17.凶悪犯罪組織アンフィスバエナ
「一体、彼等ってどんな組織なんですか?」
直人は浅原とともに昼前から合流した下山の運転で、品川区の大井税関前交差点を目指していた。奴等が解放を要求してきているその場所である。
「奴等は世界を股にかけて、テロ、またヘロインやコカインなどの密輸密売、人身売買など、ありとあらゆる犯罪に手を染めておきながら、その正体を全くもって掴ませてこなかった国際的な犯罪組織だよ。それもその中心人物は日本人ときている。日本の恥だよ」
少し疲れて眠っているのか、考え事をしているのか、後部座席で目を閉じたままの浅原に変わって下山が直人の問いに答えた。
「アンフィスバエナってどういう意味なんですか?彼等の組織の名前ですよね?」
「あ、それは私も詳しいことは…どういう意味なんだろう…浅原さん、ご存知ですか?私も知りたいんですが」
下山は少し疲れてそうな浅原のことを気にしながらも、バックミラーに映る彼の姿に聞いてみた。
浅原は目を閉じたまま、ゆっくりとその質問に答え始めた。
「もともとギリシア語の「両方」という意味の「アンフィス」と、「行く」を意味する「バイネイン」という言葉に由来していて、「両方向に進める」といったことの意味を持つ、伝説の生き物だよ。双頭の蛇とも、後々には、双頭のドラゴンとも記されている。ギリシア詩人のニカンドロスや、古代ローマの詩人、マルクス・アンナエウス・ルカヌスなど数多くの詩人の詩の中にも登場する魔物だよ」
「マルクス…アンナエウス…駄目だ。舌を噛みそうだ」
下山は覚えようとしているのか、その名前を復唱しようとするのだが、上手く言えなかった。尚も、浅原は説明を続けた。
「谷原君は、メドゥーサって聞いたことがあるだろう?ギリシア神話に出てくる、見たものを恐怖のあまり、硬直させて石にしてしまうという魔物だよ。詩人ルカヌスが言うにはギリシア神話のペルセウスが彼女の首を切り落とし、リビア砂漠を越えようとした際に、その首から滴り落ちた生き血からこの魔物が生まれたとも伝えられている。そうそう、確か、アンフィスバエナはイギリスのワイバーンや、ドイツのリントヴルムと同じようにヨーロッパの紋章となっていたはずだが、ちょっと待てよ」
そう言って、ポケットから取り出したアイフォンをぎこちなく操作してみせると、インターネット上に出ていたその紋章を直人に見せた。
「つまり、奴等の組織にはMr.XとMr.Yという二人の頭、指示系統があるということを意味してるんだろうよ。変幻自在、どんな対応もできると言ったところかな?」
「そういうことですか」
直人が画面の映し出された紋章を見ていると、暫くして目的の場所へと着いた。そこで爆弾の捜査に当たっていた松島、片倉とも合流できた。
「あの交差点か?」
浅原は1km程度先にあるその交差点を見据えた。周辺は野次馬や、報道関係の車両等でごった返している。そこを掻き分けながら、規制内へと足を踏み入れた。
「コンテナ、奴等の護送の状況は?」
「今、既に湾岸署を出発して、こちらに向かっています」
「結局、爆弾の在り処はわからないんだな?」
松島も片倉も決まり悪そうな顔をしていた。
「いや、仕方ない。最悪の事態にならなければ良いのだが…。それはそれで時間がある限り、とにかく手分けして捜査させることにして、で、SATの配置状況はどうなっている?」
「此処とあそこと、あそこ。各ビルの屋上に待機しています。我々もこのビルの屋上からで、どうでしょうか?」
松島が指したビルを確認すると浅原は大きく頷いた。
「よし、行こう」
皆が人の影すらなくなってしまったそのビルの屋上へと駆け出していくところだった。
「浅原さん、ちょっと」
そう言って下山に呼び止められ、浅原は皆に先に配置に着くよう指示した。
