4話 監察官
「結局十人来ましたか……」
私――クラリス=メドウィンはケイミスを慕って尋ねた人物の総数を眺めて肩を落とします。
私は監察官です。
ケイミスが己の仕事を放棄し、逃げ出さないように監視をするのが私の役目。
対象者があらゆるアプローチや甘言を駆使して来ようと、鉄の意志で拒絶するよう訓練を受けています。
私はその監察官の中で感情をコントロールすることが得意な方ですが、それを差し引いてもこの事態には呆れました。
旅一座の踊り子、豪商の娘、貴族の次男坊、放浪学者、異国の剣士、王宮シェフ、農民の三男坊等等。
彼ら彼女らの共通点はケイミスを慕っていること。
その一点以外、貴賤貧富人種問わずバラバラでした。
このあらゆる人々から好かれるケイミス。
本当に一筋縄ではいきません。
顔合わせの際もそうでした。
あの純粋な表情に底なしの瞳。
私も人を観察する能力を持っていますが、ケイミスは私の数段上をいっている。
利害や打算を越え、私という存在を値踏みしているようでした。
「メドウィン様、そろそろ目的地へ着きます」
物憂げに浸っていた私を現実に戻したのは兵士からの報告。
もう着くのですか。
あまり時間が経っていないように思えますが。
「あの……僭越ですがメドウィン様は調子が悪いのでしょうか? かれこれ一時間近くずっと悩んでいたようですが」
……一時間?
そんなにも考え事をしていたのでしょうか?
時間の勿体なさに頭を押さえました。
馬車は野盗や魔物に襲われることもなく、無事目的地へ着きました。
密林地帯として有名なララリア地帯、その中でも比較的過ごしやすい一帯に我等は拠点を構えています。
暑いことは確かですが、周囲を流れている川が和らげますので熱風に体をやられる心配はありません。
「コホン」
ケイミスがいるであろう馬車のドアの前、私は咳払いをして気分を落ち着けます。
この御方は苦手です。
油断していればあっという間に引き込まれる。
監視としての任務を果たすため、情を持つことは許されないのです。
「アクエリアス殿、到着しました」
「うん、そうか。少し準備をするから待って欲しい」
落ち着きのある深みのある声。
その声を聴くと少しだけ心が軽くなります。
「長旅ご苦労様、疲れただろう?」
そして現れるはケイミス=アクエリアス。
長い間馬車に揺られていたはずなのに疲れを見せず、逆にこちらを気遣ってきます。
「僕はよく視察に出かけることが多かったからね。この程度は何ともない。それよりも君が心配だ。環境が変わってしんどい中、僕という監視に神経をすり減らして大丈夫かな?」
「お気づかいありがとうございます。しかし、それが私の役目。完璧にこなして見せます」
「うん、そうか。もし辛くなったら遠慮なく言ってほしい。僕もそれなりに配慮するから」
「……」
私は今まで何度も監視してきましたが、こうまで私を気遣う対象者は初めてです。
しかも形式的だったり利害があったりするわけでもない純粋な好意。
なまじ悪意がない分性質が悪いです。
「やーっと、会えたよー!」
ケイミスが大地に立って数秒後、そんな黄色い声が湧き上がります。
「酷い酷いよみんな。私はただケイミス様の傍にいたいだけなのに」
扇情的な踊り子の衣装の上に何かを羽織っただけの状態。
同性の私ですら色香に惑わされるぐらいですから、兵士はどうでしょう。
蠱惑的な瞳に濡れた瞳、輝く長い銀髪にやられたのではないでしょうか。
「何をしているのですか。キャラン=クレセント」
キャランは踊り子、それも有名な一座の看板娘。
安全かつ安定した生活を捨て、ケイミスに付いてきた一人です。
どうしてキャランが何もなくなったケイミスを慕うのか尋ねたところ。
「ケイミス様だけが私を私として見てくれるの。私がどうなっても、体が動かなくなりこの美貌が失われたとしても、ケイミス様は変わらず私を美しいと讃えてくれるからよ」
そんな返事が返ってきました。
まあ、芸人たるもの固定客を掴んでおくことに異論はないでしょう。
「ハハハ、相変わらずキャランは元気だな」
キャランの魅了をケイミスは涼しく受け流します。
「恐れなくて良い、僕はここにいる。だからキャランはいつも通り振る舞っていれば良いんだ」
「ケイミス様……」
ケイミスの無自覚な女殺しの言葉にキャランの目が潤みます。
絶世の美女と亡領主が見つめ合うその姿は見応えがありますが。
「――元はといえば貴女達が騒ぐから別々に隔離したのでしょうが」
言うべきことは言っておかなければ。
ケイミスの人気は高く、些細な事でもすぐにけんかを始める。
最初は放っておいたのですが、こう何度もやられると私の胃に穴が空きそうでしたので、強制排除に乗り出しました。
「さてさて、ケイミス様。こっちこっち」
「うん?」
「って、何処に連れて行こうとしているのですか!?」
気が付けばキャランはケイミスの腕を引っ張ってあらぬ方向へ引っ張っています。
「だってさあ。もうそろそろ他の連中がケイミス様を奪いにやってくるだろうし。ケイミス様の安全のために、ね?」
可愛くウインクしても私には通用しません、よ?
