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ルミナストーンの魔法使い

作者: 日向夏


 世界に魔法なるものが登場してから何年が経っただろうか。突如、テレビに出ていた自称超能力者さんたちが「我々は異世界から来た魔法使いである」なる電波を飛ばして、なおかつ、その遺伝子がすでに地球人口の三割程度に混じっていたのは、今も歴史の教科書二ページ分の内容である。


 そんな歴史的事件から、もう半世紀以上、世の中はけっこう寛容に物事を受け止めて進んでいる。






「これが例の少女ですか」


 時雨沢しぐれさわは、眼鏡を上げながら言った。


「はい、今年で三回目の受験となる赤石カグヤです」


 ふくよかな校長は汗を拭きつつ言った。場所は、とある学校の校長室。温度調整は客人にとって快適なのだが、彼には少々暑いらしい。


 時雨沢の手には、プリントアウトされた一人の少女の情報が事細かに書かれてある。正直、身長や体重はともかくスリーサイズは関係ないのだが、これを準備した側の真剣な表情を見ると本気なのだろう。何が何でもどうにかしてください、という、訴えかけるような目をしている。

 

 彼女のプロフィールはすでに電子文書にて確認しているが、もう一度眺める。小中高と地元の学校に通う普通の女子高生、今年で十八となる。


「十八歳で三回目というと、遅咲きだったんでしょうか?」

「いえ、我々の発掘が遅かったという他ありません」


 時雨沢の言う遅咲きというのは、魔法を使えるようになる年齢のことを言う。早い子どもは生まれた時から、遅くとも十になるまでには開眼する。それまでに魔法を使えないものは、最初から魔力の因子を持っていないか、持っていてもそれを抑制する因子を持つものに他ならない。

 魔法とは科学と同じく現代社会における必要不可欠な要素であり、それを管理することは特許を管理することによく似ている。そして、その特許申請の代わりが魔法使い認定試験というものである。魔法使いにはその能力に応じて魔法使用料が支払われる、国とギルドはそれを管理することができるというものだ。


 魔法を使えるものはごろごろいるが、それが社会に有用であるとは必ずしも言えない。ゆえに、その特別待遇を与えるものは限られる。

魔法の能力はほぼ十代までに完成される。生まれつきの才能がほとんどであると言えるので、試験資格があるのは十八歳まで、しかも、三回までしか受けられない。


(これだからお役所仕事は)


 時雨沢は、当初から変わらぬ受験資格に疑問を持つが、発言権を持たない若造の意見を聞くものはギルドには少ない。大御所が重い腰を上げてくれればいいが、魔法使いの門戸を広くするということは自分の有用性を下げることだとわかっていてやるものは少ない。


「前回、二回の試験は相手との相性が悪かったようですが、腑に落ちませんね」


 時雨沢は、書類の一点を指で示す。認定試験の実技は試験官との戦闘で行われる。


「彼女の能力は精霊を呼び出し、受肉化するとありますが」


 精霊使い自体は珍しくない、しかし、それに物理化するとあればそれは、異界の生物を呼び出す召喚士と同じレベルの能力を有する。これはかなり希少な能力だ。


「はい、そして彼女が受肉化したものは、使用後も消えることはありません」

「なんだと!」


 校長の言葉に、時雨沢は思わず机を叩いた。脂ぎった校長の顔が一瞬青ざめた。


(いかんな)


 普段、冷静に見える時雨沢だが、興奮すると気性が荒くなり言葉使いもそれにつられてしまう。眼鏡をかけ直しネクタイを直して心を落ち着ける。


 それだけ、驚くべき才能だということだ。どんな召喚士でも、一定時間しか召喚は不可能である。完全に物理化するには、想像力と魔力量が必要であり、未だかつて成し遂げたものはいないとされている。


(たしかギネス記録では十三時間が最高のはずだ)


