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31.逃れられぬ運命(さだめ)

 誰かが笑いかけている。だがその声は聞こえない。ただその場所はとても居心地が良かった…。


 直人は、肩が揺さぶられるのを感じて、ふと目を開いた。しばらくは此処がどこなのか?自分がなぜ、このような格好でデスクに顔を伏せた状態でいるのか理解していなかった。

「浅原さん」

 肩に置かれた手を握り、起き上がってみると、そこには心配そうな下山の顔があった。

「どうしたんですか?大丈夫ですか?」

「大丈夫です。で、浅原さんは?」

 部屋を見渡すと、そこが取調室であることは、容易に認識できた。

「それが、私もほんの少し目を離してた隙にいなくなっちゃったんですよ。あまりにも時間が経過したので、おかしいなと思って、部屋に入ってみたのですが…」

 ここに戻る前のことを思い出してみると、浅原はいなくなったのだと理解せざるを得なかったが、信じたくはなかった。その時だ。直人の背後でコインが落ちるような音がした。慌てて、二人がその方に目をやると、そのコインが部屋の片隅に転がっていくのが目に入った。

「あ、これは浅原さんがよく手にしてた、アメリカのコインですよ。ん?」

 コインを手にした下山の目に、今度はデスクに、まるでどこからか降りてきたかのように無造作に置かれた2通の手紙らしきものが飛び込んできた。直人も下山の目線の先を確認しようと、下山から既にデスクへと視線を戻していた。

「あれ?さっきまではこんな紙なかったはずなのに」

 その手紙にはそれぞれに「下山へ」「谷原君へ」と表に宛名書きされていた。

「これ、浅原さんの字ですよ」

 下山のその発せられる言葉とほぼ同時に、二人はそれを既に手にして広げていた。読み進めていけばいくほど、下山の顔が青ざめていくのがわかった。下山は慌てて、取調室のドアを開けると、浅原を探し始めた。

「浅原さん?」

 その只ならぬ様子に松島も、吉澤茜も心配そうに下山の元へと駆けつけた。

「どうしたんだ?」

「こ、これ見て下さい」

 松島に渡された浅原の手紙には、こう記してあった。

「下山へ…この手紙を君が見ているってことは、私は既に君の側にはもういないだろう。でも、ちゃんと届いて良かったよ。恐らく、私は君たちの前に二度と姿を現すことが出来ないかと思うが、これだけは言っておきたい。私はこのチームが誇れると。そして、このチームはこれからも、多くの人命を救えると。そして、私のような能力を持ち合わせた谷原直人を信じて欲しい。後は任せる。幸運を祈る」

「能力って、どういうことだ?」

 手紙を読んでいた3人が、取調室の方に目をやると、直人も自分宛の手紙を片手にしたまま、こちらを見ていた。

「犯人たちを捕まえましょう」



 直人は平日の昼下がり、土手に短く刈られた草の上に、その身を預けていた。鉄橋を渡る電車の音も懐かしく感じた。ようやく新しき日を迎えることが出来たのだ。暖かくなってきた季節の風は本当に気持ち良かった。昨日のその後のことは、昨晩のニュースで知った。

「えぇ警察はアンフィスバエナの要求を飲むこともなく、幹部のMr.Xを留置したまま、残党を検挙することに成功致しました。また、東京スカイツリーに仕掛けられたとされる爆弾も全て撤去することができまして、大惨事には至りませんでした。ただ、この事件の立役者とされています、浅原警部補、そしてアンフィスバエナのもう一人の主犯、Mr.Yの行方は以前、わかっておりません。警視庁もこの部分には依然、触れようとしておりません。何らかの展開、または新たな情報が入り次第、レポート致します。現場から、吉澤茜がお送り致しました」

 直人は渡されていた、浅原の手紙に再度、目を落とした。

「谷原直人へ…この手紙が君に届くことを願って、記しておきます。君の判断は間違っちゃいない。そして、それを私も強く望んだことを忘れないで欲しい。どうしてかは理解できないが、この世には正義と悪が存在している。私は今までも自分が行ってきたことが正義だと信じてやってきた。私がいなくなれば、どうなるんだろう?君に託すのは重荷か?君の能力を錆びつかせちゃ駄目だろ?それにそれは君自身が許せないはずだ。私の目は間違っちゃいないよな?」

