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06


   ***


「うーん、何もないぞ」

 僕がLWOにログインしてから、かれこれ十五分くらいが過ぎている。ずーっと真っ直ぐに歩いているんだけど、一向に変化が訪れない。果てしない空と広大な高原がどこまでも続いているだけだ。

 ただ、驚いたことに……このゲームは歩いているだけでも全く飽きない。そよ風が本当に気持ちよくて、空気も綺麗で、何より景色が素晴らしい。まるで観光地巡りをしている気分だ。

 足下の草むらが揺れると、そこにはリスのようなウサギのような小動物がたわむれている。遠目にはうっすらと、放し飼いされている豚や牛のシルエットも見える。

 とにかく長閑のどか。ひたすら長閑。

「ん?」

 何の前触れもなく、頭の中に音楽が流れてきた。びっくりして周囲を見渡してみたけど、なんの変化も起こっていない。

 メロディは徐々に勢いを増して、感情を盛り上げるような曲調になる。そこに少しだけ、緊張感のようなものを感じられた。

 僕はまた感心していた。脳内に響く音楽はどんどん激しさを増しているのに、外の世界の音――足音とか風の音とか――はちゃんと聞こえてくる。どういう仕組みになっているのか気になって仕方がない。

 これがRPGではお馴染みの戦闘曲だと、僕は後になって知った。

『Guoooh!』

 何もない正面から野太い轟音を叩きつけられた僕は、その風圧に吹き飛ばされる。何度も上下が入れ替わって、何度もごろごろ転がって。ようやく止まって見上げてみると、定まらない視線の先に、いつの間にか巨大な生物が立ちはだかっていた。

 豚のような牛のような顔つきの化け物が二本足で立っていて、前足……というか手には斧を握っている。皮膚は赤黒く、鎧のようなものを身につけていた。

 巨大生物は僕に威嚇するように、荒い鼻息を吹きかけてくる。双牙をむき出しにして敵意全開。

『Guo!』

 僕の身長ほどの斧が振りかぶられる。逆光を背に構えられた戦斧に、僕は原始的な恐怖と危機を覚えた。

 斧が動くのとほぼ同時。咄嗟とっさに右側に転がって、なんとか軌道上から逃れる。それでも斧が叩きつけられた風圧で吹っ飛ばされ、地面に強く打ち付けられる。

 背中が痛い。その打撲感は本当に生身の痛み方のそれだった。

 ――ここは本当にゲームの中なの?