「むう、首を避けて躱すなんて面白くない。さあさあ、行きましょうか」
「だから勝手に行動するなと。ええい、もう」
キャランが止まらないと知った私は地団太を踏んだ後、キャランを追いかけます。
こうなればしばらくキャランと付き合った後、新しい住居へとお連れしましょ――
「???」
何かがおかしい。
私の思考が決定的な間違いを犯している気がします。
「ふっふーん。貴方もケイミス様に毒されてきたわね」
「何を世迷いごとを」
「大丈夫だって、私も最初はそんなんだったし。抵抗せずに受けいれればすっごい楽だよ?」
キャランのその晴れやかな笑みに私は瞬間的にイラッと来ました。
「結局三時間近く別行動となりましたね」
私は懐中時計で時間を確認し、溜息を吐きます。
予定より早く着いていたのにこれでトントン。
私の自由時間が減って悲しくなりました。
「うーん、この街って賑やかね」
諸悪の根源、キャランが能天気にケイミスへと話しかけます。
「大部分の人が明日の生活に不安を抱いていないみたい。これなら私も大分稼げるかな?」
「それは良い。なるべく多くの人に生きる希望を与えて欲しい。動物が生きるにはパンのみで十分だけど、人が生きるのは希望が必要だ」
「ンフフフフフ。私にとって生きる希望はケイミス様なんだけどね」
……希望ですか。
「まやかしと言い換えた方が正しいかと存じます」
希望があるのは今日を稼ぐため。
正確には私達に年貢を納めるために庶民は生きているのであり希望があるのです。
「死んでしまっては色々と不都合なので」
「言うねえ監視官。ここは黙っておくのが正しい姿勢でしょ?」
「……」
キャランの言葉は最もですが、私は撤回しません。
ここはどうしても退くわけにいかない。
そんな矜持が私の中にありました。
それから先は大変でした。
私は三時間近い間何をしていたのか始末書を纏めなければなりませんでしたし、あのキャランは他のケイミスの付き人から吊し上げられました。
「うう、始末書を書くなんて何時以来でしょうか?」
久しぶりに不祥事をしでかしてしまいました。
「悪かったねクラリス」
私を気遣ってかケイミスが私に紅茶を勧めます。
「シャロウが淹れた紅茶だ。味は保障するよ」
シャロウ?
それは自称、ケイミスの用心棒の方でしょうか。
「うん、その通り。彼女って万能なんだよ。武道の心得があるし、十数人程度なら纏め上げられる器量を持っている。その他にも料理炊事洗濯といった家庭技術もベテランメイドと引けを取らないんだ」
「何ですか? その完璧超人は?」
「彼女も色々あるんだよ。気になるようだけど、信義に反するので僕からは何も言えない。どうしても知りたければシャロウ自身に聞くように」
「監視官からの命令でもですか?」
「……」
なるほど、己の立場が悪くなってもシャロウを護りますか。
興味がないといえば嘘になりますが、藪蛇をつついてまで詮索する情報でもないでしょう。
「さて、本日の夜にパーティを開く予定です。そこでアクエリアス様のお披露目を行いますので、その間は自由に行動してください」
「うん、分かった。けど、君は僕から離れないんだよね?」
「私は貴方の監視役です。自由時間だからこそ離れるのは褒められません」
「そっか。結構窮屈だなあ」
「ただ、監視といいましても極力アクエリアス様の言動を制限しないよう仰せつかっております。なので普段通り振る舞って頂けると嬉しいです」
その方が報告書の作成が楽になりますからね。
「君の期待に応えられるかどうか分からないけど、努めて自然体で振る舞うよう努力するよ」
「ありがとうございます」
ケイミスの言葉に私は儀礼的な礼を行いました。
「ケイミス様! ただいま参上しました!」
跪いてそう仰るのはシャロウ――ではなくラファン。
驚くことに、ご自分の脚力だけでこの馬車に追いついた猛者です。
「あんたなんて必要ないのよね」
ケイミス、ではなくシャロウ。
彼女は当然の如くケイミスの横に立っていました。
何時立っていたのか、それは私が一通りの説明を終えた後から。
今までどこにいたのか分からない、独特な存在感を放っています。
「君が来てくれて良かった」
一触即発になると思いきや、ケイミスは両手を広げてラファンの訪問を歓迎します。
「何せシャロウだけだと心細かったからね」
「うん?」
ケイミスは何を言っているのでしょうか?
