3話 徳道と血道
「もし、尋ねてよろしいか?」
カザノハ王国王都。
その城門前にて守備兵に尋ねる一人の旅人の姿があった。
「うん? どうされたか、旅の者」
厳めしい顔つきの兵士はこういった問いかけも慣れているのか気取った様子は見られない。
「ここ数日。この城にケイミス=アクエリアスと名乗る者が参上されなかったか?」
「ケイミス……それは革命軍に領地を追われた貴族の者か?」
「さよう、貴殿が想像する通りの御方である」
「ふむう、旅の者。少々運が悪かったな。つい先日、ケイミスはララリア地帯を治める領主として任命を受け、赴任しに行ったところだ」
「……」
守備兵の言葉に旅人は落胆の面持ちを見せた後。
「では、どちら方角に向かわれたか」
「この東へ通じる道をまっすぐ進んだ先である」
「さようか。有難く申す。私の名はファラン=ブラウン。縁があればまたお会いしよう」
「まて、旅の者。もう日が暮れる。ここは王都で一泊し、日が明けてから後を追うことをお勧めする」
「お気づかい感謝する。しかし、それは私にとって無用。では、さらば」
「!?」
旅人はそう言うや否や、掻き消えたかと思う速度で守備兵が指し示した道を行く。
障害物が何もない平原地帯。
なのに数秒後には、旅人の姿は点となっていた。
「褐色の肌にあの脚力……まさかギリエ族か!?」
そんな守備兵の叫びが虚空へと消えていった。
「は……は……は……」
焦燥感と高揚感に苛みながらも私――ファランはあの兵士が示した道を駆ける。
「ようやく会える、ケイミス様」
出来ることなら最初からお供したかった。
この戦争好きの国に単身行くなど正気ではない。
なのにあの馬鹿兄が私を無理矢理引き留めた。
『向こうに余計な警戒心を持たさない方がよい』
それだけでなく。
『お前だけはありえん。戦争をふっかけに行くつもりか?』
それが実の妹にかける言葉ですか?
ただ、私はもしケイミス様が屈辱的な扱いを受けるようならその報いを受けなければならない。
『……お前、もういいから寝てろ。全ての事が済んだら釈放してやる』
と、あまつさえ私を気絶させて独房へ監禁した。
そして時が経ち、牢から出た私は兄にお礼をしようと探しましたが生憎と不在、待っている時間が惜しいので必要な準備を整えて向かった。
「……あれだ」
途中で日が完全に暮れ、仕方ないので偶然近くにあった民家にて一泊した後、道中にて出会った旅人や盗賊の輩から聞いた、ケイミス様が乗った馬車一行は恐らくあれ。
隊列の長さといい、装飾といい、ほぼ間違いない。
うん、嬉しい。
私は逸る気持ちをそのままに馬車へと駆け寄った。
「もし、聞いてよろしいか!」
私は隊列に付き添っていた兵士の一人に声を張り上げる。
「この一行はララリア地帯へ向かうケイミス=アクエリアスを乗せた馬車か!?」
「其方は何者だ!」
兵士は私の質問に答える代わりに槍を突き出す。
「私は怪しい者でない! ケイミス=フォン=アクエリアスの下で仕えていたファラン=ブラウン! その名をアクエリアス様にお伝え願いたい」
私の名をケイミス様の耳に届けば後は大丈夫。
ああ、ようやくケイミス様に会える。
この僻地に単身で赴任して心細かったでしょう。
しかし、もう安心してください。
不肖、ファランがケイミス様とお守り致します。
「……またアクエリアス殿関係か」
え?
ケイミス様の名を聞いた兵士は何故か呆れ顔を作ります。
「……うん、分かった。アクエリアス殿は前から四つ目の、真ん中の馬車だ。そこにいるから挨拶してこい」
「よろしいか?」
もし私がケイミス様の命を狙う暗殺者だったらどうするのか?