 校長の言葉が多少大げさだとしても、それだけ長い時間留まる受肉化であれば、それだけで魔法使いギルドからスカウトが来てもおかしくないはずだ。

たとえ実技試験で負けたとしても十分合格基準を満たしているはずなのに。


「どうしてそれだけの才能があって――」


 時雨沢が問いかけようとした瞬間、派手な音が外から響き渡ってきた。水音と歓声とその他、よくわからない音だ。


「どうやら、校庭で練習をしているようです」


 校長が窓のブラインドを開けて見せた。


 そこには……。


「ここって港町でしたね」

「そうです」

「校庭で漁もできるんですね」

「ここは特別なんです」


 そこには、まさに大漁の旗を掲げたくなるような魚が、空から降っていた。


 ピンク色をした美しいフォルムの魚、高級魚真鯛だった。






 時雨沢は白い身にわさび醤油をつけていただく。柔らかい身が口の中に広がり、ほのかな甘みが舌を喜ばせる。


「こちらもどうぞ」


 茶碗には白身魚のほぐし身をまぶした飯がつがれていた。差し出すのは、前髪を切りそろえた生真面目そうな少女だ。名前を赤石カグヤ、これが例の少女である。


「ありがとう」


 時雨沢は周りを見る。そこは高校の体育館だが、皆、楽しそうに飯を食らっている。学生だけじゃなくたくさんの一般人が含まれている。会社帰りのサラリーマン、主婦に老人、学校帰りの小学生もいれば、家族連れもいる。


 そこかしこに磯の香りが漂い、皆が皆、おいしそうに白身魚を頬張っている。


 学生たちも手際よく真鯛をさばき、焼き、煮つけ、汁物にし、食べきれない分は昆布に巻いたり、アラを抜いて冷凍保存する始末。

 あまりに手慣れすぎている。


「もしかして、毎回、これを?」

「ええ、消費の面から考えて、週に一度程度。以前は、ばれないようにと海でやっていたようですが。それが彼女の才能の発見が遅れた理由です」


 そういうと、お頭付の鯛を持ってきた校長が携帯端末を差し出した。そこには、数年前の新聞記事が画像として保存されている。指先で拡大して時雨沢は見た。


『突如、空から鯛が降ってきた! 港町の怪異』


「ここは昔栄えた港町でした。漁獲量も全国で有数でしたが、それも過去のもので。名産の真鯛がとれなくなったので」


 五十年ほど前に大きな異常気象があった。それが原因で世界では多くの種が絶えている。真鯛もまた、その時代の中でレッドデータに記載された生き物の一つだ。世界的な異常気象、それを止めたのが、世界中に散らばっていた魔法使いとその末裔たちだった。彼等は英雄とされ、その後、魔法使いギルドの前身となる部署が国連に作られた。


 しかし、世の中、それをいいようにとらない人間もいる。魔法使いたちが現れたせいで、異常気象の原因になったという研究者もいる。時雨沢としては、その説もまったく否定できないのだが、自分自身魔法使いという立場もあって何も言えない。


 もし、寂れた街の原因が魔法使いの原因だと刷り込まれた少女がいたらどうなるだろうか。必死に隠そうとするに違いない。


「……」


 時雨沢はゆっくりと視線をずらし、その元凶であろう少女を見る。赤石カグヤは新たに炊き上がった炊飯ジャーを開き、中の鯛をしゃもじでほぐしている。カグヤという名前にふさわしい黒髪の美少女だが、いきいきと飯をついでは順番待ちの一般人に配って回っている。笑顔がきらきらと輝くというのはこういうことか、と時雨沢はガラにもない感想が浮かんだ。


