第1話 紅目の魔法使い 7
少女がひとり、目の前にいた。
やわらかい金色の長い髪をおさげにしている。
髪の間からこぼれるうなじが、不安になるくらいか細い。
後ろ姿が小さくて、華奢でかわいらしかった。
彼がおさげを引っ張ると、少女は怒った顔をして振り返る。
薄い空色の目が、彼を睨みつけた。
「母さまあ! また、シャルディンがいじめるっ!!」
少女が叫んだ。
違うよ。かわいいからだよ。
きみの怒った顔もかわいいから、見たいんだよ。
だから、ちょっとだけ触ってみたくなる。
「おまえなあ。女の子をいじめたら、もてないぞ」
彼の兄が、あきれたように言う。
兄は、彼よりも五つ年上。妹のリュディは、三つ年下だった。
「そういうあなたも、シャルディンくらいの歳には女の子を泣かしてたわよ」
彼の母が微笑んだ。
いつも微笑みを絶やさない、やさしい母。リュディと同じ金色の髪。
「私も子供の頃には、女の子をいじめて嫌われていた。家系だな」
父も笑う。
「ま、最終的には母さんみたいな美人と結婚できたわけだから、悲観することはないぞ」
母は、ぽんと軽く父の腕をたたいた。
「シャルディン。もう当分、口きいてあげないから」
リュディが、むくれる。
困ったな。どうすれば、機嫌を直してくれるの?
「じゃあ、ピアナの花を摘んできて」
リュディが言った。
わかった。摘んでくる。
「シャルディン。もうすぐ日が暮れる。外に出ないで」
母が心配そうに言った。
「あなたは、それでなくても目立つんだから。もし、魔神族にでも目をつけられたら……」
だいじょうぶだよ。
今の季節は日が長い。暗くなるまで、まだだいぶある。
リュディ、いっぱい摘んでくるよ。
白い花が、丘に一面に咲いている。緑地に花模様の絨毯を敷き詰めたように。
結婚式に使われる可憐な花、ピアナ。
少女たちが一番好きな、縁起のいい花だった。
花束にすると、それほど甘くはないすっきりした香りがするのだが、ここではあまりにも数多く濃く漂っているので、むせそうになる。
彼は、その花を摘み始める。
抱えきれないくらいにピアナの花を摘んだ頃。
ふと気がつくと、太陽はほとんど沈んでいた。
太陽の最後のかけらが、山の向こうに隠れていくところだった。
彼は、言い知れぬ不安を感じる。
だが、まだあたりは明るい。当分、この明るさは続く。
だいじょうぶ。帰ろう。急いで。
そのとき、背後に誰かの気配がした。
人間ではない。それは、一目見るなり彼にもわかった。
「あ……」
彼は、うめく。
体が固まって動かなかった。
「珍しい髪と目の色の子供だな」
目の前に立った人物が、彼を見下ろして、言った。
黄色の目。瞳が針のようだ。
その人物の背後にも、同じ目をした男たちが複数、控えている。
「連れて行こう。私のアヌヴィムにする」
摘んだピアナの花が、地面に散らばった。
彼は、それを拾えなかった。
手を伸ばしたが、花は彼の手から、どんどん遠ざかって行く。
ああ。
帰れない。帰れないよ。
父さま、母さま、兄さま、リュディ……。
目の前が暗くなる。
遠く、微かな音しか聞こえなくなる。
「シャルディン? どこに行ったの?」
「シャルディン!!」
家族が彼を捜している。
父さま、母さま。ぼくはここにいるんだ。
真っ暗だけど、声は聞こえてる。
助けて……。
「シャルディン!!!」
「シャルディン! 兄さま! もうピアナの花なんかいらないから、お願い、早く出てきて!!」
兄の声が震えている。
リュディが泣いていた。
家族の悲痛な声が、次第に消えて行く。
帰らなくては。
帰ろう、みんなのところへ。
帰るんだ……。
だが、彼の周囲には、果てしない闇と気の遠くなるような静寂しかなかった。