18.想定外
黒煙が立ち昇る様子は対岸の湾岸署からも目視で見て取れ、各テレビ局の映像は、たった今、起こったばかりの墜落した生々しいヘリの残骸を映し出していた。乗組員の命は絶望的だろう。視聴者は自ずと無言となり目を覆い、現場周辺の野次馬たちは各々、逃げ出し始める者や、それでも立ち入り禁止区域に強行して入ろうとする者などで、パニック状態に陥っていた。それは世界一安全と称されてきたこの国が、今まで経験したことのない、テレビの中でしか知ることのなかったテロという非道な惨劇を、現実のものとして受け入れざるを得ない瞬間でもあった。そんな中でも冷静でいたのは、アンフィスバエナのメンバー達であり、Mr.Xは薄気味悪い微笑みさえ、浮かべていた。
「生存者は確認できるか?」
対策本部の問いに、浅原は黙って首を横に振るしかなかった。
「これ以上、犠牲者を出したくない。テレビ局の連中にも自重させて下さい」
浅原はそうは言ったものの、この様子を見て、もう近寄ろうとするヘリは既に上空にはいなかった。
「なんなの?警察はあんなものを彼らに返したってことなの?どうして?どうかしてるわよ」
松下咲は、ヘリの中で手足、唇を震わせており、すでに冷静な実況ができる状態ではなかったのだが、そこは一線にいるアナウンサーだ。カメラを向けられれば、何よりもプロとしての自覚が優先する。
「えぇ、皆さん、ご覧になられましたでしょうか?警察は一体、何をやっていたのでしょうか?この1日近い時間を費やしておきながら、仕掛けられたとされる爆弾を見つけることもできず、あのような武器を彼等に返してしまったのです。これはもう…現場は戦場と言ってもおかしくはありません。このまま、この事態を警察に任せておいて良いものなのでしょうか?もう自衛隊に託さなければならない、そのような状況に置かれているのではないでしょうか?」
と警察への批判を怒りと共にここぞとばかりにまくしたてていた。
「なんなんだ、この女は?この女を止めるんだ」
それを聞いていた本部の警視庁の人間は憤りを隠せなかった。
「いや、一理あるかもしれませんよ」
中川本部長が静かにそう答えると、警視庁の若い者は黙ってはいなかった。
「貴様、所轄は何をやっている?爆弾を見つけることができなかった分際で。この惨事を招いたのは、君達だろうが。この責任は所轄にある、違うか?」
「こんな時に仲間割れをしている場合か?」
警察庁長官が、冷静に諭した。
「奴等にその様な武器が手渡った以上、今以上の被害の想定もしておかなければならん。自衛隊の出動も視野に入れるしかない、直ぐに出動要請をしてくれ…現場の奴等の動きはどうなってるんだ?」
浅原達は双眼鏡で彼等の動きを注視していた。
「奴等が何人かずつコンテナの中に入って何かをしているみたいなんですが、ここからではその様子は確認できません」
松島の応答が他のSATたちの無線にも入った。
「A班、ここからも確認できません」
「B班、こちらもです」
「C班、同じです。何人かずつがコンテナの中に入っていく様子は見て取れますが…」
詳細が見て取れない現実に浅原も、警察署本部の者達も苛立ちを隠せなかった。
「一体、奴等は何をしてるんだ?時間は?」
「2時58分です」
浅原の問いに片倉が応えた。
「このまま、何も起こらなければいいのだが…」
あまりにも長く感じられる時が静かに過ぎていった。
「今、何時だ?」
「3時5分です」
「Mr.Xがコンテナに入って、どのくらい経つ?」
「もう4、5分は経っているかと…」
Mr.Xがその姿を消してから、何の動きも見せなくなった。
「本部、どこかで爆破されたとの報告は?」
「いや、今のところはない。一体、どうなってるんだ?」
「わかりません、全く動きがありません。一体、奴等はどうやってここから逃げようとしてるんだ?」
浅原、片倉、本部とのやり取りを聞いていた直人が思いついたように何気なくその言葉を口にした。
「海は巡視船、空はヘリコプター、陸は包囲されてるも同じ…ってことは地下?」
「それは無いな。ここは、地下鉄も下水も地図上にはない。幾ら何でもそこに我々も見落としはないさ」
その話は本部にいた、警察庁長官の耳にも入った。長官は青ざめた。
「まさか…そんなことが…」
息を飲んだ。ありえない…ありえないが…
「SAT、至急に奴等を包囲、確保しろ。絶対に逃すんじゃない」
「了解」
「了解…」
各班が慌ただしく動き出した。浅原の班も動こうとしたのだが…
「浅原の班は、そこで待機」
「え?一体、何があるって言うんです?どうして?」
浅原にはこの指示、行動がまったく理解できなかった。
「SATにもしも万が一のことがあれば、もう君らに頼るしかないんだ…」
警察庁長官の目は既に確信へと変わっていた。もう他に考えられることがなかったからだ。
「くれぐれも慎重にな…」
そう願っていた。
SATが牽引トラック、護送車を取り囲んだ時には、そこにはアンフィスバエナの組織のメンバーは誰一人として見当たらなかった。半開きとなっているコンテナの背部へと警戒しながら、各々は無言のまま、お互いに手で、指で合図を送りあいながら、近づいて行く。サブマシンガンを2名の隊員がコンテナ内部へと構えた時である。コンテナ側面にいた隊員の一人が、トラックの下の異変に気付いた。
「トラック下の道路に穴が開けられている模様です」
それは、マンホールの大きさよりも若干、大きめだろうか?と思わせる円筒の形状をしたものが、地下の暗闇へと続いているものだった。
Mr.Xがシューターを降りると、Mr.Yは安心したかのように微笑んだ。
「どうだった?」
「あぁ日本の警察ってのも悪くはない。居心地もそんなに悪くはなかったよ。だが、俺達にはここの方がよっぽど性に合ってるさ」
そう言うと、周りにいたメンバーを笑顔で労った。
「そうだろうな、よし、回収した銃、弾薬を積み込め、すぐにここを離れる。ショータイムだ」
Mr.Yはボディーガードに専用の車へと乗り込む補助をしてもらい、同じ車の後部座席にMr.Xも乗り込んだ。メンバー達はトラック2台に回収した全てのものを手慣れた様子で詰め込み、分乗した。
「奴等の顔が拝めないのが残念だがな」
そう言って笑いながら、時計を確認し、起爆装置を手にすると、3台の車はその場を後にした。
「よし、突入」
SATのメンバーがコンテナドアを開くと、そこにはもぬけの殻となった空間しか目に入ってこなかった。
「いません、誰も…誰もいません」
「なんか、嫌な予感がしますよ」
片倉がそう口にした。
「トラックの床にも穴が開けられている模様です。確認します」
そう言って2名の隊員が内部へと姿を消した。
「な、なんなんだこれは?」
「退避、退避」
2人が目にしたのは、その穴周辺、側面に設置された夥しい数の爆弾、C4だった。
「ドン」と下から何かが突き上げる振動が起きた。次の瞬間、トラックは吹っ飛ぶように炎上し、爆破による火の手が上がったかと思うと、隊員達と共に地中へと全てのものを引きずり込んだのだ。
「一体、何が起こったんだ?」
その振動は表現できる言葉を遥かに超えていた。
「埃や炎で何も確認できません…ちょっと待って下さい…いや、交差点付近の建物も見えません…陥没した模様です。地面が広範囲に渡って陥没しています」
その空洞と化した場所は、トラックのあった交差点を中心に半径500m以上の円形を描いていた…