「時雨沢さん、どうでしょうか、彼女は」


 焼き魚をほくほくと白いご飯とともにがっつきながら、校長が言った。


「その前に質問です、前回、前々回の対戦相手の属性は何でしたか?」


 なんとなく予想がつくが念のためだ。


「金属属性と火属性です」


 映像を思い浮かべなくともわかる。舞い散る刺身、舞い散る焼き魚。そして、群がる民衆たち。

 残った骨をギルドに提出したところで、認定されるわけがない。


「なにかご意見は?」


 時雨沢はそのために来た。彼女に対して、なにかしら訓練を施すことはできない。それが魔法使いギルドの方針だが、アドバイスはできる。しかし、正直それに意味があると時雨沢は思っていなかった。


(だが、今は違う)


 時雨沢は、茶碗をテーブルに置くと、せっせと次の飯の仕込みをする少女の前に立つ。古びたデザインのセーラー服に割烹着姿の少女は、髪型も相まってまるで歴史の教科書に出てくる女学生そのものだった。


「赤石カグヤさん」

「はい?」


 ちょっと間抜けな返事をする少女に、時雨沢は言ってのけた。


「鯛を呼び出すのはやめろ」


 と。






 結果、少女は泣いた。見た目に似合わず泣き虫だった。普通、ああいう黒髪ストレートとは、クールと相場が決まっているのではなかろうか。いや、クールならば、鯛の精霊などというキワモノを呼び出したりしない。


 女子高生を泣かせた成人男性に対して、周りの反応はどうだろうか。以下略、といってもいい反応だった。うん、思い出したくない。


 校長の背中に隠れるように逃げる羽目になった。


 宿として用意されていたのは、創業三百年をこえる老舗だった。しかし、物はいいようだ、歴史ある老舗、すなわち古いことを遠回しに言っている。


 木造三階建ての宿は、耐震設計いまだ基準をクリアしているのが不思議な不安定な造り、庭も元は立派な庭園だったろうが、今はただの寂しげな砂利と岩が置いてあるだけになっている。

 ただ、掃除はしっかりされており、玄関や廊下には四季折々の花が活けられている。経営者が苦労しながらも、努力しているように思われた。


 時雨沢は女子高生の泣き顔を忘れるために、お風呂に入ったのち、夕食を楽しむことにした。


発泡酒じゃない生ビールは嬉しいが、メインは鯛の刺身だった。頭を下げて鉢盛を持ってきた仲居。この子も珍しいくらい真っ黒な直毛だ。ぼんやりと時雨沢が見ると、仲居は顔を上げる。


『……』


 そこには、目を少し腫らせた美少女がいた。






「すみません、急に泣き出して」


 場所は、旅館の中庭。縁側に座布団を持ってきて座る。さすがに、女子高生と二人、個室で話し合うほど時雨沢は非常識じゃない。ここなら、エントランスから見えるし、なにより内容は、時雨沢の業務に関わるところである。

 

「前置き無しに悪かった。こちらもちゃんと自己紹介する前だったしな」


 知らない男にいきなり自分の魔法を否定されたら、多少なりともショックを受ける。それが普通だ。時雨沢にも経験がある。


 自分の魔法使い認定試験、時雨沢もまた三回目の試験でようやく受かった人間だ。周りから「絶対受かる」、「お前は天才だ」と言われた。さすがにそこまで自惚れていなくても、受かることは決定事項だと思っていた。


 だが。


 一回目、二回目とも不正を疑われた挙句、実技試験が無効となった。あんな魔法はありえないと対戦相手に罵られ、権威主義の試験官は、対戦相手がどんな人物かわかっていたため口をつぐんだ。


 魔法使いギルドの体制について、時雨沢が反感を持つ理由がそこにある。同時に属してしまった以上、従っている自分にも反吐が出てしまう。


 だからこそ、彼女のように才能がある人間が正当な評価を受けてほしいと、先ほど提言したのだが。


「君はここの娘さんだってね」

「はい。家族経営ってくらいの規模なんですけどね」


 少女は笑っていながらどこか寂しげだ。経営は厳しいのだろう。


 彼女は長年、魔法使いであることを隠していた。しかし、今では魔法使い認定試験に受けられるほどの実力を持ち、なおかつ受からないことを疑問視されている逸材だ。


(似ている)


