第1話 紅目の魔法使い 8
シャルディンは、目を開けた。
また、いつもの夢……。あの時の。
数え切れないくらい、何度も見た夢だ。
帰れなかった家。果たせなかった約束……。
それを抱えたまま、長い長い時を過ごしてきた。魔の領域の中で。
シャルディンは、起き上がった。
窓の外は、闇が薄くなっている。もうすぐ夜が明ける。気の早い鳥の声も聞こえてくる。
そろそろ、行かなければ。
あの時の続きを始めなければならない。
帰るのだ、家族のところに。そして、約束を果たそう。
両親は、もうこの世にはいないかもしれない。
兄とリュディは、元気でいるだろうか。
リュディは、少女の時期を過ぎ、娘となり、花嫁となり、子供をもうけ、もう既に孫もいるかもしれない。
そういう年齢になっているはずだ。
まだ間に合うのだろうか。
もし間に合ったら、ピアナの花をあの時よりもたくさん摘んで、リュディに渡そう。
部屋の闇が、ぞろりと動いた。
シャルディンは、はっとして振り返る。
闇の中に、燃えるような血の色の目が四つ、光っていた。
(グリアモス!!)
闇の中から、二匹の巨大な真っ黒い猫が飛び出て、シャルディンに襲いかかる。
逃げる間も、魔法を使う間もなかった。
シャルディンは、グリアモスの前足で、ベッドに押さえつけられる。
「やあ、シャルディン」
グリアモスの後ろから、彼の主人、ジュネスが現れた。
ジュネスは眉を寄せ、自分のアヌヴィムを紫がかった青い目で見下ろした。
「今回も、見つかってしまいましたね……」
シャルディンは、あきらめたように呟いた。
「そなたが私のところから逃げ出すのは、これで何度目になるんだろうね」
「四度目くらいですかね……」
シャルディンは、答えた。
「そんなに私が嫌か?」
ジュネスが真面目な表情をして、訊ねる。
「あなたを嫌っているとか、そういうことではありません。あなたは、私が仕えた多くの魔神族の中では、一番ましな扱いをして下さったと思います。あなたを尊敬し、感謝もしています。けれども、私は行かねばならぬのです」
「前にそなたが逃げたとき、言ったはずだね。今度逃げたら、最後だと。わかっているね」
ジュネスは、シャルディンのそばにかがみこんだ。
「わかっていますよ……」
シャルディンは、呟いた。
「もう四度目ともなると、そなたを庇うことも出来ぬ。他のアヌヴィムたちに示しがつかないのだよ。そなたに与えた魔法の能力は、返してもらう。悪く思うな」
「思いません。あなたのお立場も、理解できますから」
「美しいシャルディン。そなたの醜い姿は見たくはなかったが、仕方がない。実に残念だ。私の最後の口づけを受け取るがいい」
ジュネスは、シャルディンの唇に、自らの唇を重ねた。
ピアナの花の懐かしい香りが、どこからかふわっと漂って、シャルディンの意識は遠くなった。