「GuRuaaa!」

 化け物がその巨躯を活かして、二太刀、三太刀と斧を振るう。僕は後ずさりしながらなんとか避ける。でも、四太刀目。ついに僕は攻撃から逃れ切れなくなった。

「っくは……」

 不幸中の幸いと言うべきか、刃の側面に弾かれたため、体が真っ二つにはならなかったけど……それでも鋼鉄に殴打される衝撃で体の自由は効かなくなった。

 化け物は僕が動けないことを悟るや、まるで人間のように口先をニイイっと吊り上げて、戦斧を大上段に振りかざす。

 時が止まった。

 正確にはじりじりと進んでいるんだけど……動いているのかどうか分からないほどにスローモーションで。ゆっくりと、着実に迫る結末はまるで――。

 頭は動けと命じている。でも体は、痺れてしまって動かない。

 ――まるで、あの時と同じじゃないか。

 まただ。湯船の栓が外れた時のように、体から力が抜けていく。痺れに抗うことができなくなる。

 諦めとはまた違う、言葉にできない空虚感に支配された僕は、目の前の現象を呆然と眺めることしかできない。

 結局、僕はどうしようもなく僕だった。

「シッ!」

 耳をつんざくほどの金属音が響き渡る。誰かが覆い被さる銀斧に立ち向かって、その軌道を逸らしたようだ。

 颯爽と現れたその人は緋色の髪を靡かせて、僕の目の前に着地する。一方の怪物は、渾身の一撃を弾かれたせいかバランスを崩し、隙が生まれている。

「逃げてください」

「え?」

「逃げて。ここは私が引き受けます」

 緋色髪の人はこちらを振り返りもせず、真っ直ぐ剣を構えたまま言い放った。

「に、逃げるって……?」

「はじまりの町へは東の方向に真っ直ぐです」

「でも、あなたは、」

「私がヘイトを稼いでいる間にここを離れて!」

 怪物はもう態勢を立て直しており、再び大斧を構えて僕らを見据えている。僕はもう恐くて恐くて、腰が抜けてしまって立ち上がるどころじゃない。

「早くっ!」

「ごっ、ごめんなさい……体が痺れて動けな」

 僕が喋り終わる前に、怪物が動いた。

 反応が追いつかないほどの初速で斧を振るう。図体が大きいクセにこの速さは反則だ。

 やられる! ……って思ったのも束の間、緋色髪の人は驚くべき反射速度でその攻撃をなした。そのまま片足で後ろに跳んで、怪物との距離を空けた。

 すると怪物は、僕には目も暮れずにその人に向かって突進する。ズン! ズン! と斧を振るう度に大地が揺れるけど、僕に実害は全く及ばない。

「どうなってるんだ……」

 僕はただ呆然と、眼前で繰り広げられる攻防……怪物が人間と戯れている様を眺めていた。いつの間にか身体の痺れはとれている。でも、呆気にとられて立ち尽くしてしまった。

 緋色髪の人は女性だった。その小さい体で、おもちゃのような剣で、彼女の何倍も大きい怪物と戦っている。といっても防戦一方で、ひたすら逃げに徹しているようだ。

 彼女と目が合った。

 まんまるの瞳からは真摯さが滲み出ていて、おそらく僕に「逃げろ」と訴えている。小振りな横顔からは、身の丈に合わない強い意志が伺える。ポニーテールを揺らしながら、果敢に怪物と渡り合っている。


 ――僕は、何をやっているんだ?


 戦況は動く。

「きゃっ……」

 煩わしそうに大斧を振り回していた化け物が、ついに緋色髪の娘の動きを捕らえたようだ。絶対にかわせない角度から斧が襲いかかる。彼女は剣でガードするしか選択肢がなかったのだろう、勢いを殺すことができずボールのように弾き飛ばされてしまう。

(まずい!)

 怪物は満足げに唇の端を吊り上げている。本当に、小虫を払った人間のような表情カオだ。

 あの娘を助けに行かなくちゃ……そう思ったのに、思ってるのに、足が前に出ない。痺れはとっくに消えているのに。

 ――テメーはテメーの意思で動かなかっただけなんだからな。

 違う。あの時は本当に、動けなかったんだ。

 じゃあ今は?

 ――結果が全てだ。テメーは自分テメー可愛さ故にあの小娘を犠牲にしようとした。

 違う。僕なんかのために、他の人の命を捧げようだなんて思わない。

 じゃあ今のこの状況は何?

(このままじゃ……ダメだ!)

 ――テメーにチャンスをやろう。

 そうだ。僕は証明しなくちゃいけない。

 誰かの犠牲に甘んじるような奴じゃないんだと。

 他ならぬ、僕自身の手で。

 拳を強く握りしめる。震える足で大地を踏みしめる。

 僕は臆病者だ。僕を助けてくれた車イスの女の子のように、堂々と人助けをすることは出来ない。

 でも、そんな僕にだって、ちっぽけな勇気くらいあるはずだ。一生で一度使うかどうかのしょうもないものだけど、使うのなら、今しかない。

 意を決して正面を向いた――まさにその瞬間。

 タイミングを図ったように、化け物がこっちを向いた。

 視線が交わる。

「ひっ……」

 たったそれだけで、僕は怯んだ。

 よほど虐め甲斐のある顔をしていたんだろう、怪物の興味は僕に移ったようで、その巨体を僕の方に向ける。

 斧を構え直して、こちらに突進する素振りを見せた……。

 その横顔に小石がぶつけられる。

 女の子が、体を剣で支えながら、その怪物を睨みつけていた。まともに動けない状態にも関わらず、あくまで怪物の相手をするつもりらしい。

(っ!)