「谷原君のこと調べましたよ」
「で、どうだった?」
「彼は現在、お母さんと二人暮らしをしています。お父さんは3年前に癌で他界。で、お姉さんは行方不明となっています」
「行方不明?」
浅原はその言葉に食いついて見せた。
「えぇ。彼が5歳の時、5つ離れた姉のひろみちゃんは、父親と直人君と共にあるキャンプに参加してたらしいのですが、そこに事件、もしくは事故に巻き込まれて…消息不明となり、その後、迷宮入りとなっているらしいです」
「そうか、お姉さんか…」
「え?何がですか?」
下山はなんでこのようなことを敢えて自分に調べさせたのか気になっていたのだが…。
「いや、なんでもない。行こう」
そう言って下山を労うように肩を叩くのだった。
上空に各テレビ局のマークの付いたヘリが騒音とともに飛来し始めた。
「くそ、やかましいな、なんとかならないのか?」
浅原と他の者たちは、無線を装着しながら、準備を整えていた。
「各警察署員は、持ち場についたか?応答せよ」
対策本部の問いかけに浅原が答えた。
「えぇ、着きました。ですが、なんとかならないんですか?テレビ局のヘリは?」
「今、警察のヘリも数台、そちらに向かわせているし、各テレビ局に上空も封鎖の対象であることを指示している。数分後にはトラック、護送車も現場に到着する。くれぐれも爆弾が見つかっていないことを念頭に入れて、皆、行動するように」
そう言った言葉が終わらない内に、上空には警察ヘリが駆けつけ、各テレビ局のヘリに退去することを促し始めた。
「やれやれ、報道関係者にも少しは状況を把握して、自重してもらいたいもんだな」
「来るぞ」
湾岸道路を降りた護送車とコンテナを牽引したトラックは、立て続けに浅原達のいるビルの下を通り抜けて、交差点に入ると、護送車、そして後を継いたトラックはその手前、中央付近に停車して、数人の捕えていたはずの者達が、まるでこの世は自分達の物だとも示したいがのように、我が物顔で護送車を降りたかと思うと、トラックを取り囲むかのようにして周辺を警戒し始めた。
「2時42分か…間に合ったが、爆弾はまだか?大丈夫なんだろうな?」
午後3時までの解放とは聞いていたが、爆弾を作動させないという確証はどこにもない。浅原達は、双眼鏡を覗き込み、奴等の動向をうかがっていた。
その時である。
「ね、あの真上につけて」
「え?いいんですか?上空も封鎖の対象だって…」
「貴方、クビになりたいの?狙撃されるわけでもなしに…。このスクープを何処よりも間近で捉えたいの。協力しなさい」
テレビ局のヘリが一台、現場上空での撮影を試みようとしたのか、急な旋回をしたかと思うと、交差点の真上へと進入してきたのである。Mr.Xは、その行動を冷静に見ていたかと思うと、徐にコンテナの中へと消えていった。
「何をやっているんだ、直ぐに退避させろ」
それは東京テレビの松下咲の乗ったヘリであった。東京テレビのモニターを見ている局長も、吉澤茜もこれは予期していなかった。
「馬鹿か」
対策本部でそう叫んだ直後である。Mr.Xが、コンテナよりバズーカ砲を上腕部に抱え、姿を見せたのである。
「いかん、退避だ、退避。退避させろ」
警察のヘリが割って入ったところにバズーカ砲が放たれ、それがそのヘリの水平安定板から後部をもぎ取ってしまったのだ。
「操縦不能、緊急着陸だ。ダメだ、わー」
ヘリは全ての感覚を失い、なす術を無くしたかと思うと、胴体を回転させながら、近くの道路上へと叩きつけられた。
「くそー、馬鹿な」
東京テレビのヘリはこの様子を目の当たりにし、直ぐにその場を離れた。
「奴等は本当に戦争を始める気か?」
対策本部も、浅原達も、国民の全員がその出来事に血の気の引く思いがしてならなかった。