「本当に勝手だな」

 直人は浅原に出会う前、自分に課せられたものに困惑していた。そして苦しんでいた。自分は特別な人間じゃない。そして、そうありたくないと自分自身の能力を恨んだこともあった。だが、浅原と出会って、まるで固まりきった氷が溶けていくように、その意識を和らげていったことも感じていた。尚も、手紙を読み進める。

「いつか、私が聞いたことがある。君が一番、大切に思っているものは何だと…」

「時間…」

「多分、君は今、時間って答えてくれたんじゃないのかな?世の中には金だとか、権力だとか、色々答える奴もいるだろう。だが、生まれながらにして平等に与えられたのは、時間なんだ。確かに人によってその人生に短い、長いはあるだろう。だが、誰もそれを知ってて生きてはいない。明日、死ぬかもしれないって本当に今を精一杯生きてる奴ってどこにいるんだ?時間を有意義に、無駄に使わなければ、金が手に入るかもしれない。真の友に出会えるかもしれない。それは生き方そのものに関わるんだ。過去に失敗があるから、同じ失敗を繰り返すまいと努力する。人生はそうやって、ずっと勉強のし通しなんだよ。若い頃から、全部を知ったと思って偉ぶる奴もいるが、それは大間違いだ。ある年になっても、年配から学ぶことだってあるし、若いものから学ぶことだって多々あるんだ。人間の価値は死ぬ間際にわかるもんだ。私も自分自身まだまだだと思っていたが、迎えが来るようだ。後は君の判断に任せる。またいつか、これから君がどう選択したかを知らせてくれないか?私は君のお姉さんに感謝を伝えよう…」



 あの日…

「直くん、危ない」

 直人は犬を捕まえようとして、貯水池のほとりにいたのだが、雨露に濡れた草に足を滑らせて、貯水池に転落してしまったのだ。運の悪いことに落ちる際に頭を打って気を失ってしまった。

 それを数十m離れた場所から、裕美は一目散に駆け寄ろうとしていたのだが、その途中、あまりにもの慌てぶりに目の前に突き出ていた折れ木に気付かなかったのだ。その木に額をぶつけたかと思うと、別の枝からも腕の部分の衣服がはだけるほどの傷を負った。

 だが、裕美は額から出た血や、腕の痛みには構ってはいられなかった。愛する弟の命が危ないのだ。

「大丈夫、救えるよ」

 裕美はそう自分に言い聞かせて、その貯水池へと飛び込んだ。直人の身体はどんどんと水底に向かっている。裕美は必死になって、その手を掴んで引揚げようとしたが、意識を失い、水を含んでいる衣服に、直人の身体は重く、女の子の力ではどうしようもできなかった。

「直くん、大丈夫だからね」

 裕美はしっかりと直人の腕を握ったかと思うと、その傷ついた額へと手を当てた。

「直くんにあげるよ」

 二人の身体はゆっくりとその水底から消えていった。

「まさか…」

 謙治が慌てて駆け寄ったその池の前には、直人の仰向けになった姿しかなかった。謙治が辺りを見回しても裕美の姿をどこにも発見することができなかった。謙治はその場で膝をつき、直人を抱きかかえると、悲痛な声で叫んだ。

「ひろみ〜」

 他の大人たちも、事情を受けて駆けつけた警察署員も謙治の元へと駆けつけて来るのであった。



「やっぱり、ここでしたか?」

 下山の声に直人は片手に広げていた手紙を折りたたんだ。

「さっき、家に寄ってみたら、お母さんがここじゃないかって言ってましたから」

「どうですか?警察内部は?」

 直人の側に腰を下ろした下山に、そう心配そうに声を掛けてみた。

「浅原さんがいなくなって、そりゃもう、大変ですよ。Mr.Y諸共、探してはいるんですけどね。もしかして、行き先を直人くんなら知っているんじゃないかな?って思ってね」

 直人は静かに首を振った。下山の目は明らかに直人を疑っていた。

「まあ、いいでしょ。でもなんとなく、浅原さんにはまた会えるような気がするんですよ。何故かな?」

「だといいですね」

 二人は静かな川面を見つめていた。これから夏に向かって行くであろう日差しは、キラキラとその穏やかな波を輝かせていた。直人にも不思議だった。また会える。その言葉が不思議と直人の中でも理解できたからだ。逃れられそうもない運命(さだめ)と向き合おうとも思った。勿論いつか会える浅原やお姉さんに恥ずかしくないようにと意識はしているが、それが何よりも自分らしいと気付いていたからだ。心地良い風は心地良いままだ。これから迎えるであろう二人の、いや三人の困難には、まだ誰も気付いてはいなかった…。

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