 彼女の目は輝いていた。この状況下でも尚、煌々こうこうと光を放っている。

 怪物の動きが止まった。体の向きが僕と彼女の中間辺りで、どっちを獲物にするか選んでいるんだろう。

 悔しくて、どうにかなりそうだ。

「おい! そこの豚野郎!」

 腹の底から息を吐き出す。おそらく十五年の中で一番声を張り上げている。

「お前の獲物は僕だろう! こっちに来い!」

 足は震えている。声も震えている。それでも精一杯、虚勢を張る。

 ここで引くわけにはいかない。僕にだってできることがあるんだと、どんな形であれ事を為せるのだと、示さなければならない。

 僕の挑発に乗ったかどうかは分からない……でも、怪物を選んだようだ。腰を落として、その巨幹で大地を蹴って、僕に飛びかかる。

 凄い速さだ。走行車と同じくらいの速度はあるだろう。

 でも。

 所詮ただの直線運動に過ぎない。

 怪物の足が地面から離れた瞬間、僕は全力で右方向――斧が届きにくい、怪物の左側面へ走った。少しでも距離を稼いで、肉塊が迫った瞬間に前方へ跳ぶ。運動神経は元々良くないために不格好な跳躍になってしまったけれど、それでも突進攻撃の直撃を免れるには十分だった。

「うわっ!」

 空気が押され、その流れに僕はまた吹き飛ばされる。地面をごろごろ転がって、ようやく止まって見上げると……あの怪物が斧を上段に構えて僕に近付いてくる。

(僕の予想が正しければ!)

 今すぐに立ち上がって逃げ出したい。その衝動を必死に我慢して、あえて尻餅をついたまま動かない。

 果たして……怪物は僕の目の前までやってくると、右腕を空高く掲げた。

(よし!)

 僕は右側に転がった。直後、鈍い音と共に斧が地面に叩きつけられる。そして、僕の逃げた動きに合わせて、水平に切りつけてきた。僕は地面に張り付くようにして、これをかわす。

 怪物は煩わしそうに、僕の右側から斜めに斧を振り下ろした。力を溜めている僅かな隙に僕は立ち上がって、左に転がってこれもかわす。

(次だ……)

 僕は体の前で両腕を十字に構えて、いわゆる防御の姿勢を取る。吸い込まれるように、巨大な斧の側面が僕の両腕を強く弾いた。

 僕の体はボールのように放物線を描いて吹っ飛び、背中から地面に落下。その衝撃で全身が痺れ、体に力が入らなくなる。

「っっっっ!」

 痛みで意識が飛びそうだ。呼吸さえも苦しくて、諦めてしまいたくなる。

 でも、ダメだ。この後が大事なんだ。

 僕が痛めつけられている姿を、緋色髪の女の子は見ているだろう。そして、彼女ほど腕の立つ人なら気付くはず。

 この化け物の行動パターンについて。

 実際、僕の予想は正しかった。だから僕が気付いたこの情報を、彼女に読みとってもらわなきゃいけない。

 怪物は僕の傍らに立つと、斧を両腕で握って大上段に構えた。体を仰け反らせてまさに振り下ろそうとする瞬間。

 ニイイ、と獰猛な笑みを浮かべた。

「さん!」

 潰れそうな肺にむち打って、全力で叫ぶ。

「にい!」

 斧が動き始める。

「いち!」

 僕は目を瞑った。流石に自分が真っ二つになる瞬間を見る度胸はなかった。

 ズガァン! と大地を割る音が空気を震わせる。

「……あれ?」

 なんで音が聞こえるんだ?

「馬鹿!」

 怒られてしまった。

 おそるおそる目を開けると、僕のすぐ目の前に女の子がいた。って顔ちかっ!

 どうやら僕は、またこの娘に助けられたらしい。

「今のは何! 君は、ここがどういう場所なのか分かってる!?」

「え? ……あ」

 そういえばゲームの中だったんだ。

 あの怪物があまりにリアリティを帯びていたせいですっかり忘れていた。

 僕の決死の覚悟っていったい……。

「ただのお遊び(ゲーム)とは違うの! 始める前、そう教えられたでしょう!?」

 そんなことを言われたような。というかそもそも、その理由を知るためにログインしたんだ。

「どういうつもりで、こんな危ない事を……」

「すみません、後にしてもらえませんか?」

「は?」

「今はそれどころじゃないと思うんですけど」

 少し離れた所で物音がした。怪物が地面に刺さった斧を持ち上げた音だった。

「まずはあいつから逃げ切らないと」

「……そうですよね。そうでした。私が囮になるので、君は早くここから、」

「それはダメだ! 僕のせいでこうなったのに、どうして僕だけが助かるんだ!」

「じゃあどうするんですか? あのNMネームドはエリア圏内ならどこまでも追いかけてくるんですよ! 誰かが足止めしないと……」

「なら、それは僕の役目だ」

「武器の装備の仕方も知らない君が? 足止め? できるわけないでしょう」

 武器? え、僕って武器持ってるの……?

