5話 問題点
こういう場は苦手です。
私――カラン=クルセントはケイミス様の後ろに隠れながらパーティ会場を歩きます。
「なあ、新領主の後ろにいる方は」
「ああ、間違いない。カラサギ族の末裔だ」
「カラサギ族!? あの一族って絶滅したはずだろ?」
「しかし、あの白い翼と輝く金髪はカラサギ族の特徴だ」
ヒソヒソ――
うう、また私を見て変な噂をしていますか。
「無理はしないでいいよ、カラン」
縮こまった私にケイミス様は優しい微笑みを浮かべます。
「見せ物扱いは非常に不本意だろう。けど、こうした方がカランが早くカラサギ族の里に戻れると思ってね」
「ケイミス様……」
私はケイミス様の気遣いに涙が出そうになります。
何時でもそう、この御方だけは私の味方。
どんな時も、私の幸せを第一に考えて動いてくれている。
その心だけで私は満足です。
「大丈夫、もう少しの辛抱だから」
物心ついた時から私は奴隷としての扱いを受けていました。
何処から来たのか、何故ここにいるのかもわからない。ただ、雇い主の命令通り動く日々を送っていました。
そんな私に自由意思を与えたのがこのケイミス様。
時間をかけてゆっくりと、教育を施して頂きました。
私はケイミス様に忠誠心を抱いていません。何故ならそのような教育をケイミス様自身が嫌っていたから。
代わりに愛情を。
誰かを愛し、家族を愛し、そして自分を愛する方法を教えてもらいました。
しかし、ケイミス様を私は愛せません。
異種族で、貴族であるケイミス様を愛するということは、家族と自分への愛を諦めるということ。
そんなこと、ケイミス様は望んでいません。
だからこそ苦しいのです。
愛したい。けど、愛してはいけない。
その二律相反に私の心はバラバラになりそうです。
「ケイミス様~! 私の踊りを見てくれた?」
「とと、キャランか。ああ、見事な踊りだったよ」
奔放なキャランは恥も外聞もなくケイミス様に抱き付きます。
「おい、あの踊り子は」
「先ほどの見事な演舞を見せた娘か」
「そんな娘に慕われるとは……中々やりおるな」
そんな噂を立てられていてもキャランはお構いなし。
「うーん、キャラン。少し離れてくれると嬉しいんだけど」
「やーだ、私はしばらくこうしていたい」
何よりも、ケイミス様の言葉を無視しても我を貫く自分。
本当に羨ましい。
私にキャランの十分の一程の勇気があれば。
『僕を愛するよりも自分を愛せ』というケイミス様のお言葉から解き放たれるのに。
何故私にできないことをキャランはいともたやすく行うの?
そんなことは許せない。
いっそのこと、この世から亡き者に――。
「……ちょっとやばそうだから離れるね」
あれ?
キャランは突然ケイミス様を離し、私の反対側へと回りました。
何が彼女を驚かせたのでしょう?
「怖い怖い。無自覚な嫉妬は滅茶苦茶恐ろしいよ」
キャランが意味不明なことを呟いていました。
「だから離れろと言ったのに」
ケイミス様が溜息を吐いたとか吐かなかったとか。
「はあ……」
僕――ケイミスはカランの嫉妬ぶりを見て溜息を吐く。
「あれほど自分を愛せと言っているのになあ」
自己形成を行う幼少期に奴隷生活を送ってきたせいか、どうもカランは自分のことを蔑ろにする傾向がある。
自己を犠牲にしてまで他人に尽くすというのは一見美徳と思えるが僕からすれば危険極まりない。
自分を顧みず、誰かの意のままに動く。
それはつまり、どんな卑劣で非情な手段であろうが行使に躊躇わないということ。
非道な手段を取るたびに罪業は確実に蓄積されていく。
そして、その誰かに切り捨てられる、若しくは信じられなくなった時、今まで溜まっていた罪業が暴発して心がバラバラに引き裂かれてしまうだろう。
「カラン。君はもう少し肩の力を抜こうか」
僕の亡き後のカランの将来を心配した僕は彼女にそう忠告する。
少しでもカランが幸せになる様にと。
と、僕がそう願っていると。
「頭を撫でられるなんて羨ましい~!」
隣のキャランが金切り声をあげた。
「ねえ、私も撫でて撫でて」
そうキャランは自分の頭を差し出してくる。
「はあ……」
キャランの小さな頭に手を置いた僕はまたもため息が出る。
「カランとキャランを足して二で割れば丁度良いんだけどね」
キャランはカランの真逆――自己愛がマックスに近い。
全ての行動基準は自分が楽しいか否か。
快楽主義者と呼んでもさし支えない性格なんだよね。
自由奔放なキャランだけど、変に正直なせいか世渡り上手。
要領の良さといい、危機の察知といい、僕も舌を巻く。
自己愛が低すぎるのも問題だけど、高すぎるのも問題。
詰まる所、自分さえ良ければ何をやっても良いという思考に行きつき、自分一人の欲望を満たすために大多数の人間を犠牲にしても構わないという独裁者へと辿り着いてしまう。
「本当に、カランとキャランが二人一緒なら良いのに」
「ケイミス=アクエリアス様のご挨拶です」
今更かい?
