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16.動き出す闇の者たち

 電動車椅子にスーツ姿のその男は、テーブルに何台も設置されてあるモニターに映し出される画像をそれとなく眺めていた。スーツにはピシッととした折りたたみの線も見て取れ、革靴は異常なまでの黒の鮮やかな光沢を放っていた。この男の几帳面な性格を全ての身嗜(みだしな)みが物語っている。

 モニターのすべては、男を中心として弧を描くように配置されており、男が視線を向けるだけで、8つの画像のどれもが直ぐに彼の瞳の水晶体へと映し出された。公園の遊具越しに見える大通り、他には倉庫施設であろうか、それぞれの古びたコンクリート壁の前には数十台の大型、中型トラックが物静かに横付けされている。映し出されている主要幹線道路は、その全区間が点滅信号となっていて、交差点を北から、南からと各方面から捉えている映像もそこには存在する。だが、この昼過ぎという時間帯においても、ゴーストタウンのように、どこを映し出しても、人の姿を捉えることは出来なかった。


 男の右手は車椅子に装着されているリモコンにしきりに触れ、その度に車椅子は、かすかな機械音とともに、彼自身の身体を微妙に左右に揺らしていた。この微妙な揺れが彼を落ち着かせるらしい。車椅子のリモコンは、そっと触れるだけで360度、どの方向へも移動を可能とするレバー式のもので、彼自身の特注のものだった。

 彼が今いる空間はだだっ広く、窓一つもないせいか、照明は隅々まで行き届いておらず、空気も淀んでいた。照明の明かりが映し出す、ダイヤモンドダストを見るたびに、呼吸をすることをも躊躇(ためら)わせる。かなりの広さなのだろうが天井、また奥に続いているであろう場所には、暗闇が広がり、その広さを測り知る術はない。そこにある甲高い作業音が途切れては鳴り響き、途切れては鳴り響きを繰り返していた。

 男は何かを待っているのだろうか、しきりに左手の人差し指をイラつかせ、上下に微動を繰り返していた。両脇には柄の悪い二人の男を従えており、その男達には直立不動ではあるものの、その顔、鋭い眼光だけには周辺を警戒させていた。

 シュルシュルと何かを擦るような音が天井の方で共鳴したかと思うと、作業を終えた数人の男たちは、施設に設置してある金属製の渡り廊下へと足を着けた。その場所の高さでさえ、おおよそビルの高さでいうと、3階くらいの高さであろうというのに、彼らはそれより遥か上で作業を行い、ロープをつたって降りてきたのだ。

「設置完了です」

 作業をしていた内の一人が下に向いて、言葉を発した。その言葉もかすかに木霊となって響きわたる。

「よーし、降りてこい」

 車椅子の男は上を見上げることもなく、そう告げた。その時、テーブルに置いてあった携帯電話が鳴り響く。男が首を長くして待っていた相手のようだ。

「遅いじゃないか」

 相手の声が受話器の向こうから、かすかに漏れてくる。

「準備はできているのか?」

 低く落ち着いた声だ。

「えぇ。いつでも」


 電話の相手はこの場所とはうって変わって、クリーンなカーテンを閉め切った仄暗い部屋の中にいた。高級そうな置物も部屋のありとあらゆるところで見受けられる。壁際には所狭しと置かれた本棚がいくつも設置されており、そこには辞書、ハード素材の分厚い表紙、裏表紙がついた諸々の小説、各専門書などが並べてあった。本棚の前には木製の何百万もしそうなアンティーク調で立派なデスクが置いてあって、いかにも権力を持った人物のここは書斎であろうことは、一目瞭然だった。電話越しのその男はさらにそのデスクの前に置いてある、ガラスのテーブルの脇で高価そうに構えている黒皮のソファーに大きく腰をかけ、足を組んだ状態で携帯電話相手に話しかけていた。

「今回のことは失敗では済まされない、この国の未来をも書き換えるやもしれんからな」

 そう呟くと掛けていた眼鏡を外し、疲れているのだろうか、強く目頭を抑えた。


「えぇ、わかっていますよ。私たちが今までに貴方がたの希望に沿えなかったことがありますか?我々は札という現実を手にする、そして貴方がたは野望とでもいいましょうか、この国の未来をその手にする。いつもそうやって満足させてきたと思うんですがね?」

 車椅子の男は彼の声を聞けて、若干心に余裕が出てきたのか、いつもの調子で含み笑いをした語り口調となっていた。

 電話の向こうの声は尚も続ける。

「あと数時間後には、この国の国民たちは、現実というものに恐怖し始める。その恐怖こそが我々の未来を創り出す(かて)となるんだ。このプロジェクトに君たちを参加させたのは、今までの君たちの残虐たる各行動を買ってのことだ。我々の全てがこれにかかっているわけだが、期待していいんだな?」

 何十人いても、会議にも利用されるほどの広さを持つ、その十分すぎるとも言える部屋に、彼の声だけが静寂な空間を震えさせていた。

「えぇ。それはそうと、こっちの方は大丈夫なんだろうな?」

 そう言って、男は自分達の要求する札束を、見えるはずのない相手に電話を持った反対の指で表現して見せた。

「それには私たちは関知しないよ。だがな、事が起こった時には否応なしでもこの国に他の選択肢はなくなる。我々が相手する機関も…、それに十分、君たちも承知してるはずだと思うんだがな?」

 置いた眼鏡をスッと掛けると、そう含んだ言葉を残して電話を切った。

「ふん、気取りやがって…奴らにもいつかは俺たちの煮え湯を飲ましてやらないとな」

 車椅子の男は相手の電話が切れたのを確認して、そう呟くと、先ほどまで作業が行われていた天井へと視線をあげた。

「収納の準備もちゃんと抜かりはないんだろうな?」

「あれをご覧下さい」

 そう隣にいた男が言うと、車椅子の背後の暗闇を指差した。そこに目にした車両には、ジェット機から緊急で降りてくる時に使用されるような特殊なシューターが取り付けてあり、その先端を天井へとゆっくりと押し上げていくのであった。

 男は不敵な、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。



「えぇ今、アンフィスバエナのメンバーだと思われる人物たちが護送車のほうに乗り込む模様です」

 松下咲がヘリから実況する様子を、吉澤茜はアナウンス部のモニターで見ていた。現場には複数のテレビ局のヘリが飛び交っていて、どの局もこの事件の生映像を流し、テロ専門家のジャーナリスト達は、局のこちら側にいて、もっともらしいことばかりをコメントしあっていた。もちろん、対策本部でもこの画像は流されていて、トップの何人かが、それぞれの思いでこれを見ていた。日本国民全員がその手を止めて、固唾(かたず)を飲んでいる状況だった。

「もう、本当に…私があそこで中継しててもいいじゃない?」

 吉澤茜はマグカップのコーヒーを口元に運んだり、デスクに置いたりを繰り返していて、周囲にも苛立ちの表現を隠しきれてはいなかった。

「まあまあ、彼女はプロフェッショナルだからね、仕方ないさ」

 そう隣で呟いた同僚をも睨みつけた。

「おぉ恐い、恐い」


「あ、今、最後に乗り込もうとした男が何やら、こちらを見上げています」

 松下咲は、カメラマンに顎で「ね、あれを映して」というような仕草をしてみせた。カメラマンがそのカメラを向けると、Mr.Xは、その様子に気付いたのか、手でピストルを打つようなジェスチャーをしてみせた。

「彼がリーダーなのでしょうか?こちらに向かって挑発的とも思われるジェスチャーをして見せています」

「いったい何様のつもり?」

 マイクの音量を切ると、松下咲はそう呟いた…。

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