「シャロウ、ラファン。気付いている?」
「はい」
「薄々と」
「あの、話が見えないのですが」
何を前提に話しているのか、私には皆目見当が付きません。
「刺客が来ている」
「ラファン、私はケイミス様とこの女の傍から離れないわ」
「了解、私はその分動くわ」
「手加減はしなさいよ」
「ごめん、無理」
そう言葉を交わした瞬間、ドアと窓が大きく開き、いくつもの人影が侵入してきた。
「っ、これですか」
私は驚きながらも今の状況を冷静に整理します。
ケイミスはこの地帯を治めに遣わされた新たな支配者。
現地人にとっては好ましい存在でありません。
なので事が起こるのはパーティでと予想していたのですが、見事に裏をかかれた格好です。
「大丈夫かな?」
「ご心配なくアクエリアス殿。ご自分の身はご自分で守れますので」
取り出すのは投擲用のナイフ。
それを逆手に持った私は襲い掛かってくる刺客に対して放り投げます。
「がっ!」
私の放ったナイフは狙い過たず刺客の足元に命中し、その場で蹲りました。
「断っておきますが、私はアクエリアス殿の身まで護りませんよ。そこはご自分の器量で何とかしてください」
ナイフを持つのはあくまで自衛のため。
監視の対象者であるケイミスまで護るほど私に余裕はありません。
とは、言っても。
「必要ないかもしれませんが」
私はケイミスを護っているシャロウの働きぶりからそう零します。
「これで三体目と」
シャロウは強すぎます。
武道の達人という評価は正しく、ものの一、二合で刺客は叩き伏せられています。
刺客もそれなりに武の心得があるようですが、まるでアマチュアとプロほどの差があります。
……完璧超人という例えは案外正しいのかもしれません。
そして、守りがシャロウなら攻撃はファランです。
「遅い、遅いよ」
持ち前の脚力をフルに発揮し、刺客との距離を潰す。
そして防御ごと破壊するその蹴りによって彼らは瞬時に無力化されました。
あれは骨どころか内臓までイっていますね。
「みんなは大丈夫かなあ?」
もう危機は去ったと見たのか、ケイミスはここにいない付き人達の身の安否を心配し始めました。
何を能天気な。
最強の矛と盾を持っているとはいっても、危機はまだ続いているのですよ。
そう、二つほど間違えれば。
何かの拍子でファランの攻撃を掻い潜り、偶然シャロウの守りを突破されたのなら。
「死ね!」
そう、残るは無防備なキング――すなわちケイミスただ一人。
この期に及んでもケイミスはそのふやけた表情を崩さない。
貴方にはもうファランもシャロウもいないのですよ?
他に誰が貴方を護るというので――
「ぐあ!?」
え?
刺客ののどに刺さったナイフ。
そして私は投擲後の姿勢を保っている。
その二つの事実から、恐らく私がナイフを投げて刺客を排除したことになるのでしょう。
一体なぜ?
「ありがとう、クラリス。おかげで助かった」
「……いえ、忘れて下さい」
なぜ私はとっさにケイミスを庇った?
自分の行動が分かりません。
そう、そうです。
もしケイミスが殺されると私の責任問題になるからです、それしかありません。
と、私はそう思い込むことにしました。
ちなみにケイミスの脇では。
「このアホシャロウ! 何抜かれてんのよ!?」
「それはこちらのセリフよ! 取りこぼし何て普通ありえないでしょう!?」
「ぐ……でも普段から『私はケイミス様の盾だ』と豪語してたでしょう! はん、穴だらけの盾ね」
「うう……あんたこそどうでもいい敵ばかり倒して本当に危険な敵は素通り……役に立たない矛ね」
「はあ!?」
「何がですか!?」
シャロウとファランが互いを貶めていました。
私からすれば五十歩百歩だと思うのですが。