「お前がどんな疑問が浮かんだのか手に取るように分かるぜ。まあ、言うより見た方が早いだろ、行って来い」
言われるままに私は一際豪華な馬車の前へと移動。
そこにいる、周りと比べてやけに細い体の兵士。
はて、この赤毛はどこかで見たような気が――。
「ファラン、貴女も来たのね」
「え!?」
その透き通った声は間違いなく同性。
しかも男のように長身で赤毛を持つ女といえば。
「シャロウ=ベニング! 何故ここに!?」
まさかここで顔見知りと出会うとは。
「このやり取りはこれで何回目かしら……そう、貴方を含めて八回目ね」
シャロウは私を一瞥した後天を仰ぎ、何とも言えない顔をした。
所変わってケイミスの城内。
領主ケイミスが仕事場として使用していた執務室は現在ガスタークの執務室となっている。
しかし、ガスタークはケイミスに対して後ろめたいのか、それとも変える必要がないためか、執務室の模様替えはほとんど行っておらず、ケイミスお気に入りのペンも文鎮もそのまま使用していた。
そして今、執務室にはガスタークとアンナフィリア、そして俺がいた。
「……」
「どうしたガラクス? 何か言いたそうだぞ?」
鋭いな、さすがガスターク。
「はい、少しばかり考え事を。しかし、些細な事です。ヴァズナブル殿の仕事の邪魔はしません」
「何を言ってるんだガラクス。今、俺は休憩中だ、だからお前を呼んだ。嘘は許さん、そしてその畏まった態度も許さん。普段通り、ケイミスに接していた時の対応をしろ」
「……よろしいのですか?」
俺がケイミス様に対する態度は馴れ馴れしすぎるぞ?
「構わん、やれ」
そうですかい、なら遠慮なく。
「あいつ、そろそろケイミス殿と会えたかなあ?」
「可愛い妹の身が心配か?」
「違う違うガスターク。俺はあいつの身などこれっぽっちも心配してねえ」
天地がひっくり返っても妹が野垂れ死になどありえん。
「そうなのか? 妹の身を案じてケイミスが行ってからずいぶん後に釈放したんだろ?」
「いんや、ああでもしねえと他の奴らがケイミス様の下に集えない。あいつって戦闘は強いんだが嫉妬深さがある。『自分がいるから大丈夫』と他の奴らを追い返したらケイミス様に危機が及ぶからな」
中途半端に優秀な輩が一番始末に困るんだよ。
「何にせよ、本当に困ったもんだ」
「分かる、分かるぞガラクス」
「うん?」
ガスタークは激しく共感と言わんばかりに頷きながら。
「どこぞの妻も結構嫉妬深くてな。俺としてはお前のような仲間がもっと欲しいのだがそれを許してくれん」
「ガスターク、無能な味方を増やしてどうするのです?」
どこぞの妻であるアンナフィリアの鋭い一声。
「アンナフィリア、最初は誰だって無能だぞ。経験を得て有能になっていくんだ」
「そういうのはもっと体制が整ってからにしてください。ぼんくら相手に金と時間をかけられるほど私達に余裕はありません」
「そう言うにしては、即戦力の輩を俺の傍に置くのは嫌がるではないか」
「貴方の傍に置く者は私が認めた相手のみです」
「……と、まあガラクス。女の嫉妬とは怖いなあ」
「ハハハ」
俺はとばっちりなど受けんとばかりに乾いた笑いを上げた後。
「そういえば先日の未来地区での件、あれは良かったぜ」
俺は本題に入ることにした。
「あの法を犯した革命軍の一員を処刑した件、あれでヴァズナブルに対する評価がぐっと高まった」
まだ完全に心を開いたわけじゃねえが、少なくとも他の革命軍よりガスタークが信頼されている。
ガスタークが言うのなら少しばかり信じよう、というのが未来地区に住まう住民の心境だろうな。
ちなみにケイミスだと。
ケイミスが言うのなら今は苦しくとも必ず自分達のためになる、だから耐えよう。
と、全幅の信頼を置かれているけどな。
「うん、そうか。それは良かった」
ガスタークは我が意を得たりと頷く。