僕は式次第に疑問を覚えざるを得ない。
通常なら主賓の挨拶というのは初めに持ってくるものだ。
なのに途中、しかも皆が食べるのに忙しい時間帯で行われる。
「クラリス、どうなっているんだい?」
「……式次第は全て向こうに一任しております」
なるほど、つまり洗礼ってか。
誰も僕達の支配など受け入れない、さっさと帰れという悪意かな。
先ほどの襲撃といい、ここまで嫌われているとなると笑ってしまうな。
「では行こうか。キャラン、カラン。君達はここで待っていてね」
これ以上彼女達を巻き込むと余計な災厄を被せてしまいかねない。
僕一人に向けた悪意なら僕が全て受け止めるというのが道理。
その道理に照らし合わせ、僕が引き受けてみせよう。
そんな決意を胸に僕は一段高い場所へと足を進めた。
「皆様、ご注目を。この方が新たな領主――ケイミス=ララリア=アクエリアス様です」
「どうも。監察官クラリスから紹介されたケイミス=ララリア=アクエリアスです。初対面の方には今後ともよろしく、そして既知の方にはどうか僕を支えて欲しい」
ざっと見る限り僕の記憶に残っている者は三分の一か。
これまでフォン地方の領主として、ララリア地方の者と触れ合う機会が多数あった。
ここに集っている面々は少なくとも何らかの地位を持っている実力者。
彼らがこの場所にいることに僕は嬉しくなった。
「僕がこの地方に派遣されたのはギランバール国王の命令によってです。国王の希望はただ一つ、このララリア地方に秩序と安定を齎すこと。つまりこの地方の文化や慣習を壊す目的ではありません」
そこはギランバール国王と固く約束しておいた。
僕がララリア地方の領主の役目を引き受けるのは秩序と安定の確保。その地方に住まう民族の習慣を壊すのが目的でない、と宣言している。
もしそれを破るようなら僕はその役目を解かれても構わない、抵抗するとも告げている。
「始めに僕の主義を述べましょう。それは平和主義であり文化主義、教育主義です。その根底は生命主義――生きとし生ける者全てを尊重しなければならないというのが僕の信念です」
共感よりも戸惑いの方が大きいかな。
聴衆の面々を見た僕は先ほどの言葉の意味を測りかねていると推測する。
ならもう少し言葉を付け足さないと誤解されてしまうね。
「ここで一言付け加えると、生命主義というのは誰かが生きる権利を不当に犯してはならない。詰まる所、誰かの犠牲の上に幸福を築いてはならない。僕一人のために君達を犠牲にすることは絶対にしないし、君達の幸せのために僕は犠牲にならない。僕があって君達があり君達があって僕がある。それが僕なりの生命主義だ」
続いて未来のビジョンを語ることにする。
「生命主義が出発点。ならば終着点は何か、それは先ほど述べた通り、生命主義=ララリア地方とまで評されること。生命主義とは何か? それはララリア地方が具現化している、と言われることだ」
「なんだそれは!? 結局以前の支配者と変わらないじゃないか! 俺達に中央の価値観を押し付けるつもりだろう!」
「それはない。何故なら押し付けるのは外部からの圧力に属するからだ。生命主義の上に立つ文化主義は受動態、内からの啓発を主となるため君の批評は的外れと言える」
「結局のところ、一つの思想で統一する気だろう! その主義以外は認めないなど偏狭な思想だ!」
「それもない。一つの思想に凝り固まるのは無知だからな。生命主義の上に立つ教育主義。教育とは誤解と迷信に毒された愚者の眼を開き、己の頭で考え、判断し、足を踏み出させるのが教育の本質だ」
「で、それを実行するのに何を使う気? やはり軍隊と脅迫を使って成し遂げるつもりよね?」
「残念ながらそれもない。報復を恐れることによる平和は真の平和ではないからだ。生命主義の上に立つ平和主義は絶対平和主義、不信と臆病ではなく、信頼と勇気によって作られる平和を絶対平和主義と呼ぶ。付け足しておくが、僕は軍隊の存在を否定しない、テロリストや他国の侵略から自衛するには軍隊が必要不可欠だからだ」
