7話 それぞれの思惑
「良かったじゃないかラファン」
羊皮紙に目を通した僕は右に立つラファンに声をかける。
「『ガスターク率いる革命軍が王国軍相手に大勝、部下であるガラクスに莫大な褒美を与えた』。兄のガラクスが無事でホッとしたんじゃない?」
「まさか、何故私が裏切り者の兄の安否を気遣うのか?」
ラファンは不機嫌に鼻を鳴らしながら。
「元々兄は戦闘にも秀でていた。ケイミス様と出会う前は傭兵団の団長を務める程の器量持ちだった」
「うん、それは良く知ってるよ。ただ、残念なことに僕の陣営では戦闘人としてのガラクスは必要なかった。何せ――」
「そう、そこのお高く留まった女のせいで兄は施政へと方針転換せざるを得なかった」
ガラクスは確かに戦闘の才能があった。もしかするとそっちの方が天分だといわんばかりに。
しかし、治安や軍事を総括する立場にはシャロウがいて、彼女の完璧無比な性分はむらっけのあるガラクスと相性が悪かった。
「何を当たり前なことで怒っているのですか? ラファン?」
シャロウは首だけラファンに向けて。
「彼のように余計なことまでやる人材は困るのです。一なら一、十なら十と決まった原資で決まった成果を出す人材こそが最も重用すべきです」
「はん、そんな教科書通りな結果なんて出るものか。誰かと同じ形と考えを持った者はいないように戦場もまた同じモノは存在しない」
「その通りです。しかし、それを自覚しているかどうかは別問題です。守ろうと努力している者とはなから守る気の無い者――その違いは天地雲泥の差です」
「目的を達成した後でなお余力がある、もしくはその課題をこなせば後々が楽になるなら迷わずやるべきだが?」
「それが余計なことです。必要以上の成果は油断や驕りを生じさせ、後の大敗を招きます」
「はいはい、ストップストップ」
ヒートアップしてきた二人を僕は両手を上げて制す。
「シャロウ、僕はラファンの兄の身の安否に安心しているんだ。なのにその場で彼を貶すことを僕が望んでいると思うかな? 時と場所を考えて欲しい」
「申し訳ありません」
「ラファンもそう。僕の右腕と称するんだったら僕が何を望んでいるのか見当が付くだろう。今のようにシャロウと言い争うことが僕の望みだと言うつもりかい?」
「左様なことはありません」
「シャロウもラファンも理解しているじゃないか。だったら今、僕が何をしようとしているのか、そのために君達は何をすべきなのか知っているかな?」
「「執務に戻ることです」」
「その通り。だからそれを達成できるように各々が考えて行動してね」
と、僕はそう締め括ってその場を纏めた。
「あくまで部下の判断に任せますか?」
「うん? ああ、クラリスか」
気が付けば監察官であるクラリスが書類の山を抱えて戻って来ていた。
「そうだね。折角生きているんだ、だったら存分に生の喜びを実感してもらわないと」
言われたことをするだけの人生など生きているとは言わない。
悩み苦しみ、失敗のリスクを恐れても判断することが生きているんだ。
「私には理解しかねる信念です」
「まあ、何も一朝一夕でやってもらおうと思わないさ。ゆっくりで良い。ほら、こうして君が持ってきた書類も、君が手心や意見を加えているだろう?」
「それは……何時もアクエリアス様が私に意見を述べさせるから」
「フフフ、君は結構強情だね。が、まあ良い。時間が経てばクラリスも僕が何を言いたかったのか理解できる日が来るよ」
「その前に組織が滅茶苦茶になってしまいそうですね。一般伝達係に私情を持ち込むと大変なことになりますよ」
「へえ、君は自分のことをそこら辺にいる一般人と同列だと言うつもりかい?」
「いえ、それはありえません。私はこう見えてそこらの学者よりも博学です」
「うん。そのそこら辺の学者よりも博学な君を一般人と同列に扱うのは気が引けるね」
「……」
僕の言葉にクラリスはふさぎ込んでしまった。
「ところでおアクエリアス様を追いだしたガスタークについてですが?」
「ああ、僕の友人の事か」
「貴方は彼をどう思っています」
「どうもこうもガスタークは僕の友人だ。それ以上もそれ以下でもない。友人が喜んでいるなら僕も嬉しいし、戦争に勝って僕の故郷を護れたのならなおさらだね」