「が、これで終わりじゃない。これから先も規律を徹底していくことが彼らの信頼を得られる確実な手段だろうな」
うん、まあその通りだ。
人徳という面では遥かにケイミスの方が勝っているが、ガスタークの優れた点はその非情さ。
信賞必罰を私心なく行うことがガスタークにとって最も望ましい。
と、そんな風に内心俺が評価していると。
「ガスターク様、彼が来ました」
いつの間にかガスタークの隣に痩身の男が立っていた。
「分かったケビン。お前は任務に戻れ」
「は、承りました」
ガスタークの言葉にケビンは深々と一礼した後、突然現れた時と同じくサーッと音も気配も消えて行った。
「あれが密偵者――ケビン=コスフィンか」
ガスターク股肱の臣。
アンナフィリアと共に古参の幹部であり、諜報や扇動等裏で動く仕事をこなせる得難い人物。
噂によるとケビンもケイミスの紹介でガスタークの臣下に加わったらしい。
「中々早いご帰還だな。さて、そろそろお客さんが来る。少し込み入った話になるから退出してくれるとありがたい」
「まあ、俺はその報告に来ただけだから面倒事は御免だ。もう退散するぜ」
あいつが来たからにはこれから先、きな臭い空気が充満するだろう。
俺はそういうのは嫌いだから早足にこの部屋を後にした。
「ケイミスの元部下と話をするのは楽しいなあ!」
私の夫――ガスタークはガラクスが去って数秒後、満足劇に両手を伸ばす。
「お前もそう思わないかい? アンナフィリア。俺達も若い頃はこうして革命話に夜を徹して話し合っていたよな?」
その表情はまるで腕白な子供の様。
こういった無邪気な一面を見せてくれると私も嬉しくなります、が――。
「ガスターク。そろそろ仕事の時間です」
「――分かった」
仕事という言葉にガスタークの表情から笑みが消え、冷徹な仮面で覆います。
「しかし、ガラクスは何も気づいていないのか?」
何についてか。
それは、未来地区での出来事は仕組まれた件だということです。
ガスタークが偶然最初に視察に出た際、偶然その地区のトップが傍に下り、偶然近くで騒動があった。
偶然が三度も続くと誰かが何かを仕組んだと推察するべきでしょう。
「意外と上手くいくものだな。さすがアンナフィリア、素晴らしい献策だ」
「ご冗談を。この程度は策にも入りません」
私がやったのは簡単なこと。
問題を起こしそうなある革命軍の一員が街に出かける時を狙ってガスタークを視察に行かせる。
その革命軍の一員が問題を起こしやすいように普段から鬱憤を蓄積させておく。
私が仕組んだのはその二点。
しかし、その効果は絶大なものでした。
これであの地区の統治が格段に楽になったでしょう。
それだけ聞けば大成功。
しかし、物事には二面性がある様に、この策も二面性があるのです。
今回さらし首となり見せしめとなった革命軍の一員。
「ガスターク! 説明しろ!」
ドアが吹き飛ぶかのような勢いで開け放たれると同時に響き渡る怒声。
「俺の不在中に何があった!?」
「そう怒鳴るな、バグズ同士」
ガスタークは酷薄な笑みを浮かべて落ち着くよう促しますが、当然バグズは従いません。
「ガスターク! 何故俺の部下があんなむごい姿と成り果てている!?」
そう、処刑された彼はバグズの部下だったのです。
「むごい姿ねえ……」
ガスタークは背もたれに体を預けて余裕感を演出します。
「俺にとっては自業自得だと、罪と罰が釣り合った美しい姿だと思っているのだが」
「ふざけるな! 貴様は! 貴様は同士を何だと思っている!?」
「何を言っているバグズ同士。あいつは守るべき掟を破り、民衆に迷惑を掛け、そして俺達の評価を地に落とそうとした。そんな奴を同士とは呼ばん」
「……確かにあいつは少々血の気が多すぎた。しかし、それはお前も知っていただろう? ならばそれなりの対処をすべきだったはずだ!」