「やはり軍隊を使って俺達を弾圧するつもりだろう!」
「まず護るべきは民衆。正確には戦いを厭い、不安に怯える民衆を護ること。如何なる理由があっても僕はテロリストを認めない。言いたいことがあるなら公然と言えば良い。例え僕の思想と相反する意見だとしても僕はそれを口にする権利をこの命にかけて守ろう。が、その意見による責任は負ってもらうけどね」
「ふざけるな! だったら――!」
「その言い分はおかしい――」
僕は反抗的な言葉を口にするララリア地方の実力者たちに対して誠実に説明していく。
完全に理解してくれる者もいるけど、大半は感情的になって歯ぎしりしている。
感情的になるということは、余程このララリア地方を愛しているのだろう。
同時に征服したギランバール国王に対する怒りと派遣された領主に対する不信感。
僕は前者を呼び起こさせるため言葉を尽くして納得してもらうよう努力した。
「申し訳ありませんが、もうしばらくでお開きとなります。時間が来ましたら料理が片付けられます」
気が付けば半分以上の時間話していた。
「げ! 俺まだ全然食ってねえ!」
「気になるが食いものは食いてえ」
皆も僕に興味を持っていたのか、食事の手を止めて集まって来ていたみたいだ。
「ケイミス=アクエリアス様への質問はまた後日取りますので、今は食事をお楽しみください」
その言葉が止めとなったのか、波が引くように僕の前から聴衆が消えていく。
そして残された僕に近づくのはクラリス。
「噂には聞いておりましたが……」
クラリスは眼鏡の縁を少し上げて。
「黒幕は貴方の存在を出来るだけ目立たなくさせたかったようですが裏目に終わりました。皆は食事の手を止め、友人との談笑を後回しにしてもアクエリアス様の演説に耳を傾けていました」
確かに会場にいたほぼ全ての人が僕に注目していた気がする。
「うん、そうだったのか。あまり覚えていないや」
「無意識にそう振る舞えるからこそアクエリアス様は名君と讃えられているのでしょう。これからのララリア地方の行く末が楽しみです」
「うん、そうだね。僕も君が見守ってくれるのなら心強いよ」
「……天然の女たらしですね。さぞかし数多くの女性を泣かせてきたのでしょう」
憎まれ口を叩くものの、クラリスはどうやら僕のことを認めてくれたらしい。
「これからもよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
僕はクラリスと初めて握手をした気になった。
後日、会議室にて。
「で、どうする気ですか?」
クラリスがそう問う。
「アクエリアス様が唱える生命主義を達成するにはどのような政策を立案するおつもりで?」
「うん、そのことなんだけどね」
僕は軽く頷きながら。
「街に出て考えようかと思うんだ」
僕はこのララリア地方はおろかこのラギンスタール街すら把握していない。
まずは自分の立ち位置の確認のため街に繰り出すことにする。
「襲われるかもしれませんよ」
「うん、大丈夫。心強い護衛がいる……ファラン、シャロウ。頼むよ」
「はい」
「承知しました」
当然のように付いてくる二人。
クラリスが目を丸くしているけど、この二人の強引さに僕はもう慣れてしまった。
やれやれ、止め役のファランの兄がいないときついよね。
僕は羊皮紙を広げながら街を見て回る。
これはこの街の問題点を洗い出して記している。
何事にも前情報がないと偏見に陥りやすくなるからね。
「用意が良い、何時の間にそんなものを?」
「クラリス。これは僕についてきた者達が作成してくれたんだ」
中には商人や盗賊崩れの者もいるからね。
彼らにかかれば朝飯前なんだろう。
「今更ながらアクエリアス様の人徳の高さを再確認しました」
ラギンスタール街は大まかに上中下と分けることが出来る。
