8.予期していない挑戦状
下山が憔悴しきった顔で取調べ室より出てきた。少し寝不足もたたっているのだろうか、彼の目の下にはクマが見て取れた。
「浅原警部補、もう疲れましたよ、奴は独り言はブツブツと繰り返すくせに、肝心な事となると何も喋ろうとしません。ただ、あの冷たい目の奥…どうも何かを隠しているとしか思えません。表情はうっすらと笑みを浮かべているようにも見えて、気持ち悪いし…もう埒があきません」
浅原も、下山も結局、昨晩は家に戻ることはなく、署で4時間ほどの仮眠を取ったにすぎなかった。朝から永遠と続いているその取調べは、既に8時間にも及んでいる。浅原はその間も、デスクと喫煙エリアとの行ったり来たりを繰り返しながら、昨晩の出来事を一つ一つ思い返していた。いつもより妙に内臓の方が痛む。そろそろ自分の身体に限界をも感じていた。
「奴が何も喋らないか…しかし、奴らの昨晩の態度からすると、まるであらかじめ逮捕されることも想定していたかのようだったがな…あぁわからん。何がどうなっているんだ?」
寝不足の浅原にも一連の出来事を理解するには、困難を期していた。
「それはそうとコンテナの荷はもう運ばれてきたのか?」
「えぇ、手配したトラックに連結して。もうすでに、こちらに届いていますよ」
浅原の表情がその言葉と共に少し歪む。
「どうかされたんですか?顔色が悪いようですが…」
「大丈夫だ、おそらく朝から何も食べてないせいだろう。少し外の空気でも吸いに行くかな。どうだ、付き合うか?奴とどちらが先に根をあげるか、持久戦にはスタミナしかないだろう」
浅原はポケットに手にしていたダラー硬貨をしまいこんだ。もう既にそれは手持ち無沙汰の浅原には癖になっているようだ。
二人は近くの食堂へと足を運んだ。浅原はよくここの食堂を利用する。署にもほどよく近いし、なんといってもここの魚の煮付けと、冷蔵庫でギンギンに冷えた肉じゃがが大好物だった。ここを切り盛りしている老夫婦とも、25年近くの付き合いがある。浅原が新米だった頃から、子供のように接してくれていて、浅原の栄養管理もここの夫婦がしてくれていると言っても過言ではない。そして、下山は孫のように可愛がられていた。
だが今日は、浅原はいつものメニュー、店主のお任せ定食ではなく、少量のご飯と味噌汁、冷奴、お新香を注文し、下山は、ご飯、味噌汁、スタミナ炒めとを待ってから、窓際の奥まった場所の空席、いつもの二人の席へと着いた。ここは常連客のコミュニケーションの場ともなっていて、顔見知りがよく集う場所でもあった。
いつもより、時間が早いのだろう。まだ客がまばらな店内のテレビではすでに夕方のニュースが始まっていた。二人はここでニュースを見ながら、食事をするということも何度となく繰り返してきたのだ。
「昨夜、横浜港にて密輸入の疑いがありました貨物船への捜査状況についてですが、未だ新しい情報は入ってきてはおりません。ですが、やはりこの事件、背後にはテロリスト集団、アンフィスバエナが関与している模様です…」
「おじちゃん、テレビの音量、もう少しあげるよ」
下山は厨房奥の少し耳の遠くなったここの主人に大きめの声を掛けて、カウンターにあったリモコンを操作した。主人は少しウトウトしているようだった。奥さんはその声に優しく微笑み、黙ったまま、頷いていた。この家庭にいるようなほんわかとした空気感が、浅原を何度も此処に足を運ばせている理由のひとつでもあった。
「浅原さん、奴らはあれだけの武器、何をしようと企んでいるんでしょうか?」
勿論、浅原にも見当が付くほどの代物ではなかった。それはまるで、戦争でもおっ始めるかのような大量の武器だったからだ。あれだけの武器、購入するだけでも、どれだけの紙幣の用意が必要であろう。日本で今まで経験したテロのレベルを遥かに超えていた。おそらく差し押さえた量としても、過去最大のものであろう。