 自分の置かれていた状況に。だからだろうか、同じような立場だった時雨沢を赤石の元に派遣したのは。


「先生は『獅子の魔法使い』と呼ばれているそうですね」


 なんともくすぐったすぎて蕁麻疹が起きる名前だ。本当は、違う名前を貰うはずだったのに、それは不可能となった。認定試験の実技結果によってその名は決められる。


 彼女を合格させるのは容易い、彼女自身その能力を十分持っているのだから。ただ、彼女の信念を曲げるほうが難しいだけだ。


「『真鯛の魔法使い』と呼ばれたいのか?」


 自分で口にしてシュールだと思う時雨沢。


「……」


 沈黙が肯定の意だろう。

 彼女の頭の中にあるのは、町おこし、しいては自分の宿を元の活気のよい状態に戻すことだろう。


「我儘でしょうか。そんなこと言っては魔法使いの資格なんてありませんよね」

「そんなことはない」


 世の中、もっと欲にまみれた魔法使いはたくさんいる。悪い魔法使いは少ないがあくどい魔法使いは掃いて捨てるほどいる。時雨沢は知っている。


 時雨沢の頭に、思い出すだけで腹が立つ人間が思い浮かぶ。


「久しぶりだな、時雨沢」


 不愉快な声は想像をこえて幻聴となって現れてきたのだろうか、そう思った瞬間だった。


 目の前にブランド品に身を包んだ痩せた男がいた。一般的に優男というのだろうが、時雨沢は嫌悪感のせいで彼の容姿がせせこましく見える。


 思わず時雨沢は苦虫を潰した顔になる。


「こちらこそ。反町そりまち

「おやおや先輩に対して、敬称もないのかい。君がアドバイザーとして来ていると聞いたので顔を出してやったというのに」


 どうやら幻ではないのだろ。隣にいる赤石が不安そうな顔で時雨沢と反町の顔を交互に見ている。

 赤石はゆっくりと縁側から立ち上がると頭を下げた。


「試験官、よろしくお願いします」

「今年こそ、受かるといいね」


 その言葉に、時雨沢は反町を見る。彼の顔が歪に笑っている。

 不自然な不合格、それはどうやら彼女のこだわりだけで済まない。


(この男が原因か)


 反町と時雨沢が初めて会ったのは、時雨沢の認定試験の時だった。反町は、先輩魔法使いとして対戦相手だった。


「赤石くん、あまり夜に男性とともにいるものではないよ。男は狼というが、この男の場合、猫だからね」


 反町はそれだけ言うと、去っていく。


 時雨沢はふつふつと燃えたぎる怒りを抑えるので精いっぱいだった。いけない、興奮すると気性が荒くなってしまう。


 ここで手を出せば、赤石にも影響が及ぶかもしれない。


 それくらいやらかす男だ。


 そして、このままだと赤石の不合格は決まったようなものだ。時雨沢を派遣した上層部の頭が理解できた。魔法使いギルドはあくどい人間ばかりだが、時にマシな人間だっている。上層部とて一枚岩じゃない。でも、それに乗るのも正直不愉快だった。


 時雨沢は、大きく息を吸って吐くと赤石を見た。


「君は、絶対合格したいか?」

「したいです」


 時雨沢はあくどい人間だ。だから、彼女の理想を利用することにした。上層部の駒になったわけじゃない。


「じゃあ、君のサポートは任せろ。君はいつも通り合格できる実力を見せてやればいい!」

「それってどういう……」


 時雨沢はそっと人差し指を立てて見せる。あの性格の悪い先輩魔法使いが聞き耳を立てている可能性も考えての行動だが、なぜか赤石は顔を真っ赤にさせた。


「猫は獅子の仲間だから、鱗がある魚は龍の仲間ってくらいの余裕があればいい」


 滅茶苦茶な鼓舞だが、時雨沢にはそれくらいしか思い浮かばなかった。


 実力は十分だ、時雨沢はそれにいちゃもんをつけられないようフォローするだけだった。以前、彼に対して同じように言った人物とまったく同じように。






 決戦の日、時雨沢は仁王立ちで観客席の最前列に座っていた。


 場所は、赤石の住む街から一時間ほどにある競技場。本来、魔法使い認定試験にこれほど大掛かりにする必要はない。


(あの男の仕業だな)


