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Dark・Zone  作者: 桜龍
■第1章 ―始まりの鐘 編―■
2/5

■No.1 日常との乖離

挿絵がありますよ

“―学校へ来たら、地獄だった―”



 明るい場所から急に暗い場所へ入ると、目の前が真っ暗になる。そしてまた何事もなかったかのように、視界は戻ってくる。


 『暗順応』眼が暗さに慣れること。


 網膜の中にある視細胞には明るい場所で働く錐体細胞と、暗い場所で働くかんたい細胞というものがある。

 かんたい細胞が働くにはロドプシンという色素が必要だが、それを合成し終えるまでに数秒かかる。その間、一時的に視界が利かなくなる。


 夏の日差しがジリジリと照りつける。植え込みの緑やアスファルトをより鮮やかに、影をより濃く。その日差しから逃げるように、昇降口の一番手前の扉へ飛び込んだ。

 彼の眼は室内の暗さに慣れることができず、闇に侵食されるように光を失った。

 空色の眼は開かれたそのまま、歩みを止めることはない。

 いつものことだ。

 彼は眼の自律機能によって数秒の内に視界が回復することを知っている。なによりここは自分が2年も通っている学校。毎日使う昇降口。視界が見えなくとも下駄箱の並びや傘立ての位置まで把握している。




 が、……再び光を取り戻した彼の目に飛び込んできたのは、彼が毎日見ていたものと少し違っていた。









 「……なんだ、これ…」


挿絵(By みてみん)


 紅色の髪の青年、常磐烏伽(トキワオトギ)は、昇降口の中で呆然と立ち尽くした。


 烏伽はここ、水湖(ミズコ)高校に通う2年生だ。高校生としてあるまじき、真っ赤に染めた髪。制服の白いYシャツの胸元を開け放ち、だらりと裾を出している。その隙間から腰の真っ赤なベルトがチラリと見える。真っ当な服装をしていない彼はその見てくれの通り真面目な生徒ではない。今日も堂々と遅刻をして、こっそり見つからないようにここまで来たのだ。



 しかし、来てみればこの有様。



挿絵(By みてみん)


 靴があちらこちらに散乱し、下駄箱の扉も開けっ放し。

 誰かのいたずらか。


 いや、しかし。

 この状況は、どちらかと言うと。



 逃げ惑った跡?



 その思考に辿り着いて急に寒気を感じた。今までかんかん照りの太陽の下をはるばる歩いてきたのに。


 いやいやいや。まっさかー。


 言い知れぬ不安を感じつつも、とりあえずは自分のクラスである2年7組の下駄箱へ歩く。足元に散乱する靴、上履きやビニール傘や、なぜか片方だけ落ちている靴下などをもれなく跨ぎつつ。


 2年7組のクラスの下駄箱に変わった様子はなかった。

 拍子抜け。と、少し安堵。


 烏伽は自分の出席番号、17番の扉を開ける。ちょうど胸の高さ辺りで開けやすい位置の下駄箱。

 上履きに手を伸ばそうとしたが、中に何か置いてある。紙切れだ。

 ノートの端を乱雑に破ったような歪な形。ラブレターの類でないことだけは一目で分かった。いや、もしかしたら新手のラブレターかもしれない。もしくは従来の形に囚われないラブレターかもしれない。


 あるいは。ゴミか?

 摘み上げてひっくり返してみる。





 『にげろ』





 たった3文字そう書いてあった。


 水色の罫線に関係なく雑に書き殴られた文字。いや、書いた人の名誉のために言わせてもらうと下手だとかそんな事ではない。急いで走り書きしたのか、利き手と逆の手で書いたのか、とにかく歪な形だった。


 先程の寒気が背後からそろりと近づいて来ている。気がする。その正体は分からないが、確実に気味の悪さを発して来ている。




 バンッ!!


 ビクッ!!

 突然の大きな音に飛び上がるほど驚く。条件反射だけで振り返る。


 爆発音にも似た音だ。

 外から聞こえた。しかしここから見える景色には何の変化も見られない。

 いつもの植え込みの緑。アスファルト。靴。


 烏伽は差出人不明の紙切れをズボンのポケットに押し込むと、鞄を肩に掛け直し、左手に持っていたエアスクーターも抱え直して呼吸を整えた。


 音の正体を確かめる。

 が、烏伽は一番近い扉から外へ出ようとしなかった。

 靴のまま廊下へ。深緑色の玄関マットの上をそろりそろりと歩く。


 万が一、爆発的な何か危ないものがあるなら危険だ。とか、第二波的な何か危ないものがあるなら危険だ。とか。何より急におっきい音がしたらビックリするだろ!!と、彼の心臓は早鐘を打っている。