「……はぁ。話になりませんね」

「待って。僕にその武器の出し方を教えてください」

「……失礼ですが、日本語分かりますか?」

「はい。僕も戦えるのなら、あいつから逃げ切れます。二人で」

 直後、僕は思いきり突き飛ばされた。

「うわぁ……」

 僕のすぐ目の前に、銀色の塊が降ってくる。前髪が少し切れた。びっくりしすぎて、逆に間抜けな声が漏れてしまった。

「はぁ!」

 澄んだ気合いと同時に、怪物の呻き声が響いた。あの娘、この一瞬で反撃したんだ……。

 やっぱりいける。逃げ切れる。

 怪物は丸腰の僕に目も暮れず、怒りの形相で女の子の方を睨みつけている。

(そうか、自分を攻撃した人を集中的に狙うんだ)

 なるほど、僕じゃお話しにならないわけだ。だけど余計に可能性が見えてきた。

 怪物は怒りに任せて縦横無尽に斧を振るっている。彼女はそれをなんとか凌いでいるけど、やっぱり一撃が重すぎる。さっきみたいに長くは保たないはずだ。

 完全に攻撃を見切れなければ。

「しゃがんで!」

 咄嗟の掛け声に、彼女は応えた。

 その頭上を真横に振られた斧が過ぎていく。

「次、左!」「下がって!」「右!」「大振りくるよ!」

 僕の指示に従って、彼女は蝶のように舞う。いくら一撃が速くて重くても、あの図体じゃ小回りは効かない。パターンさえ分かってしまえば、かわすことなんて容易いんだ。

「君は、いつの間に……」

 大技の隙を見て、彼女が僕の所まで駆け寄ってきた。

「だから言ったんです、逃げ切れるって」

「……分かった。君の言う通りにする」

「ありがとうございます。信用してくれて」

「今のを見せられたら、ね」

 硬直の解けた化け物が、こちらを忌々しく睨みつけている。そりゃそうだ、小虫を払い損ねたら誰だってイライラする。

「僕が思うに、あの『大振り』が狙い目です。特に、痺れて動けない相手に使う大上段のやつを上手く誘い出せば」

「どうやって?」

「突進攻撃を転がってかわしてください。すると、あいつは斧を叩きつけてきます。その後の連続攻撃の、四回目をわざと食らいます」

「さっきのはじゃあ……?」

「はい。斧の側面に弾かれると、なぜか体が痺れます。僕じゃ受け身は取れないけど、」

 怪物は説明し終わるのを待ってはくれない。

 腰を落として、こちらに突っ込んでくる。僕らはそれぞれ真反対に転がってそれを回避。

「タイミングは僕が出します! それに合わせて、なんとか避けてください!」

 やっぱりと言うべきか、怪物は女の子の方を狙っている。僕は攻撃に巻き込まれない距離で、動きを観察すればいい。

 唐突に、彼女が左手を横に振った。

(あれは……)

 メニューバーだ。今の動きは、検診の時のログアウトボタンを出す動作と変わらない。

 僕は左手の人差し指と中指を二本揃えて、胸の横で右から左へと水平に振る。チリンという音と共に半透明のウィンドが現れた。

 そこから「equip」を選択。ショートブレードという項目があったので、タップしてYES。すると、僕の背中に重みが増した。右手で柄を握り、引き抜く。

 ちょうどその時、彼女が四撃目をガードし、吹っ飛ばされた。

 怪物は彼女の傍らに立ち、両手で斧を振り上げる。そして、口先に笑みを浮かべて……。

「にい! いち! 今!」

 大上段から斧が叩きつけられるのと同時に、僕は怪物に向かって駆け出した。

 ズガァン、と斧は大地に突き刺さって、化け物は斧を振り下ろした態勢のまま動かない。見事に空振った証拠だ。

 今、あの怪物は無防備だ。ここで急所を突いて少しでも動きを封じられれば、その間に離脱できる!

 僕は一番柔らかそうな場所――怪物の膝裏をめがけて、逆手に持ったショートブレードを思い切り突き刺した。

『Gyaa!』

 怪物は糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。

「うそ……」

 攻撃から逃れた緋色髪の女の子がぼそりと呟く。

「今のうちに町まで逃げましょう! 案内お願いします」


一挙更新は、取り敢えずここまで。

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