 派手な祭りごとにして、赤石を叩きのめすだけでなく時雨沢に恥をかかせるつもりなのだろう。

 魔法使いとしての能力は確かでも、性格に難があり過ぎる腰ぎんちゃく。今回、赤石の対戦相手は奴の弟子だという。また、赤石に不利な相手を仕掛けてくるに違いない。


 しかし、隣に座る校長が首を傾げる。


「今回の相手は水属性なんですね」


 端末を操作しながら時雨沢に見せた。対戦相手は直前まで知らされない、受験者の判断力を見るためだというが、そんなのこじつけだ。魔法使いギルドでは、才能だけを集めるだけ集めてその後、矯正するという教育方針でいく。嫌なやり方だがそれが通っている。


 反町は自分より才能があるものをねたむ。ゆえに、彼女、赤石カグヤは自分に不利な状況に置かれた上、落とされ続けてきたのだ。


 これは許されないことだと時雨沢は思う。


 それでも、赤石は本来そんなものを関係なく合格できただろう、精霊を魚介類にこだわらなければ。


 しかし、それが彼女の意地であり、ある意味強みだ。もう捻じ曲げることのできない信念といってもいい。


「水属性」


 これは赤石にとって可も不可もない、相手にとってもだ。


「勝てるんでしょうか?」

「それは、彼女次第です。それと、言われたことはしていただけましたか?」

「は、はい。それで赤石くんのためになるなら」


 時雨沢は校長に頼みごとをしていた。あの男が試験官ならなにをいちゃもんつけるかわからない。それを覆す証拠は多い方がいい。


 会場のサイレンが大きくなり、場内にありきたりなアナウンスが響き渡る。いろいろ突っ込みどころの多いアナウンスなので、省略する。


 とりあえず対戦相手が出てくる。それを見た時雨沢は苦笑いを浮かべる。


「あんな奴を持ってくるとは」


 去年、魔法使い試験に合格したばかりのルーキーだが、その実力はすでに中堅をこえると言われる。水自体を操る精霊使いは今のところ彼一人だ。同じ精霊使いでも、意思のない自然物を操る才能はよほどの適正がなければならない。


 対して、赤石はいつものセーラー服に、魔力の強化装置たる杖を携えている。念のため目視で確認したが、壊れたものは持たされていないようだ。

 

「水使いかあ、それなら赤石くんも大丈夫ですね」

「いや、それはどうだろうか」


 赤石は杖を振るう。きらきらと光の粒子が可視化されそれが固まっていく。桜色をした巨大な塊が形作られる。がちがちと歯を鳴らす巨大な魚、それが何なのか言わずと知れたものだ。

 それが一つ二つ三つ、十となり、二十、そして競技場が桜色に染まる。


「あれは!」

「なんですか?」


 校長が問いかけるのでとりあえず答える、それが礼儀だ。


「百二十センチを超える真鯛。あれだけ大きくなるには数十年生きてきたのでしょう! しかも顔が獰猛だ、雄に違いない」

「さすが地元民はお詳しい」


 だからこそわかるだろう、この戦闘の不利さに。


 真鯛は完全に受肉する。

 そして、誰もがわかる結果となる。


 競技場の真ん中で横向きになり、ぴちぴちとはねる真鯛たち。わかりきった話だ。校長の顔も曇る。

 これで三度目だということはすでにこういう局面になるのは目に見えていたはずだ。完全な受肉、それは必ずしもいいものではない。


「今度こそ、やってくれると思ったのに」


 くやしそうに観客席を叩く校長。


「進化するとでも?」


 いきなり魚類から地上に住む生物へと進化は無理だろう。少なくとも、進化論をまともに信じている人間なら。どうやら、このおっさんはそんなもの信じていないらしい。それでいいのか、教育委員会。