「えぇ、また新しい情報が入りましたら、番組中にでもお知らせしようかと思います。…さて、今日は私たちの局の昼の番組におきまして、中継に出ていました吉澤茜アナが偶然にもスクープを捉えることに成功致しました。どこともなく現れたある青年が、子供の命を救ったその瞬間の模様です。まずは、その映像をご覧ください」
「あ、浅原さん、この吉澤茜アナって知ってます?もう、メッチャ可愛いんですよ。もうもろ僕のタイプなんです」
はしゃぐ下山の声に「まだ子供だな」と思いながら、普段はあまり見ることのないテレビへと視線を上げた。少し小さめの誇りを被っていそうなモニターにもこの食堂の年代を感じさせる要素はあった。
テレビの画像は、エラーでも起こしたかのようにシュルシュルと音を立てて、乱れた。まるで、巻き戻しをしているかのように…
「もしかして映像、出ませんか?…あ、大丈夫です?…視聴者の皆様、たいへん失礼致しました。これがその時の映像です。ご覧下さい」
カメラは人通りの多い通りを映し出し、浅原も下山ももくもくと食事を口にしながら、黙ってその映像を見上げていた。
「ご覧いただけましたでしょうか?もう飛び出されたお子さんを本当に間一髪のところで救出した模様でした。この後、この青年は名前を名乗ることもなく、その場を離れたらしんですよ」
「まるで、最初から解っていたかのように、彼は飛び込んで来たんですね。ここ数日、暗い報道しかお届けしておりませんでしたから、こういった映像を見ると、本当に心にグッと来るものがありますよね…」
もっともらしいやり取りを司会者とコメンテーターは交わしあっていた。
午後6時ジャスト。突然とテレビのモニター映像は真っ暗となり、誰もの気をひく耳障りなノイズから始まった音声も、目にしていた番組からは切り替わっていた。それは、この局だけではなく、また、テレビ、ラジオ、街中にあるLEDビジョンなどすべての伝達機能が乗っ取られた瞬間でもあった。そしてそこからテレビには似つかわしくない声が、淡々と流れ始める。
「さて、この平和な世界に堕落しきっている日本国民の皆様方、それぞれの生活において、さぞやのほほんとお暮らしのことでしょうが…」
その呼びかけに街中では、多くの人々は足を止め、スクリーンに視線をあげ、ラジオを聞いていた運転手は怪訝そうな顔をしながらもボリュームをあげ、台所で夕食の準備をしていた奥様方までもが、菜箸を置き、その映像、音声に、目を、耳を傾けた。それはこのドラマもない時間帯のテレビ番組には相応しくない、不気味な印象を持たせたからだ。
各テレビ、ラジオ局においては、この突然の出来事に対応しきれずにいて、局内部はパニック状態となっていた。
「どういうことだ?」
「わかりません、こちらからの操作には、無反応です。これは電波ジャックです」
「昨晩、我々の荷をわざわざこの東京まで運んで頂いた国家の犬どもに先ずは、御礼を申し上げる。ただこれから、その荷を引き取らせて頂きたいのだが、君たちがあれやこれやと詮索し、妨害することも私達は十分に理解しているつもりだ。よって、我々もこのようなものを用意した。ただででは、申し訳ないからね。私たちの本気度を示す、細やかな贈り物です」
そう言って手にしていたボタンらしきものを押したかと思うと、数ヶ所で起こったのだろうか。複数の爆発の様な激しい音と多くの悲鳴が彼の映像のバックに流れた。
「これはまだ、挨拶代わりです。我々の行動を阻止しようとするようでしたら、新たに多くの命が失われることでしょうね。それではまず、その荷をある場所までついでに運んで頂きたいのと、我々の捉えられた同志の釈放を要求します。君達の正しい選択を我々は期待しています」
そう一方的なメッセージを告げ終わると、すべての電波は元の状態へと復旧していた。
「浅原さん…」
立ち上がり、怒りに震えていた下山が浅原の方に目をやると、浅原は既にテレビからその視線をダラー硬貨を握り締めたその拳を見つめていた。




