用があるんじゃないのか?」
「ううん、葉山さんに用があったの」
陽菜子先輩が驚いた様子で「わたしに?」と言うと、姉さんは「うん」と頷く。
「一度、一緒にお話ししながら帰りたいなあって思ってたのよ。葉山さんのクラスに行ったら、もしかしたらここにいるかもしれないって」
どういうつもりなんだか。まあ、文化祭の仕事に集中したい俺としては好都合だ。
「姉さんと帰ったら? 俺はまだまだ時間がかかりそうだし」
陽菜子先輩は残念そうに俯いたが、姉さんが「女同士のお話があるの」と言うと、目を輝かせ、立ち上がった。なんだよ、女同士の話って。
「では、今日はお姉様とご一緒しますね。お仕事大変だと思いますが、無理は禁物ですよ」
「へいへい。家業に比べたら、どうってことねぇよ」
陽菜子先輩と姉さんは、仲睦まじい様子で教室を出て行った。陽菜子先輩の行動もわからなければ、姉さんが考えていることもわからない。
というか、女ってやつがさっぱりわからない。よく生物学者やら心理学者やらが『男と女は別の生き物』とか言っていて、何言ってるんだこいつと首を傾げたものだったが、今になってようやくわかった。実にその通りだ。
そうだ、女という科目を作ればいいんじゃなかろうか。国語、数学、理科、社会、英語、女。五教科じゃなくて六教科にしよう。どこか女の教科書発行してくれねぇかな。
という妄想は置いといて。俺はノートに視線を向け、文化祭のプランを練り始めた。