 下駄箱の影から、その向こう側を。昇降口の重いガラス扉の外を覗く。


 何もない。

 もう一つ先へ進む。

 覗きこむ。何もない。

 もう一つ先へ。覗き込む。

 自分がさっき入ってきた扉だ。

 一番端の、観音開きが開けっ放しのガラス扉。


 灼熱の太陽に焼かれたアスファルト。色あせた灰色の地面に、人が倒れている。


 この学校の制服を着た女子のようだ。


 四肢を投げ出し、微動だにしない。


 地面で何かが太陽の光を乱反射させる。


 目を凝らせば簡単に見えてしまっていたかも知れない。



 頭蓋骨がどうなっていたか。



 烏伽は無言のまま後ずさる。


 彼は、人間が高い場所から落ちて叩きつけられる音を知っていた。


 汗が一気に引いていく。

 自分の呼吸が止まっていることにも気づかない。

 扉に切り取られた風景から、ただただ視線が逸らせない。



 コツン。

 「わぁぁぁあっ?!」


 足に何かが当たった。

 足元に目をやると小型の掃除ロボットがいた。円盤の形をしたそれは烏伽も見たことがある。外国の大手メーカーの製品だ。『minon』と、製品名のロゴが見える。

 学校の清掃は生徒が行う。校内で掃除ロボットを見たのは初めてだ。


 しかし、なぜこんなものがここにあるのか烏伽に考える余裕はなかった。心臓が先程にも増して鳴り響く。頭は真っ白だ。目だけは掃除ロボットが床の上を滑るように移動するさまを追いかけていた。






 薄いピーコックブルーの廊下が突然赤に変わった。






 烏伽の目がようやく、自分の目の前の廊下の先を捉える。





 外にばかり気を取られて、それに気が付かなかった。







 一面に広がる、『赤』。










 廊下の床一面に赤い水溜り。


 鼻孔にムッとする鉄の臭いが届く。



 血だ。



 頭が理解した瞬間、外からまた



 ドォンッ!!!!



 今度はもっと質量の大きい音だった。


 烏伽は反射的に目を向けることも、飛び上がって声を上げることもできなかった。


 その場の空気に磔にされたように動けない。

 学校へ来た時から背後に忍び寄ってくる気味の悪さが何なのか分かった。


 “恐怖”だ。


 通い慣れたこの学校で、こんなに異質なことはない。


 今すぐにでもこの場から逃げ出したい。


 しかし足は1ミリも動かない。脳みそは全身に命令する事を忘れたのか。そのくせ、やけに聴覚だけが研ぎ澄まされ、次に何が聞こえてくるのかをじっと伺っていた。




 無音。






 無音。





 目だけ、ゆっくりと、さっき見た女子生徒の方へ向ける。できるだけ、直視しないように。くれぐれも気を付けながら。





 ちらり。






 次の瞬間、烏伽は反転して全力で走り出した。



 本能が告げる。


 見てはいけない。


 『逃げろ』と。















 「……なんで、誰もいないんだよ?」


 烏伽は一人ポツンと2年7組の教室にいた。


 列が乱れた机。横倒しの椅子。


 そこにクラスメイトの姿はない。

 向かいの教室にも、他の学年の教室にも。

 誰一人としていなかった。


 電子黒板にはヒビが入り、光を失っている。その黒板の中央にガムテープで乱暴に模造紙が貼られている。

 明日行われる、いや『行われる予定だった』クラスマッチの応援幕の余りの材料を流用したのだろう。赤いペンキで大きく、書かれた文字。



 『生き残れ』




 今日は朝から先週延期になった全校集会があったはずで。

 今日の体育はクラスマッチの練習だから遅刻するなよって金曜も釘を刺されて。

 今日の放課後は明日に備えて居残り練習だと友達が意気込んでて。


 そんな、今日も普通の月曜日のはずだったのに。


 烏伽は黒板の前に立ち、ヒビを指でなぞる。


 「銃…弾?」


 艶やかに黒く光る黒板。丸い穴から蜘蛛の巣のように伸びる亀裂。授業で当てられては数式を英訳を落書きを書いてきた黒板が、今はただの大きな黒い鏡になってしまった。モノクロに映る自分の姿の向こうに教室の扉が見える。

 ふと、気配を感じて振り返る。


 教室の、廊下への出入り口はその一つだけだ。教室の後ろに白い引き違いの扉がある。

 烏伽は荷物を教卓の上に置いて机や椅子を掻き分け、自分が入ってきた扉の方へと戻る。



 それが命取りの行動になる事を、彼はまだ解っていない。



 扉まであと2、3歩の距離まで来たその時。


 「うわっ?!」

 ドン!!

 突然の衝撃に受身も取れず、後ろへ突き倒された。


 間髪入れず、下腹部に重みが圧し掛かる。





 そして、下顎を突き上げる冷たい感触。












挿絵(By みてみん)


 一瞬の出来事だった。


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