 ぴちぴちと鯛がはねるフィールドに対戦者がウォーターボールを叩きこむ。赤石はスカートをひるがえして避ける。


「今まであの戦いかたで惜しいところまで来ていたんです」

「鯛だからね」


 しかし、そんなもので勝てるわけがない。対戦者は大きな水柱を作り、その頂上に悠々と立っている。


 真鯛の一匹が水柱にもぐりこむ。だが、水圧に押しつぶされているのだろうか、苦しそうだ。


「しまった!」

 

 校長が叫んだ。


「真鯛は海水魚だ!」


 こんなときだけ妙に真面目だ。進化論はともかくそこのところは重要らしい。


「これでは勝てません」

「俺にできるのは、不正があった場合だけです。今回は対戦者が悪かったんですとしか言えません」


 時雨沢はアドバイザーだ、過剰な介入はそれこそ不正と見なされる。

 それに、これで負けるのであれば、彼女の意思がその程度のものだったとわかる。


「簡単に負けると思いませんけど」


 時雨沢はにやりと笑った。 

 

 桜色の塊が、水を上っていく。それが水流に押し戻されながらもひれを動かし昇っていく。


「いっけーーー!!」


 苦悶の表情を浮かべながら、赤石が叫んだ。真鯛たちの負担は、魔力をおくる彼女にも負担となる。それでもなお、やめない。


 彼女にも彼女の意地がある。


 赤石カグヤの中身は素朴な少女だ。才能はあるが、頭がいいとは言えない。ただ、突き進むことしかできない。それでも、彼女には譲れないものがある。


 頭上はるか上には水柱の上に立つ対戦者。彼は、冷静な目で彼女を見ている。自分の勝ちを確信し、無駄なあがきをどう見ているのだろうか。


 それが変わるのはある意味見ものだった。


 受肉した真鯛が連なる、細く長く形作り、水の抵抗を無くす。淡水ではきついのか、口をぱくぱくさせ、それでも進んでいこうとする。


 その形は段々、大きなものとなり、あるものへと変化していく。


(これはまるで)


 竜の滝登り、登竜門の語源である。

 その魚は滝を上りきると竜となる。


 細い身体をうねらせ、真鯛たちは巨大な一つの生き物へと変化した。


 桜色のドラゴン、それが生まれた。


 桜色のドラゴンはその大きな顎を開けた。


 叫びとともに対戦者はその姿勢を崩す。そこに大きなひれが彼を打つ。


 彼は壁に叩きつけられると、落ちて力なく首をもたげた。


 会場が静まり返る。しばらくして、場内にマイクの耳触りな音が響いた。アナウンサーが赤石カグヤの名前を勝利者として告げるとともに、場内は歓声につつまれた。


 時雨沢は自分の杖を掲げると、観客席を飛び降りた。倒れた対戦者の元へと走る。

 対戦者の少年は気を失っていたが、命に別状はなさそうだ。

  

 時雨沢は、巨大な桜色のドラゴンを撫でる少女を見る。

 

「滝を上りきって竜となるか」


 時雨沢は眼鏡をとると、その美しい桜色のドラゴンに魅入った。


(普通、鯉なんだが)


 口に出して突っ込めるほど、空気は読めなくなかった。


 そして、口をあんぐりと開ける男を見る。本来、彼が対戦者の治療をすべき立場だが、反応が悪いので、時雨沢が手をだした。


「これで文句はないよな、反町」


 受肉化したドラゴンが現存すれば、魔法使いギルドだって認定しなくてはいけない。これをもみ消すほど、反町は危険なことをしないだろう。そういう男だと時雨沢は知っている。