「気心の知っている我等だけの場ならそしよう。しかし、あの場は衆人監修。そんな中で配慮などしてみろ、革命軍は身内に甘い貴族と同等の存在だと認識されるぞ?」
「ぐ……そうだとしても! 俺達革命軍があいつを護らないで誰が護るんだ! あいつの生い立ちを知れば誰だって同情する!」
「そこは見解の相違だな。俺は誰であろうと、どんな環境で育ってきた奴だろうと手加減は加えん。あいつは罪を犯した、俺にとってはそれだけで十分だ」
「……どうやらお前とは永遠に相いれない存在だろうな」
「そう考えているのはバグズ同士だけだ。俺はお前と理解し合えると思っている。そう、バグズ同士があいつに向けた愛情を民衆に振り分けるのであれば次の瞬間でも酒でも飲みかわそうか」
「この期に及んでまだ侮辱するか。よろしい! ならば裁判だ! 本部から審問官を派遣してもらい、白黒をはっきりさせる!」
「バグズ同士、今は裁判なんぞ悠長なことをやっている暇はないだろう。俺達は一つの貴族の城を取った。遅かれ早かれ討伐隊が編成され、奪還に向けて動き始めているこの時期に仲間割れという醜態を晒す真似は止めて欲しい」
「ぐ……お……お……」
ガスタークに言いたい放題言われ、むきになって言い返そうとするが言葉が出てこないバグズ。
怒りで顔を真っ赤にしに何度か口をパクパクさせた後、足音も荒くこの場を立ち去って行きました。
そして残されたガスタークは。
「俺はバグズに同士という敬称を付けていたのにあいつは付けなかった……ほう、それほどあいつにとって死んだ輩は重要だったか」
先ほどのバグズの態度を分析して悦に入っていました。
「さて、聞こうかアンナフィリア。あのままバグズを放っておいたらどうなる?」
「別に。彼は貴方に不満はあるでしょうが、それは潜在的な領域。勝っている内は反抗しないでしょう」
「ほう。ではこの先に起こる戦争の際、あいつは裏切らないと?」
「少なくとも勝ちの見込みがなくなるまでは」
今のバグズの胸には大きな穴が開いており、それを埋める唯一の方法はガスタークの苦しみと絶望しかないと考えているようです。
しかし、それで全てを投げ出すほど愚か者ではないのです。
「いかん、いかんぞアンナフィリア。あいつは戦争が始まる前に確実に裏切ってもらわなければ……どうすれば良い?」
「決まっているでしょう。バグズに部下の監督責任を怠ったという名目で全ての権限を取り上げ、冷遇すれば良いのです。そうすれば彼が革命軍に対する忠誠心は無くなり、向こう側に付きます」
「クハハ。裏切られたら今度は己の最も唾棄すべき存在である貴族に尻尾を振るのか。滑稽だ、これこそ真の滑稽だな」
何が面白かったのかガスタークは足を踏み鳴らして笑いを表現しました。
……策を提案した私が言うのもなんですが、よくもまあガスタークはこんな外道な方針を取れるものです。
ケイミスの影響でしょうか、私はどうも最近考え事が増えているようです。
「丁度良い、アンナフィリア。ちょっとこっちにこい」
「え? キャア!?」
ガスタークに腕を引っ張られた私は机の上に寝かされました。
綺麗なシャンデリアが目に映ります。
「バグズとの一連のやり取りでムラムラした。この猛りを抑えるため俺に付き合え」
そして私の衣服に手をかけます。
「それならベッドでしたいのですが」
「いやいや、ここだから良いんだ。ケイミスが普段使っていたこの執務室の机の上でまぐあうのは最高に興奮しないか?」
やれやれ、どんな時でもケイミスですか。
「うん? 何の真似だアンナフィリア?」
驚くガスタークに内心笑いながら私は彼の耳元でこう囁きました。
「今は私だけを見てください。ケイミスのことを想うのも、野望に身を焦がすのも自由ですが、この瞬間だけは貴方の伴侶であるこのアンナフィリアだけを考えてください」