04
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「退院、かぁ」
どうも実感が湧かない。僕の体は正常だし、そもそも異常なんてなかったわけだけど……日常に「戻る」という感覚が掴めない。
僕の日常は二週間前くらいに終わった。それも、僕の未来が閉ざされる、という形で。
明日から僕は、何をして生きればいいんだろう? 何を生き甲斐にすればいいんだろう?
もし神様がいるのなら、僕に教えて欲しい――この問いかけに答えはあるのか、答えを示せる人はいるのか、と。
「入るぞ」
ぶっきらぼうにカーテンが開かれて、スーツを着崩した男性が現れる。全体的に細身のシルエットで、身長も高い。室内にも関わらずブラックのソフトハットを被っており、つばの影から見せる切れ目の眼光は正直、恐い。
僕はこの男性に見覚えがある。神経麻痺によって動けなくなった僕を、この市立病院まで運んでくれた人だ。
あの時といい、今回といい、現れるタイミングが良すぎる。とにかく怪しい人物だ。
「あの、なんの用件ですか?」
「ほう。自分を救ってくれた人間に対する態度がそれか。まずは言うべきことがあるんじゃないか?」
なんて図々しい。でも、たしかに今のは僕が無作法だった。
「……すみません。その節は、どうもありがとうございました。おかげで大事には至らず、無事退院できるみたいです」
「クックッ。殊勝なこった」
「何が可笑しいんですか? 人に強要しておいて」
「いや何。道理で道に寝そべる奴だ、と思ってな」
「道……?」
「目先に提示されたものしか見えていない。実におめでたい野郎だぜ」
「それってどういうっ」
「あん時、テメーを助けたのは誰だ? まさかオレだなんて言い出すまい?」
「……そうだ、あの娘は!?」
「何を今更。テメーと違って自分の足で立っている奴が、どうこうなるわけねーだろ」
あれ、あの娘ってたしか車イスに……?
――違う。そういう意味じゃない。
「やっと理解できたようだな」
「……」
「ただの腑抜けが美人看護婦の接待を受けて、病人を気取っている姿は実にお笑いだったぜ」
「っ」
「身体に異常は見つからなかったんだろ? そらそうだ、あん時テメーはテメーの意思で動かなかっただけなんだからな」
「憶測でものを語るのは……止めてください」
「大人を見くびるんじゃねーぞ。まさか、病院側がテメーを腫れ物みたいに扱った理由がわからねーのか?」
「……」
「甘ったれるなよ、クソガキ」
何も言い返せなかった。棘があって乱暴で、けど事実をストレートに表している。
僕があの時、動かなかった……いや動けなかったことは間違いない。それは「一時的な神経麻痺」という診断結果が証明している。
でも、たしかに僕は途中で一度、諦めてしまった。それを僕の意思で動かない、と表現されても反論はできない。
悔しいけど、この人の言っていることは正論だ。
「テメーの泣き言に他人を巻き込んでおいて、挙げ句ソイツの命を天秤にかけたんだぞ? その癖テメー自身はいつまでも被害者ヅラ。オレはさっき外道と罵られたが、テメーの方がよっぽど外道だ」
「…………違います」
「ほう?」
「あなたの言う通り、僕は腑抜けです。挫けたまま何もしなかったことを責められるのは当然だ。でも、被害者面をした覚えはありません」
「どの口が言ってやがる。今テメーが置かれている状況そのものが、被害者ヅラしてる証拠だろうが」
「いいえ。僕は病人です。どういう経緯であれ、状況であれ、あの時僕は……本当に自由が効かなかった。『逃げて』の一言すら言えなかった」
「言わなかった、の間違いだろーが」
「僕はそこまで身勝手じゃありません。無関係の人を巻き込んでいいだなんて、ちっとも思ってない。諦めたのだって僕一人の命です」
「高尚なこった。が、仮にオレ以外の車があそこを通っていたら、どうなっていた? 仮にテメーが動いたとして、あの少女と同じ行動が取れたか?」
「それはっ」
「結果が全てだ。テメーは自分可愛さ故にあの小娘を犠牲にしようとした」
「……っ!」
「テメーがいくら御託を並べたところで、そんなモン後の祭りだ。どうとでも取り繕える。あの瞬間、心の奥底ではこう思ったハズだ――身体障碍者よりも健常者の方が価値がある、と」
「違う!」
自分でもびっくりするくらいの怒号。たった一言叫んだだけなのに、肩で息をするほどのエネルギーを使った。
僕は今でも、心の片隅で燻っている。消えた未来を引きずって、いつまでも二の足を踏んでいる。そういう意味じゃ「図星」だったから、咄嗟に怒鳴って誤魔化そうとしたんだろう。他ならぬ、僕自身を。
だから僕がいくら見下されようが――それが人を小馬鹿にするような奴に、だったとしても――心底悔しいけど、仕方がない。所詮、僕はちっぽけな存在だから。誤魔化さなくったって、自分でよく分かってる。
でも違う。
僕が怒ったのはそれじゃない。
「あの娘は僕を、命懸けで助けようとしてくれたんだ! そんな人の命を、僕のなんかと比べるな!」
気高くて、貴くて、勇ましい。あの娘の魂と僕のそれを対等に並べられることが、どうしても我慢ならなかった。そんなの失礼すぎる。
「……そう来たか。とんだ資源ゴミを拾ったかもしれん」
「は?」
「合格だ、渕東一」
「なっ……、どういう」
「テメーには下克上する資格があるってことだよ」
「は、え?」
「理不尽に将来を潰されて、途方に暮れているテメーに、チャンスをやろうって言ってんだ」
「何を言ってるんですか? あなたに僕の、何を変える力があるんですか?」
「オレに他者を変える権限なんざねえさ。だが、他者が変わるきっかけを作ることはできる」
「これは?」
「ルーサーウィーブズ・オンライン。VRMMOだ」
「ぶ、ぶいあー……。なんですかそれ?」
「今時のガキがVRMMOも知らねェのか。ゲームだよ、ゲーム」
「馬鹿にしてるんですか?」
「至って大真面目だ。オレは今ソレをゲーム、と言ったが……ソイツはただの遊戯じゃねえ」
「え?」
「答えが知りたけりゃ、レヴェリーにインストして自分の目で確かめてみろ。ソレは体験版だから大したこたァできねーが、オレの言葉が本当であることは証明される」
「……ゲームで僕の、何が変わるっていうんですか」
「真面目なこった。そんなんだから視野が狭まる」
「どういう意味ですか」
「受験をミスっただけで腐ってるテメーみたいな奴を井の中の蛙って言うんだよ」
「なんでそれを!」
「一。テメーは馬鹿じゃねぇ。ただ知らないだけだ。そんなんでテメーの人生、終わっちまっていいのか?」
「それは……」
「クソッタレな社会に下るのか、それとも自分の足で新たな道を歩むのか……後はテメー次第だぜ、一」
パッケージにはこう書かれている。
Loser weaves Online ~敗者が織りなす物語~。