「ギルド長にはすでに映像を送っている。もっとも、今回は二十か所に仕掛けたカメラの映像だ。そのすべてが嘘だとつきとおせる自信があるのならな。もっともこの証拠を見て、ノーと言い出す試験官がいたら見てみたいよ」


 校長に試合前に頼んでいたものだ。


 時雨沢は、反町を見る。


(彼女には悪いことをした)


 元はといえば、自分が原因のようなものだ。反町の才能コンプレックスは、時雨沢から来たといっていい。だからこそ、赤石のような時雨沢に似た受験生を潰そうと考えたのだろう。

 実に大人げない。でも、そんな大人は一定数いる。


 さすがに、これ以上赤石に対して何かをすることはないだろう。試験官として、合格サインをするのは屈辱だろうが。

 

「……、お前のようなふざけた奴がまた出るとはな」


 反町は顔をぴくぴく痙攣させる。


「この猫野郎め!」

「それは褒め言葉だ」


 立ち去る反町を時雨沢はさして興味もないように眺めると、ぽつりとつぶやく。


「猫、可愛いだろうが」


 なあ、そうだろう、と何もない空間に話しかける。


 独り言にしか見えないそれだが、時雨沢はわかっている。隣に、金色の目をした丸っこい猫の精霊がいる。

 

「まさか、竜になるとはね」


 せいぜい、鮫くらいだと思っていた自分が笑えてきた。


(本物の天才だ)

 

 自分よりもずっと。


 時雨沢と赤石はよく似ていた。


 その才能は大きく差があったが。


「俺には猫をライオンにするのが精いっぱいだわ」


 形なきにゃんこを撫でながら、時雨沢は言った。

 にゃんこは十年生きたらライオンになる。そんな与太話を信じていた男はここにいた。






「ありがとうございます、時雨沢さん」

「俺は何もしてない。それより、『緋竜の魔法使い』になるかもしれないな」

 

 彼女の意思は貫き通した。しかし、結果、彼女の望むべきものではなくなったようだ。


「そうですね、でもいいんです」


 赤石カグヤはそう言うと、炊飯器を開けた。しゃもじでほぐし身を小皿にのせると、味見した。


「なんか、味は産卵期に近いですね。ちょっと脂ののりが少ないです」


 生真面目な生徒は、ほぐし身を箸でつつきながら言った。精進あるのみ、と決意を拳に込めている。

 どこから取り出したのだろう、赤石を応援しに来た港町の連中は、包丁とまな板と炊飯器を持参していた。せっせと、桜色の鱗を引きはがしている。


「おまえ、さっき撫でてたよな」

「はい、頑張ってくれましたから」

「でもさばくんだ」

「……だって元は真鯛ですし?」


 なにかおかしいことでも、と首を傾げる赤石。


 時雨沢の隣でにゃんこの精霊が再び昇天していく真鯛の精霊を見つめている。同情の目かと思いきや、なに舌をぺろりと出してやる。


「……結局こうなるんだ」


 眼鏡が半分下がった状態で時雨沢は言った。


 後日、港町ルミナストーンに新たな名物『ピンクドラゴン』が加わることになる。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 鯛、食べたいです。 ピンクドラゴンのお刺身も食べたいです^^ [一言] これでルミナストーンも旅館も大繁盛間違いなしですね♪
[一言] まさか鯛が龍になるとは思いませんでした。龍になるのは鯉ですし、しかも食べるなんて。
[一言] 今更ながらに読ませていただきました。 序盤:何これ 中盤:何これw 終盤:なにこれー!www 終始笑わせて頂きました。 獅子の魔法使い辺りで、なるほど、そういう、と思わされつつ、何か違和…
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