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「オン・シンパシー」

 発声コマンドと同時に光の奔流が押し寄せてくる。粒子が全身に染み渡っていく感覚は、検診時のダイブとまったく違って、体内に流れ込んだ粒子が磁力に引っ張られるように僕を別空間へと連れて行く。

 ただアプリケーションを起動しただけなのに。現実では決して味わえないこの感覚すら、現実のそれよりもずっとリアリティがあった。

 光が弾けて真っ白になる。次の瞬間、僕の体は大空へと投げ出された。

「え……?」

 でも、落ちない。

 僕は空に立っている。

「え、え!?」

 僕はただそうやって、驚くことしかできなかった。

 両目に飛び込んでくるのは、終わりのない碧空だ。とても強い風が真っ正面から吹いていて、僕の全身を叩く。雲が次々と流れて、僕を突き抜け、過ぎていく。

 そこにあるのはもう、セッティングされたバーチャル空間じゃない。本物の、いやそれ以上の世界そのものだ。

「凄い……」

 僕は自然と、両腕を開いた。風が僕の髪を掻き揚げ、服を靡かせる。蓄積された憑き物をぜんぶ吹き飛ばして、僕の心は空っぽになった。

 ――最ッ高に! 気持ちいい!

 感動で胸がいっぱいになる。その感動すら、次の瞬間にはもう流されている。

 僕がこれまで拘っていたものは、なんてちっぽけだったんだろう。心の底からそう思ってしまうほど、この世界は壮大だ。

『蒼の頂に魅せられし迷子よ』

 空から言葉が降ってくる。厳かで、猛々しい声だ。

『汝、浮世に捨て去りし者なるや?』

 妙な言い回しで正確な意味を掴めない。でも……僕は頷く。

 すると、僕の前にテロップが出現した。明らかに場違いな表示に違和感を覚えながらも、そこに『プレイヤー名を入力してください。』と示されている以上、無視はできない。

 今更になって、ここがゲームの世界だってことを思い出した。

「名前……か」

 考えたところで、ぱっといい名前が思いつくはずもなく。下の名前の読み方を変えて『Kazu』と入力した。

『蒼の大地に誘われし者よ。汝、此処にて長きに渡るべし』

 一際大きな雲が僕を飲み込む。それが過ぎ去ると、僕は見渡しのいい丘に立っていた。

 強風の代わりにそよ風が舞って、足下の芝を優しく凪いでいく。上を向いても前を向いても空があって、やっぱりどこまでも続いている。どうやらこの場所は標高が高いらしい。

 僕は両手をぐーぱーした。神経の伝わり方、空気を押す感覚、何もかもが現実そのものだ。技術の無駄遣いなんじゃないだろうか、これ。

「さて、どうしよう」

 軽く体を動かして、服装を確認してみた――簡素な布製のシャツとズボン、それに胸当てのようなものをつけた格好だった――はいいものの、まず何をすればいいのか見当がつかない。

 もう少し情報を集めればよかった、と思う。でも、去り際の意味深な言葉がどうしても耳から離れなくて、結局ログインしてしまった。

 ……そうだ。僕は衝動的にここへ来た。だったら、そのまま突っ走ろう。

 僕の前には緩やかな下り坂が続いている。下の方に降りてみたら、誰か人がいるかもしれない。何かが起こるかもしれない。

「行こう」


   ***


 ――同刻。

「やあああっ!」

 裂帛の気合いと共に銀閃が迸る。その軌道上にあった《Blue Boar》は呆気なくポリゴンとなって爆散した。

『凄いね、清花きょうかちゃん。見事な剣捌きだったよ』

 清花、と呼ばれた少女はなるべく小さな声で「ありがとうございます」と呟き、ほぅと肩から力を抜いた。

 彼女は今、次元を越えて会話をしている。不思議なことではない、《レヴェリー》は仮想世界と現実世界の交信をも可能にするのだ。

『もう随分とバーチャルの身体に慣れたみたいだね。普通のプレイヤーよりもよっぽど動きにキレがあるよ』

「そ、そうですか?」

『うん! それに、医学的な観点から見ても君は凄い。仮想そっちの君と現実こっちの君を見比べたら、誰だってびっくり仰天さ』

 担当医師の言葉に嘘はないが、それでも清花は苦笑することしかできない。

 彼女は治療目的でVRMMOをプレイしている。これは俗に言うバーチャル療法というもので、何らかの要因によって生身の身体が不自由な人、或いは社会復帰が困難な人に対して、仮想空間を挟むことによって「変化」を促すことを目的にしている、れっきとした治療法の一つである。

 清花の場合は前者で、下半身不随の身体障碍者だ。つまり、いくらゲームの腕前を評価されたところで……仮想肉体アバターを自在に操ったところで、現実の彼女は車イスがなければどこにも行けない、ひ弱な少女でしかない。

(期待なんてされても、困るよ……)

 清花はどうしようもなく、弱者だ。

 いくら御輿に担がれようが、その事実は変わらない。

『そろそろ時間かな。清花ちゃん、リハビリはここでお仕舞いにするけど、まだ続ける? どちらでも構わないよ』

「いえ……大丈夫です」

『わかった。じゃあリンクを……ん?』

「どうかしましたか?」

『ああ、いや。君以外にもゲームにログインしている患者さんがいるみたいでね。おかしいな、リストにはなかったと思うんだけど』

「見えたんですか?」

『一瞬だけどね。うーん、誰だったんだろう』

 現実世界からモニタリングしている医師の視野は、空中に固定された一点から三六○度。もちろん広大なフィールドのごく狭い範囲しか見ることが出来ないが、ゲーム内にいる清花に関してはその限りではない。

 目を細めて周囲を見渡してみると、西の丘辺りでとぼとぼ歩いている人を発見した。

(あれ? あっちの方ってたしか……)

 このゲームには二種類のフィールドが存在する。一つは病院の《レヴェリー》に元々インストールされているアプリのフィールド。そしてもう一つは、このゲーム……『LWO』本来のフィールド。

 病院版LWOは、本来のLWOの一部だけを解放した、いわばCBTのようなもので、サーバそのものは同一だ。だから病院版LWOをプレイしていても、向こう側に行くことは出来ないが、LWO本来のエリアを眺めることは可能なのだ。

「あの、先生?」

『なんだい?』

「この時間にバーチャル治療をしている患者さんって、わたしの他にいないんですよね?」

『うん。記憶違いじゃなければ』

(ということは……まさか)

 清花の危惧は正しい。

 人影が映ったエリアは本来のLWOのフィールドだ。

(どうしよう! あのまま進んだら危険域に入っちゃう)

 危険域……RPGではよくある「エリアの適正レベルを大幅に越えたMobが出現する地帯」だ。あの人物がそれを知った上で進んでいるのなら問題はないが……清花はどうも違うように思っていた。遠目だったのにも関わらず、彼女の目にはその人物が丸腰のように映ったからだ。

 だが、ゲーマーならここで異を唱える者もいるだろう。何も知らずに危険域に突っ込んで、無惨に負けるのもRPGの醍醐味である、と。

 ――ことLWOに置いて、その事態は絶対に回避しなければならない。

 無論、清花はそれを知っていた。

「先生。一度ログアウトしてすぐにインするので、わたしの座標をここに固定してください」

『え? どうしたんだい急に』

「お願いします! 早く!」


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