「恨みとかは? 貴方は彼に裏切られて全てを失ってしまったのですよ?」
「無いと言えば嘘になる。が、彼しかガラクスを始めとした民衆と先祖代々の領土を護れない。ギランバール陛下は本気だ、残念ながら僕の実力ではギランバール陛下と話し合うことは出来ても勝つことは出来ないね」
武の頂点に立つ王――ギランバール。
歴史に登場する偉人達とそん色なきカリスマ性と軍事的才能を有した国王。
「僕の知りうる中でも辛うじて対抗できそうなのがガスタークだ」
覇道を歩む者――ガスターク=ヴァズナブル。
血も凍るような謀略を考え、躊躇なく実行できる非道者なのに皆から愛される奸雄。
「この二人が激突し、拮抗状態に持っていけば僕に可能性の目が見えてくる」
交渉は得意分野だ。
双方とも既知だし、何より領土の拡大は望んでも特定の地域の支配は眼中にない。
「事が上手く運べれば僕はフォン地方に返り咲けるな」
「お待ちください。まさかアクエリアス様はそれを目論んで? フォン地方と民衆を護るためにわざとガスタークに乗っ取られたのでしょうか?」
「アハハ、まさか」
恐怖に目を見開いたクラリスに対し、僕はありえないとばかりに大きく手を振って。
「全ては僕の希望的観測。そんなにうまく事が運べばいいなあという願望だ」
僕は背もたれに身を任せながら。
「それにクラリスも知っているだろう? 僕がそんな後ろ暗い真似をするはずがないことを」
誰が見てなくとも、僕は胸を張れる道を選んできたつもりである。
民衆に最も不安を与える、領主がクーデターによってその地を追われる事柄など故意に起こさせはしない。
「安心して、クラリス。僕は君が考える程大物じゃないよ」
全ては民衆のために。
僕を育ててくれた恩師の言葉通りに生きているだけだから。
「さて、そろそろ現状報告に戻ろうか。街の心臓部を下の区画に持って来てから数か月……結果は出ているかい?」
「アクエリアス様のお望み通りかは分かりませんが、全体の底上げという観点から見ると成功を収めています」
「うん、それは良かった」
数々の施政の効果が発揮されたのか下に位置していた区画が減り、最も大事な中の区画が五個まで復活するなど笑いを抑えきれない成果を出している。
治安も大分回復し、夜は無理だけど昼間なら女性一人が歩いている光景が登場していた。
「が、ないがしろにされた上が不満を持ち、経済・財務という点から見れば下がっています」
「ふむう、それは仕方ないよねえ」
金を生み出すのは上区画に住む人々。
彼らが動かなければこの結果も当然だろう。
「そろそろ危機感を持たれては? 彼らは別の地域へ移住できるだけの力を持っておりますし、何よりアクエリアス様を引き摺り下ろそうとされるかもしれません」
「引き摺り下ろすねえ……僕は彼らの既得権益にまだ手を出していないのに何故不満を持つのか?」
「戯言を仰らないで下さい。彼らは危機察知能力が高いのです、そろそろ岩盤規制を打ち破ると察知したのでしょう」
「アハハ、そうなんだ」
クラリスの言葉に僕は声を上げて笑った。
「で、監察官としての意見を聞かせてもらおうか」
「相変わらず嫌なところで意見を求められますね。現状としましては情報が少なすぎます、密偵の数を増やし、より一層彼らの同行を監視するのが吉かと――そう、また私の仕事が増えるのです」
「うん、良く分かっているじゃないか」
「自分で言った手前、手を抜くような真似はしませんよ。予算と規模の概算については後日――」
「今日までに」
「……しばらく席を外します」
僕の言葉にクラリスは苦虫を噛み潰した表情で部屋を出て行く。
うん、彼女も大分感情を表に出すようになったね。
やっぱり人間はこうでなくちゃ。
泣きもして笑いもするのが人間。
僕は機械なんて求めていないんだよ。
「まあ、でも」
僕は横で佇むシャロウを横目で見て。
「何事にも例外はあるんだけどね」
人間に近づける程機械そのものになっていくシャロウに僕は苦笑するほかなかった。
「「「ガスターク! ガスターク! ガスターク!」」」
「クハハハハハ! 良い歓声だ!」
辺りから聞こえてくる俺への賞賛に笑みを抑えきれない。