上は治安も行き届き、民度も高い。
教育水準はフォン地方と比べても恥ずかしくないほどある。
住宅街、工場、市場を上辺だけ見て回る程度だと問題は発見できないだろう。
「人の比率が高いね」
羊皮紙を片手に僕は上に区分けされた場所をそう評価する。
「このララリア地方は少数民族が多いのだろう? だったらもう少し色彩があってもいいんだけど」
ララリア地方は併呑されるまで少数民族の聖地。
こんなにも人が多いのはおかしい。
「この近辺は移民の中でも上の方に位置する者が住んでいますので」
役人や軍人、貴族御用達の商人が幅を利かせているのか。
「断っておきますがアクエリアス様。彼らにケンカを売ろうなんて思わないで下さいね。彼らが本気になれば貴方の首は簡単に飛びますよ?」
クラリスが真剣な表情でそう忠告してくるからには本当なのだろう。
「安心して、僕は彼らの既得権益を奪おうなんて思っていないから」
「左様ですか?」
「うん。先人が苦労して得た権益を無碍に奪うのは酷過ぎるからね」
「しかし、それだと何時までも変わらないのですが」
「既得権益を壊さない代わりに、彼らの度量を大きくしてもらおうか」
「は?」
「問題なのは彼らが新しい者を受け入れない保守的な態度が問題なんだ。だったら風通しを良くしてやろうじゃないか」
上市民の問題点は狭量すぎること。
排他性が高すぎて異物を認めることが出来ない。
甘い汁の、おこぼれすら自分の気が合う者には渡したくないだろうね。
「うん、決まり。上市民には寛容の精神を徹底させる。それを増長するのを目的に政策を立てていこうか」
「あの、それは既得権益を壊すのと変わらないのでは?」
「少し違う。僕は壁を壊そうとしているんだ。ぬるま湯に慣れ切り、今の状態を維持することだけが目的と化した上市民の心の壁を取り払う」
既得権益をいくら壊したところで新しい既得権益が出来てしまうだけ。
僕はイタチごっこを続ける趣味はないので仕舞いにさせてもらおうか。
「あの、話が見えないのですが」
どうやらクラリスは頭が固すぎるようだ。
「三千世界――一念が変われば全てが変わる。逆を言えば一念が変わらなければ状況は何も変わらない。僕は意識変革を行おうとしているんだよ」
短期的には法改革、中期的には人事改革そして長期的には教育改革。
これまでの慣習を壊すのは大変な努力と忍耐が要求されるだろうけど、やらなければ何も始まらない。
「まあ、仰りたいことの予想はつきますが」
理解はしたものの納得していない様子。
漠然で抽象的だから仕方ないともいえる。
「よし、この場は終わり。次の中に行こう」
時間は限られている。
僕は早足で次の現場へと向かった。
中の場所を一言で表すなら『盛況』に尽きる。
特に市場の活気は高く、その場にいるだけなのに僕は元気になってくる。
「うん、良いね。中は」
僕は大きく頷く。
「少数民族と人の比率も良い、皆の顔はそれなりに良い……これが理想だと僕は言いたいけれど」
問題点はあるんだよね。
「中に分類されるのはこの区画だけです」
「小さすぎないかい?」
上の区画でも二つはあったよ。
中よりも上の区画が大きいのは些か問題があるね。
「理想を言うと中の区画は六つ欲しい」
「しかし、現実は一つです」
「うーん……」
僕は頭を捻る。
中の問題点。
それは量が少なすぎること。
幾ら質が高くとも量が無ければ意味がない。
「中を増やすには下を引っ張り上げるしかないよね」
中に位置する住民の意識は無理に変えなくて良い。
「やはり問題は上と下になるか」
最下層に位置する下。
全十区画のうち最大の七区画を占める場所。
「ファラン、シャロウ。警戒を強めてね」
治安は悪いどころか崩壊している。
スラムと化した下を何とかしない限り僕の理想は叶えられないだろう。
「怖いけど、逃げてちゃ何も始まらない……行きますか」
僕は軽く上を向いた後、問題の下に足を踏み出した。