王国軍を撃破した俺達は次なる戦――国を本格的に滅ぼす算段を付けた。
皆の士気は最高潮。
明日の出発が待ち遠しい。
「ついに俺の時代が来る! ケイミスが立っていた場所に到達するんだ!」
「ガスターク、前者はともかく後者はどのような意味合いで?」
「言葉の通りだアンナフィリア。ついに俺はケイミスと肩を並べるんだ」
「失礼ですが、すでに並んでいるのでは? いえ、すでに追い越しているのではないかと思います。何せあなたは国を取るほどの力を持っているのですから」
「クツクツクツ……違う、違うんだアンナフィリアケイミスの前に立ちはだかる敵はいるか? ケイミスを凌ぐ名声を持つ賢者はいるか? 断言しよう、そんな者はいない。唯一無二の絶対君主、これこそがケイミスの位置であり、俺が目指す到達点だ」
すでにララリア地方においてケイミスの名は至高の位置にいる。
ララリア地方の住民はケイミスに忠誠を誓っており、例えギランバールが出張って来ても覆すのは難しいだろう。
「クツクツクツクツ……覇道を突き進んでも王道を歩いても辿り着くべき場所は同じか」
俺は歓喜を抑えきれない。
よく世間一般の論理に、独裁者の対極にあるのは共和政だとのたまう。だが本当は違う、独裁者も名君も結局は同じだ。他に代わる存在はなく、その者が死ねば全てが瓦解する。
「ケイミスが独裁者と同列ですか……」
「ああ、そうだ。ケイミスには多数の有能な部下がいる。あいつからすれば誰一人欠けてはならないと嘯くだろうが、全員がいなくなってもまたすぐ補充できるだろう。だが、ケイミスがいなくなれば終わりだ。あいつの理想は潰える」
「それは……否定できませんが」
「俺もそう。例えお前やケビン、ガラクスがいなくなろうとも俺は止まらない。国を手に入れギランバールを下し、ケイミスと同じ位置に立つ。変わるのは時間だけだ、早いか遅いかの違いだ」
「……」
「クハハ、自分が部品だと宣告されて気を悪くしたか?」
「いえ、そのようなことはありません。もしそれで離れるようならとっくの昔に離れています」
「良い答えだ。ならなぜ黙った?」
俺の問いかけにアンナフィリアは透明な瞳を向けて。
「何故ガスタークはケイミスにそこまで拘るのです? 同じ宿舎で学んだとはいえ、その執着ぶりは尋常ではありません」
俺がケイミスに拘る理由か。
「そうだな、敢えて述べるならあいつは俺の始まりであり、到達地点だからだ」
「原初にして終着?」
「そう、もし俺がケイミスと出会わなければ偏屈な行商人として終わっただろう。俺自身が持つ豊富な才能を腐らせながらも世を嘆く馬鹿者にな」
学生時代の俺は確かに馬鹿者だった。
己が持っている才覚に目を向けず、他人が持っている地位や血統を羨んでいた。
よく「何故俺には人徳がない!」と文句を言っていたが、今思い返せば人徳が無くて当然だ。
口だけの奴に人が寄り付くはずがないからな。
「それを正してくれたのがケイミス=アクエリアス」
あいつは俺の持つ才能を見抜き、最大限発揮できるよう忠告してくれた。
「お前を定期試験で下した時もそう。あの時のお前は忘れられんな」
普段から冷静沈着なアンナフィリアがあそこまで取り乱したのは見ていて面白かった。
「たった一度の結果で何を。それから先は私の勝利でした」
アンナフィリアは口を尖らせてそう抗議する。
「クハハ、単なる一例だ。それもケイミスが焚き付けなければやろうと思わなかった。そうして俺はケイミスによって才能を開花させ、ついにはこの位置にいる」
ケイミスは俺に対して多大なる投資を行ってくれた。
誰もが見向きもしない、そこら辺にいる小賢しい少年の傍にずっといてくれた。
「さあ、王国を打ち立てよう、ギランバールを下そう。それこそがケイミスに対する恩返し」
投資には対価を払わなければなるまい。
この地方を統一するだけでは終わらん、世界を手中に収めて歴史に名を残してやろう。
後世の歴史家はこう評させてみせる。
ケイミスがいたからこそガスターク=ヴァズナブルが大成したのだと。
「素晴らしい、素晴らしい未来だ……アッハッハッハッハ!!」
教壇に立った先生が生徒に向かってそう教えている様を想像した俺は笑いを抑えきれなくなり、膝をついて両手を地面につけて高笑いを続けた。